今日は意味の意味と称して、抽象的な話をします。学者のかたがた、感動しても、ぱくらないでくださいね(笑)。
http://blog.with2.net/link.php?709532:1932
NASHITAROさんの書いてらっしゃることに膝をうちました。
http://blog.livedoor.jp/nashitarou/archives/6794459.html
NASHITAROさんいわく、昔、帰国子女のかたが、日本語を英語に訳してと頼まれて少し時間がかかる理由は
英語をまず、意味にして、意味を日本語にするから、時間がかかるとおっしゃそうです。
これは、非常に有意義な点です。
NASHITAROさんは、以下のようにおっしゃっています。
「英語と日本語は一対一ではないのです。
英語と日本語は本来つながりません。
もしつなげるなら、間に意味が必要です。」
これは本当に正しい。まず具体的に言うと、私が教えるとき、最後にいつもYOUTUBEなどから音声を聞いてもらい、「意味は考えないでください」とお願いします。気が散るからです。さらに、知っている単語だったら、どうせあちらから意味がやってくる感じになるからです。
厳密に言うと、日本語に訳そうとしないでください、、、というと、NASHITAROさんの書いたことと同じになります。
でも、そういう意味とややこしいので、意味を考えないでください、、、どうせあちらから勝手にやってきます、、、と言っています。
意味というのは、人間として、あたり前のように、脳が判断してしまいます。
例えば、背後で、ご~~~とトラックの近づく音がしたら、人間として、「危険だ」と日本語に訳さなくても、直感的に、その「ご~~~」という音の意味を脳が理解してしまうでしょう。
もちろん、ぼ~としていたら、その音も聞こえないこともありますから、脳はスイッチがONだったりOFFだったりですが。
皆さんのなかには、英語がぺらぺらと出てこなくて、困っておられるかたがおられるかもしれません。
思うに、私の頭のなかでは、日本語を英語にしていないのです。
日本語を英語にしていない世界というのは、意味でつながっているんです。
例えば、あ、時間がない、行かないとと感じるのが意味ですが、その意味は、
I gotta go
I need to go
I must go
などとつながっています。しかし、日本語を介入させると、NEEDとMUSTの意味が違うと目くじらを立てるでしょう。
でも同じなんです。GOTTA GOもNEED TO GOも、MUST GOも同じなんです。
I love it! と Great! も同じ意味なんです。日本語にいちいち訳さない世界ではね。
ニュアンスが違うでしょう?とおっしゃるかもしれませんが、私の「意味世界」では同じです。もちろん、そのときの、いらつき具合によっては、発声のしかた、音の大きさ、表情、などなどが、いらつき具合を勝手に表してくれます。
字には書けない世界の話です。
従来の学問は、字に書けることだけを扱っています。だから、NEEDとMUSTの違いはどうだと、けんけんがくがくになるのですが、不毛の説明です。
WILLとAm GOING TOはどう違うか?も同じです。
私自身の気持ちのなかの意味が同じなんです。だからWILLと AM GOING TOは同じなんです。
私という主観の意味の世界ではね。
文法を勉強すればするほど、英語ができなくなる理由がここにあります。WILLとAM GOING TOの字の世界での違いを意識しながらは、SPONTANEOUSな会話ができなります。
右足の次は、左足をだす、そのあとは右足を出す、、と考えながら歩いていると、逆に歩けなくなってきます。それと同じです。
英語喉を知らない人にとっては、狂気の発言かもしれませんね。
WANTとNEED、そしてMUSTが主観の意味世界では同じだなんて。
でも同じじゃないと、喋れないんです。
聞けて、発音できれば、なぜ英語がどんどん上達するかというと、日本語をかいさなくなりますから、例えば、I LOVE ITという表現を知らなかったとしても、GREATといっておけばいいと直感的に分かるのです。だって、意味が同じなのですから。
NEEDだろうが、MUSTだろうが、どっちでもいいというということが、日本語を介さなければ、意味でわかるんです。だから、MUSTを知らなかったとしてもNEEDだけ知っていればいい。
つまり、聞けて、発音できて、日本語を介さない世界では、ボキャブラリーが小さくても喋れるということです。
スペイン語でいうと、MUY BIENだけ知っていれば、その他の高度な言い方を知らなくても、シチュエーションに対応できるということです。