今日は、非常に大切なプレゼンテーションをしたんだが、まあ結構うまくいったので、よかった。ただし、リラックス口、喉発音が持続しなかったのかな、、、最後のところで、誰かが批判的な(建設的なね)コメントを言ってくれているときに、人が、「不満に思わないでね?」みたいなフォローをしたのだが(ありゃ、カズが批判を受けて、不満に思っていると思ったのかな)、これって私の息づかいがちょっとコントロールできなかったかな?と思った。
ちょっと気を許すと怒っている?とか思われる息づかい、口の閉じ方になってしまうので、気をつけるぞ!
ちょっと誰かが冗談を言っていると、「冗談ですよ、まじにとらないで」と言われたりする、、、といいつつも、最近は結構そういうことがなくなっている。そういえば。逆に、冗談で返したりできている。今日のプレゼンは少しだけ緊張する場面があった。でもその原因は、そのスライドのところが練習不足だったからかもしれない。
ちなみに、大学のとき、メキシコでホームステイをしたのが、ことあるたびに、「怒っているのか?」と聞かれたのだ。帰国後それをネタに英語のスピーチを書いて大会に出たら、全日本大会で優勝してしまった。アメリカへの往復チケットをもらったことを覚えている。
スピーチのタイトルはARE YOU ANGRY?だった。1988年ぐらいのJUEL杯だった。
ただし、そのときはまさか、口の結び方、息の仕方、音のCHOPPYさが、怒っている、硬いというイメージをメキシコ人に与えてたとは夢にも思わなかった。
スピーチの展開上、メキシコ人の家族との交流のなかで、そういう困難を乗り越えたということになったのだが、結局は、根本的なレベルでは乗り越えてなかったのだなあ。喉大陸発見までは。
根本的ってどういうことでしょう。つまり、特定の個人とは、仲がよくなったので、怒っていると思われなくなった。でも、そうでない一般の外国人と会うと1から始めないといけないということだ。これが根本的という意味だ。
なんでメキシコ?アメリカでそういうスピーチが生まれなかったのは、結局、アメリカのコミュニティーとの接触があまりなかったからだろう。透明人間と化すのである。アメリカに短期で留学しても、日本人同士でつるむというのが普通だ。アメリカ留学後に、えらく国家主義的な思想にそまることがあるが、それはやはりそういうことだろう。透明人間を1年もやるなら、誰だっていやになる。その国が。
メキシコでは透明人間になる余地がなかった。メキシコ人家庭に世話になったが、人が来る来る。昼に、近所の親戚がきて、ランチをとる。週末にも人があつまる。常にスペイン語を喋る状態にあった。そのために、え、なんでカズが怒っているの?という疑問が沸いたようだ。1987年のことだった。
誕生日もやってもらった。ちょうど同じ日が誕生日の人が3人集まって。そのときの、ホストファーザーとマザーは亡くなってしまった。マザーのほうは、家族旅行でイタリアに行き、帰ってきたあと倒れてしまった。ファーザーもなくなった。このあいだ、ホストシスターと喋ったときは、ホストマザーが亡くなる前にも私のことをよく懐かしく話していたということを聞いた。スペイン語ができなかったとき、食中毒になり、夜中に私がマザーに、「ワカラ、ワカラ」と訴えたことが、マザーの思い出だったらしい。ワカラというのは、げろーーーっとかおえーーーって意味で、メキシコ人がいやな食べ物に関して使う表現だ。食中毒で、まさにそういう状況だったので、その表現をサバイバル的に私は使ったのだろう。
ファーザーが医者だったので、強力な薬で治したが、1週間は苦しんだ。関係ないが、部屋のクロゼットに本物の骸骨があったのだが、ありゃなんじゃったんだろう。メキシコでは骸骨がなんか文化的に意味を持つと聞いたことがある。
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