今日は、日本時間の早朝6時ごろ(土曜)にもしかしたら、ラジオをちょこっとやるかもしれないけど、やらないかもしれない。
さて、KAZYさんのBLOGの発展が楽しみなところだが、感覚的というキーワードが気に入っている。英語というのはやっぱり感覚的にやるものだ。暗記をして、それ会話の途中に取り出すという感じで対応できるものではない。感覚的に喋るし、またシラブルにしても、ぼんぼんぼんという感覚的なリズムに乗る必要がある。
3歳だったメイでさえ、日本語をおうむ返しに繰り返していた時期があるが、それは音声学の本でトレーニングしたわけではなくて、感覚でやっていたのだ。英語を繰り返させると、まったくシラブルの間違いなしに、言い返してきていた。
3歳でもできるのだから、大人にもできるはずである。
私は、自動車の運転が最近うまくなってきたと思うのだが、前は理論で運転していた。今は感覚で運転している。
理論で運転していたころは、例えば、両側の線のなかのまんなかを走るぞという感覚で運転していた。昼よりも夜の運転を楽に感じた。情報がすくなく、道路だけみていればよかった。ところが、運転が下手で、よくまわりから警笛?をならされた。
今は感覚で運転している。自分自身が自動車になったような感覚にしておいて、回りの自動車を人のような感じでとらえている。マラソンをするときに、周りの人を肌で感じながら、ぶつかならないように走るが、あれと同じ感覚でフリーウェイを走っている。
すると、うまく回りのとっさの出来事に対応しながら運転できる。周りを見ながら喋るので、地形を覚えてしまうので、あまり道にまよわなくなった(前は、ストリートの名前とかに頼って運転していたが、今は景色を感覚的にとらえていて、自分の位置を知っている)。
ちなみに今では夜の運転が苦痛になった。情報量が少なくて、あぶないと思うからだ。
英語喉でも同じことがいえそうだ。前は文法や文脈にたよって会話をしていたのだと思う。
今は、人間と人間のコミュニケーションと言う感じで、相手のフィーリングなどもよく分かる。