よく日本の先生は、生徒の目が輝く瞬間が好きだというようなことをおっしゃるのだが、私は、これは日本の教育文化の数百年の勘違いだと思う。

だって、私が英語喉を教えていて、本当に受講者さんが、学んでいて、理解していて、出来ている瞬間に

目が死んでいるからだ。表情がない。

ところが、授業を始めて10分、20分ぐらいのとき、まだできていないときは、目が輝いている。笑顔だったりする。楽しそうだ。

ところが、発音がネイティブ化していることが自分で分かっているときの目は、死んでいる。表情がゼロである。さらに、テレビの前で、聞き取れていることを確認できている瞬間は無表情だ。

高校野球などでバッター席に立っている選手の顔をみてほしい。死んだ顔をしている。

生徒の目に輝きが、、、というのは、それは、生徒達が、先生の期待に沿おうとして、劇を演じているときだと思う。

英語喉セミナーの最初の10分、20分は、初対面の受講者さんだから、笑顔が出るし、目がきらきら輝く。

しかし、それは私たち日本人が、ぎゅーぎゅーづめのクラス(40人?いや45人?)を、小学、中学、高校と経験してきて、不可能な授業のなかで教師達が望むもの、

それはやる気とか、輝く目というやつだ。

まあ社交辞令である。

私はアメリカに住んでいるけれど、NHKがテレビで見れる。CHAROという番組を見ると、馬鹿にされたような気持ちになる。ちなみに、同じぐらいの時間に、昔で言えば、お母さんと一緒みたいな番組があり、子供に対してお兄さん、お姉さんが、きんきんした言葉で喋りかける。そしてCHAROだが、これもネイティブの人が、子供に喋るように日本人視聴者に対して、ゆ~くり喋りかける。

ちなみに、私と同じフロアに、耳の聞こえない高校生がいるのだが、そのお母さんが言うには、周りが、耳が聞こえないと思って、ゆ~くりと喋りかけてくるのが、この高校生は不満に思うらしい。馬鹿にしている、、、みたいに。そんなに、大げさに喋らんでも、わかるんじゃ、、、ということらしい(リップリーディングをするらしい)。

結局のところ、英語が聞こえないのは、日本人だけだ。いや、英語だけでなく、韓国語なども聞こえていない(カムサと発音してしまう。KAMSAなのに、、、と昨日、韓国人が日本人の韓国語は非常にまずいと言っていて、その例を教えてくれた、、、それはシラブルの区切りを聞いていないからKAMSAがKA-MU-SAに聞こえるのだ)。ネイティブは、なぜ日本人が英語の音が聞こえないのか分からない。だから、しまいには、赤ちゃん、幼児扱いをしているわけである。

これは、別に悪いということではないが、ええ加減、気づきませんか?と思うのである。

そのナレーターさんたちの目は輝いている。NHK INTERNATIONALに出てくる外人のレポーターさんたちは、ものすごいキンキンしたレポートをする。目が、顔が輝いている。英語の音程も上下するする。

それを見て、日本人は、それ、外人さんは、テンション高いなあと思うかもしれない。しかし、彼らは日本人の真似をしているのである。男性だったら、日本人のガールフレンドが「すごーい」とか言うときの表情をまねているのだ。さらに、そういう風にしないとテレビ局の編集さんも納得しないだろう。外人らしくないということで。こら、NHKインタナショナルは、外国に住む外国人のための日本紹介なのだ。しかし、どうしても日本人向けになってしまう。ジーナも前に、NHKインタナショナルのインタビューを受けたとき、オーディエンスはネイティブとか外国人だと分かっているのに、英語がゆっくりになってしまっていた。日本人が相手だと思ってしまうと、英語が変わってしまうのだ。

あるリスニングの本で、英語の音程は激しいと書いてある。思うに、結局、日本人は、英語喉実践者以外、英語の音が聞こえていないはずだ。だって、聞こえていたら、音程が激しいから気をつけましょうなどという発想は出てこない。

私は、英語喉以前でさえ、アメリカ英語の聞き取りは100%に近かったが、音程に気をつけると、聴き取れるとか発音ができるなんて、発想がなかった。自分でも聞き取りができないのに、聞き取りの指導をするというのは、とても、問題がある。英語発音の本の著者の英語を聞こうと思っても、どこにも置いてないのが不思議だ。

さて、ちょっと最後でずれたけど、今日、朝日新聞のサイトで読んだのだけど、耳かき店員を2人殺して、死刑にならなかった人のことが書いてあった。裁判員さん、いわく、その人が裁判の途中から、表情が変わり、反省しているように見えたとのこと。

またしても顔である。反省している顔だ。しかし、事件後の表情で、判決裁量のネタにしてよいものかどうか、私は疑問である。あくまでも、証拠に基づいて判決をするべきだ。

情状酌量をかんがみるということはありえるが、それはあくまでも事件の前、その瞬間のことだ。裁判の途中に反省の色が見えたなど、関係ないはずだ。

「反省」というのは、英語になりにくい。日本語に特有だ。そして、それは顔の様子である。

酒井さんというかただったか、芸能人の人で、麻薬で捕まっていた。あとで、裁判所の前で反省の挨拶をしていた。しかし、麻薬は、反省とかの対象じゃなくて、リハビリの問題だ。だから反省するより、まず、リハビリを受けて、立ち直るのがよいだろう。人はどうでもよい。

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