中学の時の親友の娘さん(中学生)が英語が好きじゃということで、田舎の親を通じて本をもらってもらった。その本をあげるときに、母が、「難しすぎたら、誰かにあげてえね」と言って渡しといたよ、、、ということだった。
うーん、「夢はかなうよ、がんばれば、、、ファイトファイト、、、レッスンごとにマスターしたらちぎって食べてね」とか言っといてほしかった、、、というのは冗談だ。
そもそも、その友人と電話で話をしているときRとLの違いを教えてあげたら、3秒ぐらいでLとRの区別ができるようになった。Rは、ボヘミアーン、、の葛城ゆきさんが言っているような音で、Lはそうじゃない、、、と教えて、LIGHTとRIGHTを聞かせてあげたら、うん、ほうじゃね、ようわかるねえ、、、と言ってくれた。3秒といったが、時間の問題ではない。発想の転換かな。
娘さんにも電話で指導してあげたら、最初の難関である「ゲップエリアの定位置化」に成功できると思う。それさえできれば、あとは楽だ。
皮肉なものである。喉発音は哺乳類のもっとも原始的な発音方法である。日本語は口発音を要求されるので、幼児期にマスターするのが口発音だ。
それを脱学習(とでも呼ぼうか)しないといけない。厳密な意味で、これは練習というより、やっていること(口発音)をやめる、、、ということだ。
だから、がんばってがんばらない、、、という妙なことが大切となる。
我々はがんばって口発音をしているのだから、それをがんばらないことで喉発音に移行するのだ。
喉に力を入れないことが、なんで難しいかというと、日本語では「言う」=「喉で力む」なのだ。力まなくても言えるんだ、、、ということができるようになるのは、逆に難しく、発想の転換がいる(音を出さずに屁をしろ、、、と言われているようなものだ。)
ところが、響きだすとがんがん響きだす。
最近、地下鉄に乗っていて、アメリカ人の声が右左から聞こえてくるときに、「これはかえるの合唱か?」と思うことがある。ゲコゲコゲコって感じの音色が車両内にがんがん響いている(3ビートでだが)。
結局のところ、これまで日本人が声の質、、と思って無視していた部分が、じつは英語や他のヨーロッパ言語では音の核だった、、、ということだ。