学習者のもっているものをうまく生かしながら教える、、、ということが大切だろう。 http://blog.with2.net/link.php?709532:1932
そういう意味で、すでに広島人が持っている喉発音ぎみな事実を生かしながら英語ができたら、うまくいくだろう。 残念ながら、現在の教育ポリシーは、学校に長く行って、教育レベルの高い人達が管理しているので、喉発音が認められにくい。教育年数が長いほど、口発音傾向が高い。 そもそも、エリートの大学に行く人は、やはり大都市圏からが多いし、大都市は、兵庫県よりも東に位置している場合が多いので、西日本の良い意味での「荒さ」が、教育ポリシーに影響することは難しい。 だから、なんでもかんでも、文法をきっちりととか、「言語の気づき」を大切にとか、そういう、子供が知らないようなことばかり、大人じゃないとワカラないようなことばかりが、強い。
子供、学習者が持っているものを、生かせないものだろうか? 今朝、メールを開けたら、ミシガンの高校の先生からメッセージが来ていた。来年度、統計学を教えるのだけど、あなたの書いたものが、面白いと思っていて、ちょっと話を聞かせてもらえないだろうか?ということだ。
自分で言うのはなんだが、この文書は、学習者が自然にもつCURIOSITYを生かした感じで、教えようとしているように思う。 今回、その高校の先生と話がすすめば、この文書を次のレベルに持っていけるかも?
しかし、アメリカには受験やら教科書検定がないので、こんな自由なコラボができるのだろう。どうやったらうまく教えられるだろう?なんて、ぐぐって、みつけて、メッセージくれて、じゃ、今度喋りましょうか?という展開は、非常に、グローバル時代に合っていると思う。