喉実践者さんのKさんの音声を昨日聞かせてもらった。うーん、よくなっている。喉革命をされて、それから実践で使われていたので、洗練されてきている。
氏がおっしゃったことで皆さんにも役に立ちそうなことがある。それは、最初のころに氏は、英語発音を直す=個々の音を直す、、、というイメージがあったが、私たちの指導では、個々の音がどうのこうのというアドバイスの前にまずは全体的に深くしてくれ、、、というアドバイスだったわけで、それを実行したら、全体的によくなった、、、ということだった。
まさにそのとおりで、最初の最初に送ってもらう音声(喉の練習素材である弁当パッセージ)というのは例えばだが、PICKLESのKのところにいらない母音がついていたりする。PICKULESみたいに。
喉発音が全体的にまだ浅いときに、そのことを指摘しても無駄なのだ。まずは深いところで発音できないと、そのいらない母音を捨てろと指導しても無理。子音のKを独立して発音するためには、喉で発音しないと無理だからだ。
従来のやりかたは個々の音がそれぞれものすごく違うというイメージがある。だから、個々の音をいちいち指摘して、直そうとする。ちょっとづつうまくなるというイメージがあるからだ。
例えばPだと、スイカの種を遠くにとばすようなイメージだとか、はちゃめちゃなことが書いてあるわけだ。日本語を強く激しく言えば、英語になるというものすごく単純な発想だが、これは明治以来、富国強兵のなかで、発生したラジオ体操とか、ナギナタの練習とか、そういうものの名残ではないだろうか。我々の学習文化は無意識のうちに、そういうやり方を真ととらえてしまうのである。
そういう文化は常に権力を持つもの、弱いものという構図があり、またその構図は「就職」という制度でバックアップされているため、簡単には突き崩せない。私が、このことを書けるのは日本で就職する必要がないからである。
従来の真とされていることにいちゃもんをつけると就職ができないのである。
逆に喉のパラダイムではどの音も単に喉深くから出せば出る、、、という非常にシンプルなものだ。それどころか英語以外のヨーロッパ言語も同じやりかたでできるのである。
従来のパラダイムでは、個々の音がものすごく違う、、、とういイメージだ。喉のパラダイムでは音は単なる音で、喉でまねりゃいいんでしょ、、、となる。だから赤ちゃんが言葉を喋れるようになるのである。
最後に、先日、今日本で英語(そして自然に話されている英語)を100%聞けて理解できているのは私だけではないか、、、という素朴な疑問を発したのだが、いろいろとメールをいただいた結果、もしかしてそれは本当ではないか、、、という気がしてきている。だとするとセンター試験などで聞き取り試験をするのは反則ではないだろうか。だって、誰も聞き取りができないのに、試験をするとは、、、やはり反則ではないだろうか。
まずはメソッドがあり、それが国全体で指導されてから、そういう試験は可能になるのではないだろうか。
私だけができるというと傲慢のようだが、実際、アメリカに住んでいて、日本人以外のほとんどの外国人は、少し住めば、誰でも聞き取りが100%できているのである(もちろん、生活が大変で英語どころで無い人はいるが、それは例外とされてもらう、、、ただそういう人でも、音自体は聞こえているようだ。)。
ロシアから移住してきてたった数年という人でも英語で映画をみて大笑いをしているのである。それは喉と3ビートを母国語でもやっているから、聞こえるのだ。住んでいるうちに意味もわかってくるのである。