昨晩(アメリカ時間)は、MASAさんとSKYPEして(ボランティア指導)、よい収穫があった。MASAさんは、ほとんど直すことがいらない感じであったが、それでも無意識でされていた部分を指摘できたと思う。

フリートーキングのときに、部分的にたまに音が硬くなるというのは、私自身経験することだが、そのことを指摘させてもらった。しかし、これは、日本語の特徴だ。日本語で音を高くするところで、日本人は喉をちょっと硬くする。

歌を利用するのがよいと指摘させてもらった。いや、単にドレミでいい。ドレミ~と音程をあげながらも、喉発音を意識して維持する練習だ。

つまり声があがりそうになったら、そこで必死に(最初意識して練習)*押さえる*のだ。喉的には、喉の奥のほうへ音を沈めていく感じだ。声があがりそうなところで、逆に沈める感じだ。

なるほど、LANG-8というので勉強するというのはとても良いアイデアだ。ぜひ、MIXIのMASAさん日記を参考にしてほしい。

以前、KAZYさんが、猛烈にSKYPEを使って練習されていたが、あの方法も理想的だ(KAZYさん、お元気ですか?)。

言語というのはまず言えて、聞けて、喋って、友達をつくって、、、そしてだいぶあとになって、書いたり読んだりする。ネイティブが言語を学ぶ順番と全く同じなのだ。

LANG-8ってのは、私はまだ見たことないのだけど、書くのを中心に勉強するシステムみたい。書いたら、ネイティブが直してくれるらしい。

MASAさんは、なんと音声をも加えて、メッセージを発しておられるのだ。さらに、最近では、MASAさんの音声の見本を録音してくれるネイティブ先生(?)も出現し、なんと、あの弁当BOXランチの素材も録音してくれたネイティブ先生がいたとは、、、。

弁当BOXランチとうネタ自体が生まれた背景だが、ジーナも私も、新幹線とかで例えば富士山を横にみながら食べる弁当が大好きなのである。

うま~~~い。

外国に住んでいる日本人なら特にわかってくれるのではないかな。新幹線にのり、日本の風景を見ながら食べる弁当のおいしさを!

日本に住んでいると当たり前かもしれんが。

さて、英語を積極的に使っていると、ネイティブの友人もできてくる、、、。ネット上だろうが、実世界だろうがよいのだが、やはり勉強していたら、何人のネイティブの、あるいは外国人の友人ができました、、、というのが大切じゃないだろうか?

MASAさんと英語の勉強方法についても喋った。

私自身は、口発音時代の話だが、英字新聞をよく読んでいた。ある程度、分かっても分からなくても読みすすめるというのはよいとおもう。

そのうち、読めるようになる。

ENGLISH BOOTCAMPのYUMIさんも最近BLOGでおっしゃっていたが、外国文化とか人に興味を持つというのは基本だが、そういうことも自然と起こってくるだろう。

しかし、上智大学の先生が、スーパーハイスクールの高校生が、私たちは、(必ずしも英語が完璧でない)日本人の英語の先生のように英語を喋りたいと言ったと報告されていたが、

まったく私には想像できない、、、ってか、ジョークそれ?

英語は、ネイティブのように喋りたいと望むのが王道である。そのほうがかっこいいと思うほうが、高校生の発想としては、普通だ。

「またしても、カズが自分が英語ができるからと思ってかっこつけて発言している」と糾弾しそうだが、その解釈であっています。

80年代に英語を学んだが、小林克也さんみたいに、いや、東後かつあき先生みたいに、かっこよく喋りたいと思うほうが、普通である。

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6 thoughts on “英語を積極的に使うということ

  1. アキ says:

    カズ先生、こんばんわ。
    日本は今日も、晴天です。

    日本の英語教育界のおかしな不思議な所は、もともとは「全ての英語を学ぶ日本人が、英語ネイティブ並にできるようにならなくても良い」と言っていた(これは私も賛成です)ことを、「日本人は英語教師でもネイティブ並にできるようになる必要はない」(これも私も一応は賛成です)に変わり、最後には「日本人の英語教師は英語の読み書き話しが、まともに出来なくても良い。日本人にしか通じない日本人英語という架空の言語ができれば良い。」(これには私は大反対です!)という話に落ち着いてしまったことです。
    間違いなく、日本の英語教育界には、お互いに傷をなめ合って甘えあっている輩が多いと思えます。

    この現状を何とかしないと、日本の英語教育および外国語教育は、世界最低レベルを維持し続けるのだと思います。またこの結果は、日本語自体の荒廃にもつながると感じますね。
    この現況を私のような素人でも打破するための第一歩が、英語喉発音を身につけることであり、次が、英語の会話や読み書きにも役立つ、多くの有効なフレーズ・チャンクを暗記して使いこなせるようになることだと、昨今の私は感じていますが、違うかな?

    今後のご発展を、お祈り致します。

  2. Masa says:

    かず先生

    本当に有難うございました!
    楽しくも示唆に満ちたひとときでした。
    過去のどの100分よりも、濃い100分でした。

    英語はやっぱりアドリブですね、かず先生。
    話そうと考えていたことよりも、その場で湧いてきた話しをして盛り上がったときに、ガイジンぽくなりましたねとおっしゃって頂きましたw

  3. Yumi says:

    レトリックに走るわけではないですが、

    「ノンネイティブが完全にネイティブと同じように話せるようになる必要はない」というのと「日本人は日本人英語で何が悪い」というのとでは、全然意味合いが違うと思うんですね。

    アクセント一つ取ってみても、中国アクセント、インドアクセントと色々あるわけで、日本人アクセントがあっても構わない。それでもコミュニケーションはできる。そういうスタンスは私は間違っていないと思うのですが、最初から「日本人なんだから日本人英語でいい、発音なんてどうでもいい、肝心なのは話す内容だ!」というのはやっぱりおかしい。

    そういう開き直りみたいな、おかしな思想がはびこっているようで気持ち悪いです。学習者として、まだ指導者として目指すべきはやはりネイティブの英語だと思うんですね。最初からネイティブ指向をまるで売国奴と言わんばかりに攻撃するのは、ある種のコンプレックスの表れだと思います。

    これって、中学生くらいですでにありますよね。
    ちょっとでもネイティブっぽい発音をすると、「カッコつけやがって」というような反応が返ってくる。
    このメンタルバリヤーが、日本人がいつまで経っても英語ができない大きな原因となっているように思いますね。

  4. 上川一秋 says:

    MASAさん、私も発見がありました。それはMASAさんが、Rを発音をするときに、ARとなってしまうときがありましたよね。例えばNEAR,TEAR,DEARのときにRのところに微妙にアが入っており、それを直してもらいました。

    それは今まで気がつかなかったのですが、Aを加えてしまうからこそ、例えば、BEFOREがビフォアと聞こえる人がいるのだと気がつきました。MASAさんが、弁当BOXでDINNERのところがDIN/NARに微妙に聞こえたのですが、それはRの前に無意識のうちにAがついているからではないかなと。

    このおかげで今後、BEFOREでビフォアとなってしまうときに、的確な指導ができます!

  5. 上川一秋 says:

    YUMIさん、ずばりなご指摘です。

    結局のところ、だれもかっこつけようとか思っていなくて、ただ正しくしたいという思いだと思います。それをちょっとがんばると「かっこつけてる」とつっこまれるのもいやですね。

    私もかっこつけてるもなにも、アメリカで生活していると、喉発音が普通なので、かっこいいもなにもないです。

    ところで、そういうちょっとうがった発言をする人ほど(ネイティブと同じじゃなくてもいいと激しく言う人)、結構、発音がいいほうだったりするのが変です。

    ネイティブと同じでなくていいんだよ~と言いながら結構、ご自分はうまいほうだったりする、、、と。声が立体的で、外人みたいで。

    それは、うまいのに、そういう発言をすると、逆にかっこいいとか、カリズマ性が増すとかそういうことじゃないかな?

    そのパロディーとして、私は、時々、ジョークとして、ちょくちょくからかったようなことを言うかもしれません。

    例えば、今日のエントリーで、以下のように言いましたが、完全なるパロディーで、なんのパロディーかというと、よく考えると上のような人のまねです。

    >「またしても、カズが自分が英語ができるからと思ってかっこつけて発言している」と糾弾しそうだが、その解釈であっています。

    ネイティブのようじゃなくていいと過激に言っているのに、自分はネイティブみたいだったりする人のパロディーとして、

    ネイティブみたいに喋ったほうが楽だよと言っていて、全然、自慢でもなくて、それが普通なのに、パロディーとして自慢したようなことを言ってみています。

    遊びです。

  6. 上川一秋 says:

    アキさんもずばりですね。

    チャンツを覚えるというようなかんがえ方は、私としてはよく分からないけど、きっかけとしてありえると思います。特に使える形でのね。

    例えば、スペイン語でTENGO GANAS DE ~みたいなのがあって、それは、~をしたいという意味で、~の部分を変えると色々使えますが、そういうのはいけるかもしれない。

    でも、そういうのを会話から自分で聞いて、納得して、使うというのがよいのかもしれない。

    私のスペイン語は90%がそんなのばかりです。自分で抽出したのです。

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