http://www.keio-up.co.jp/np/isbn/9784766416565/
この本を読んでみようと思う。とりよせて。この本の1筆者である津田さんの考え方に関しては20年ほど前、同志社大学の学部時代に論文を書いたことがある(英語で)。津田さんや、他の論者たちの言っていることを、20代前半の私は「AWKWARD THEORYと読んで、批判をしているが、単にへんてこりんな理論ではなくて、実は、それが西洋文明へのややいびつな偏見につながると指摘した。それが学内の論文集に載ったので、それをライティングサンプルとしてシカゴ大学の大学院の応募に使った経緯がある。参考までに www.estat.us/Itheory.pdf これがその論文(ちょっとプリントがうすい?)
当時、指導してくれていた英文科のLEO LOVEDAY先生が、推薦してくれた。
津田さんは、英語ばっかり勉強するのは、イデオロギーのようなもんだという感じの批判をされている。しかし、喉パラダイムから考えると、そういう批判が出るのは、英語が日本人にとって難しかったからである。世界の他の民族は英語が難しいと思っていない(朝鮮語話者は除く)。
このライティングサンプルのおかげで、大学院に合格することができたのではないかと思う。そういう意味では、感謝をしなければならない。津田さんたちや、ダグラス ラミスサン達に(引用して、批判をさせてもらった。)
熱っぽく、英語を押し付けるな、という感じの言説が生まれるのは、英語が、これまで難しかったからではなかろうか?英語の音が喉から出ていることを聞いてほしい。全ての音が聞けるようになる。英語にも日本語のヒラガナにあたるシラブルがあること、そしてそのシラブルを一つ一つ聞くと、全部聞けるのだ。
理論的に考えて、聞くのが難しい英語とかいうのは、ない。例えば、WIGとWIZというシラブルがあるとする。その意味を知っている知っていないに関わらず、両者が聞こえる難易度は同じだ。日本人は、聞くのが難しい英語があると思い込んでいるが、それは違う。ナマリの違いというのあるが、
THIS IS A PENが聴き取れる人は WIG WIZ HIG ZIGというナンセンスな塊も聞ける。さらに、難しい単語が並んでいても、音としては入ってくる。
リスニングに難易度などないのだ。
***これをとりよせてみる***
私の立場から言えば、英語教育に英語喉と機関銃英語をとりいれてもらったら、それでよいのだと思う。聞けて言えるようになれば、英語が日本人でもあやつれるようになる。誰でも比較的楽にマスターできるようになれば、あまり難しい話をする必要が無いのではないかと思う。
これまで日本人は、発音を口の体操と思っていたから、発音できなかったし、シラブルを聞いていなかったから聞き取りもできなかった。そんななかで英語を喋ろうとするのは、暗闇のなかで糸を針の穴に通そうとするようなものである。
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I 学校英語教育の現状と課題
「戦略構想」、「小学校英語」、「TOEIC」
――あるいは、ここが正念場の英語教育 大津由紀雄
学校英語教育とは何か 山田雄一郎
日本の英語教育界に学問の良識を取り戻せ 斎藤兆史
学校英語教育の見通し
――言語コミュニケーション力論・複言語主義・コミュニケーション論 柳瀬陽介
日本人は英語が使えなければならないのか?
――「英語信仰」からの脱却と「日本語本位の教育」の確立 津田幸男
II 英語教育を取り巻く社会の力学
主権「財界」から主権「在民」の外国語教育政策へ 江利川春雄
「戦略構想」への2つの懸念 三浦孝
III 新しい言語教育へのアプローチ
もっと豊かな言語教育を 古石篤子
言語教育の全体像を探る試み――4つの技能、3つの指導内容、2つの能力 末岡敏明
〈教育実践報告〉子どもの立場で「言語教育」を
――先生! ことばのふしぎをもっと知りたいな 齋藤菊枝
IV さまざまな視点から見た言語教育
言語リテラシー教育の政策とイデオロギー 佐藤学
複言語主義における言語意識教育――イギリスの言語意識運動の新たな可能性 福田浩子
仮想「小学校英語覆面座談会」――反対派も賛成派も本音で語る小学校英語 菅正隆
資料