Kの発音方法をときどき間違うことがある。初対面の人に自分の名前を言うときに、当然、私の名前はKAZですというのだが、え、TAZ?と言われてしまう。
KとTを間違われてしまうのである。
従来の考えだと信じられないことだろう。間違いやすいペアはLとRでしょう?いくつもある母音の間の混乱でしょ?と。KとTなんてぜんぜん違うじゃないですか、、、と。
なぜかKとTを間違われてしまうのか、、、というと、初対面なので、ちょっと緊張するからだ。日本人は緊張すると口発音ぎみになる、、、と思うのだが、それで思わず、口発音ぎみでKAZといってしまうわけだが、口でKを発音すると、ちょっとTに近い音になるのである(声が小さいというのも半分の理由だが)。
なぜだろうか(なぜを問い詰めていくとメカニズム・カラクリに到着する)。
それは、、、Kをいうときに、思わず、舌の奥が口の屋根にあたるからである(この文、2,3回読んでみてください)。だから、同じく舌(の奥ではないが)が口の屋根に当たる音であるTに似て聞こえるのだ。
はあ???
喉革命を経験しておられないかたには、信じられないかもしれないが、ネイティブはKを発音するときに、舌の奥のほうが口の屋根に当たらないのである(かわりに喉で描写したように、舌の奥のほうで空気が風キャッチをし、K独特の音となる)。
つまり、Sと同じで、Kは舌が口の屋根にあたらないのである。
はあ?そんなばかな、、、と思われるかもしれないが、Gも同じだ。
KやGで舌の奥のところと口の屋根の奥が当たるのは、日本語だ。英語では違う。
日本人にはなぜかGで、このこと(舌を接触させずに発音)に成功するのが簡単のようだ。まずはGで成功しておいて、同じことをKでやってみる。
従来の本で勉強されている人は、本当にびっくりされることだろう。従来のアプローチは、とにかく口の体操というかんじで、体育会系の運動を必要とするが、たとえばKなどでいうと、日本語のKを大げさにいう、、、というのが練習メニューのようだ。
ちょっと、どきっとすることをいきなり言ったので、もう一度ゆっくり言ってみる。
厳しく言うと(著者の皆さん、ごめんなさい)、
従来の練習方法には、結局のところ、日本語の音をおおげさに言っていると、いつのまにか英語の音になる、、、という甘い考え(もちろん無意識)がある。
え?どういうこと?
Kだけではないが、Kはよい例だ。ネイティブは90%を喉で発音するのだが、Kのときに、舌が屋根につかない。つくのは日本語のKである。
日本語のKを大げさに、強く激しく発音していると、いつのまにか英語の音になる(ならないけど)、、、というのが従来のやり方である。
英語を練習しているようで、実は日本語をひたすら練習している、、、というのが従来の方法の実情である。
どの音でもよいのだが、日本語のやりかたでKを激しくいうと、本当に口のなかで音が起こっているという感覚が走る。喉でやることを覚えると、うーん、本当に喉でなっているなあ、、、と思えるだろう(どっちかというとKの喉発音は咳に近いかも、ちょっとだけね、、誤解を恐れずいうと)。
この感覚を早く皆さんに分かってほしい。
もう一度だけ、厳しく言うと(著者の皆さん、本当に本当にごめんなさい、、、でも言っちゃいます、、、笑って許してね)、
自分がそうした、そうしているからといって、そう指導するのはまずいです。英語を母語として喋っているのは英語ネイティブです。英語ネイティブがやっている方法を教える・学ぶ必要があります。
喉の方法(ネイティブメソッド)は日本人著者が、口発音時代はやっていなかった方法であり、またネイティブ著者が本当に母語である英語を喋るうえで、本当にやっていることなんです。
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昨日、こんな比喩を思いついた。酒の一升瓶を思い出してほしい。口発音だとすると、本当に出口の部分だけをつかって(キャップのところ)喋っているようなものだ。喉発音だと、一升瓶の全体を豊かに響かせて喋っているかんじだ。
(一升瓶をブオーと鳴らす方法をご存知だろうか。ななめから息を吹き込むと、深く豊かな響きがする。一升瓶の全体が響く。喉発音はちょっとだけ、これに似ている。ちょっとだけである。一升瓶の場合は響きの源はキャップの部分だと思う。そして、それが一升瓶の全体のほうへと向かう。一方喉発音の場合は、喉で出された音がその場で響くのだ。従来のアプローチは、まるで口の中に声帯があるかのような考え方に基づいているようだ。無意識のうちに。正確には、喉からは、一定の同じ音が出ていて、それを口がアクロバティックに調整する、、、というような感覚を、従来のアプローチは持っているのだろう。)
喉を実践するとき、口は一升瓶の蓋、キャップみたいなもん、、、と思ってほしい。単にちょこっと乗せとくだけ。たしかに、その乗せ方によって、音の微調整をするし、それなしだと困るけど、大切なのは喉。
KAZですというと、え、TAZさんですか?と勘違いされることがあると言った。どうやって直すかというと、初対面でも堂々とし、喉を深く鳴らし、息を十分にはきながら喋ると簡単に直る。
ちょっとフォーマルな会話で口発音気味になってしまうのは、私の中の日本文化である。喉にも書いたが、英語での面接や会議などにおいては気をつけたほうがよいだろう。
もちろん日本語を喋るときには、フォーマルなレベルにおいて口発音の度合いを調整するとよいだろう。当然、無意識でそうなるのだろうが、無意識のものを意識化するというのは、楽しい。自分の身体を自分で操縦している、、、ということだからだ。
日本語をわざと喉発音で喋る、、、というのも時と場合によってはよいのではないだろうか。凄みとか、クールさ、渋さを必要とするようなシチュエーションとか。
「どうも、もうしわけありませんでした。私どもの責任です」
を喉発音で言うと、「何をぬかしとんのじゃ、えらそうに」と怒られてしまうだろう。ところが、
「おじょうさん、ハンカチが落ちましたよ」とか、「おまえにも、故郷におふくろがいるだろう。お母さんが今のおまえを見たらどう思う?」などと言う台詞は、日常生活でよく使う表現だが、やはり喉発音のほうがぴしっと決まると思う。
Kの音については「痛い」想い出があります。様々な発音に関する指導書に舌の奥を屋根に
強くつけて息をせき止め、開放(破裂)させる時に出る音とありこれを実践していました。
するとどうなると思われますか?10分もこれを練習すると喉が痛くなって大変です。
何度かこれで気管支を痛めて抗生物質をのみました。まさか病院の先生にKの音を練習
しすぎましてとも言えず、「夕べカラオケを歌いすぎたからかも知れません。」などと適当に
でっち上げておりました。今でもこの時代の後遺症はやや残っております。
英語のK音は確かに日本語のK音より奥の方で調音している様に聴こえ、それが舌を屋根につけ
るからだと錯覚しやすいんですよね。実は喉で発声する為深く聴こえるんでしょうけど・・・。
そういえばあの小林克也氏も以前「自分はもう日本語のかきくけこは言えなくなっちゃった。」
と言ってました。
舌が屋根に着かない事は、何故か音声だけ聴くと解りずらく、実際のネイティブを目の前にして
音を聴くと直ぐに了解できるような気がします。以上笑ってやってください。
痛いですね、これは。本当に大変なご経験ですね。
とはいえ、非常に興味深いコメントありがとうございました。また、小林氏がそういうことをおっしゃっていたんですか、、、面白い。
喉を痛めたことが、喉の存在を意識するきっかけになった、、、ということはありませんか?
もちろんわざと痛めるということはナンセンスですが、私の場合、息を吸いながら喋ると、ちょっと喉がひりひりします。そしてそのヒリヒリ感のおかげで、喉の全体を意識することができました。今までぜんぜん意識していなかった自分の身体を自分のコントロール化においた、、、って感じです。
ただし、わざとヒリヒリ感を出そうとすると喉を痛めるので気をつけないと、、、。