機関銃英語が聞き取れる、、、は機関銃のように聞こえがちな英語を、人間の言葉に聞こえるようにしましょうというのが、背後の思いである、、、と書いたが、これは出版社さんが考えてくれたことで、言われてみて、こちらが初めて、そうなんですよねえと、膝を打った感じだ。
機関銃のように速く聞こえる言語が急にスローダウンして聞こえる、、、これはよく考えると理にかなっている。この世の中に速すぎて聞こえないような言語はない。理解できないほど、早いスピードでしゃべるということは、あまり考えられない。言語は理解されるのが目的なのだから。
運転していて、前は、道路の表面的な情報を見て、おどおどしながら運転していたというのは、前に書いた。ところが、道路や周りの景色を立体的に見ながら運転し始めると、急に、周りのスピードがスローダウンしだした、、、という経験がある。だって、周りの自動車を見ていると、スピードがゼロ、とまったかのような感覚にとらわれる。そりゃそうだ。だいたい同じスピードで走っている周りの自動車に、当たらないぞ、事故を起こさないぞ、と念じて、よく見ながら運転していると、まわりが止まって見える(これは相対性理論としてアインシュタインが証明しているが、、、ってのは適当に言ってみただけです)。
それに似たような経験を学習者にはしてもらいたいものだ。シラブルのリズムを聞き、その塊が、大切な塊なのだということに気づき、その原理を体得し、集中的に練習してもらう。
これが 機関銃英語が聞き取れる!という新しい書籍であり、新しい練習のパラダイムである。
今回はあえて練習と呼ぶ。というのは原理を体得したあとで、それが身につくように練習するというのは、やはり大切なプロセスである。
原理を体得せずに、単に繰り返すというのは、良くない。あるいは原理ではないものを原理だと思い込んでそれを練習するのも、効率が悪いだろう。
皆さんは、日本の空港で流れる英語のアナウンスを聞いたことがあるだろうか。ものすごいゆっくりしたスピードで一つ一つの単語ごとに読んでいくのが日本流のアナウンス英語であるが、あの英語はものすごい矛盾をはらんでいる。
英語喉革命を体験したものにしかわからないかもしれない。
あの英語アナウンスはそもそも外国人用のものである。したがって英語がわかる外国人用のものだ。英語が分かる外国人はそもそも聞き取りなどに問題がない。だから、あんなにゆーっくり読む必要がないのである。
日本人の感覚で考えて親切に、ゆっくり英語を読んでいるわけだが、実はゆっくり読む必要がないのである。というのは、日本語話者と朝鮮語話者以外の英語学習者たちは、そもそも自分たちの母語が3ビートであり、喉発音であるので、日本人のように聞き取りに苦労しないのである。
逆にゆっくり読まれると気が散って、分からなくなるかもしれない。
さて、逆に、皆さんはアメリカなどの空港で聞くアナウンスが機関銃的でわけがわからんと思われるかもしれないが、日本人、韓国人以外の外国人は、そう思っていない。
それは、シラブルが何かを無意識のうちに知っているからである。
最近、また藤原さんの国家の品格というのをトイレで読んでいるのだが、やはりあの本は、英語ができず、外国人とのコミュニケーションが全然出来ない人が、本からの知識と想像で外国について語った本であるなあと思う。
アメリカは論理で通すという点を藤原さんは主張しているが、それは全然、事実と異なる。おそらく、藤原さんが英語ができない、聞こえないから、相手が、論理的な感じで、AですかBですか、みたいな選択を迫るようなしゃべりかたをしていて、それで「あー、アメリカ人は論理的だ」と思ったのでなかろうか。
アメリカでは、論理で戦うと藤原さんは述べているがそんなことは無いと思う。アメリカの職場で大切とされるのは、まさにグループワークであり、和をもって尊しとされる精神であり、それは日本と全く同じだ。
まずは、我々が英語が聞けて、言えるという状態になり、そしてある程度のコミュニケーションをする。そんななかでわかってくる外国とか、日本文化とかがあるだろう。
この作業に10年ぐらいかかると思うのだが、ぜひ、皆さん、一緒にやりましょう!
> やはり英語が聞けて、言えて、通じると世界が見えてくるはず
「当たり前のように英語を聞き、当たり前のように英語
を話す。あなたにもできます」
このかずさんの言葉を自分のものにすることをいつも
考えています。
「機関銃英語・・・」が楽しみです。
Yasです。メールで相談させていただこうかと思ったのですが、アドレスを見つけることができなかったのでこちらに書かせて頂きます。
2010年の秋学期から、アメリカ大学院で社会学博士課程に入りたいと考えています。
理由は、自分自身がある病気に苦しんだ事です。それを社会学的に分析したいのです。人種、経済階級、教育、あるいは時代によって影響される類の病気と思います。よって、健康社会学、あるいは臨床社会学に分類されるかもしれません。日本でもこの病気は必ずもっと一般的になるので、有望な分野だと思っています。
相談は、まず金銭面です。
アメリカ院のHPや、Kazさんの以前のHPによれば、有名所の社会学博士課程では、一年目から奨学金、学費免除、TA、RAの給与で、
全ての費用がまかなえる可能性が高いとの事です。つまり、学費はおろか生活費も少しのお小遣いまでカバーできると。途上国からの留学生は、どの院から一番お金がもらえるか、が入学決定の重要な判断基準になる、と。
①同期入学者の何割位がが一銭も払わず院生生活を送れるのでしょうか?つまり、生活費も含めて、一切出費がない様な状況が可能な院生はどの程度一般的なのでしょうか?Kazさんのシカゴ大の経験を教えてください。
②仮に、学費免除、奨学金等で、生活費も含め全てがカバーできるとすると、例えば途上国からの留学生は、行きのチケット代だけを払ってアメリカに入国し、
大学院生活を開始するのでしょうか?どうもそう言う例が多いと聞きますが、かなり信じがたいです・・。それとも、しっかり一年分くらいの生活費は用意しているのでしょうか(つまり、奨学金、TA、RAは確実でない等)?真相の程はどうでしょう?
もう一つは、年齢面です。
僕は今33歳です。2010年には35歳。PhD取得に5年以上とすると、40過ぎになります。僕のキャリアは英語塾講師だけです。この点、いかが思いますか?
日本的な常識で行くと、「何を考えているんだ」となります。そして、貯金がありません(だから、奨学金等の状況の詳細が気になるのです)。
アメリカや、カナダの人は日本人以上に人生で冒険をする傾向があると思いますが、僕はやはり日本人で、日本人の親がいて、将来は日本に帰ってきて、
社会に貢献したいと思っています。よって、年齢、金銭面、キャリア面等を考えると、自分は何か根本的に間違えているのか?と思い、Kazさんのアドバイスを仰ぎたいです。
ちなみにカナダの大学で社会学の学士を貰っています。
YASさん
メールください。question AT estat.us です。