言語は字である前に音である。例えば、字がまだ公教育で教えられていないときなど、言語は主に音として存在した。
うん、そういえば、日本語ぺらぺらの在日外国人たちのあいだには、日本語は書いたり読んだりできないけど、ぺらぺらな人がたくさんいる。
つまり、読み書きと、実際に英語をしゃべることは、別物として考えることが望ましい。今でも世界の貧しい国では、読み書きができない人がたくさんいる。しかし、その人たちは当然、言葉をしゃべることができる。
しゃべるようになってから、読み書きを心配したほうがよいのかもしれない。
さて、前置きが長くなったが、最近、あーだから通じなかったのかと思われることがいくつかあった。さっきも、愛犬の特別なドッグフードをVET(動物病院)に買いに行った。苗字は何かと言うので、U-E-K-A-W-Aとスペルをいったら、あちらは納得して、なにやらコンピュータにデータを入力していた。
まてよ、、、と。
そういえば、口発音時代はいつも、どんなにはっきりと、U-E-K-A-W-Aと言っても、ネイティブは
U-E-K-W-A?
と言い返してきていた。
今では、言い返しの確認もないどころか確実に通じている。
なぜだろう。一応言っておくが、口発音時代は、私は、英語にはかなり自信があった。なのに、U-E-K-A-W-Aとはっきりいっても、絶対にU-E-K-W-Aと、言い返してくるのだ(そのうち、UEK AWAという具合に、まんなかで切って説明するようになった)。
なーるほど。今分かったことがある。
ユー イー ケー エー (UEKA)のところでAが消えてしまっていたのだ!
ケー エー(KA)のとこだけ注目してほしい。
KEIY-YEIといわないと通じないのだ。
ケー エー (KE-E-)だと、Kだけ言ったように聞こえるのである(KEI-EI-だとましかもしれないが、それでも聞き返して確認したいという感じになるのかもしれない。)
なーるほど。
面白いのは、喉が定着した今、あまりに確実に通じるために、相手は、言い返すことで確認もしてこないのである。
さて、なぜこのことに気がついたかというと(このこと=口発音だと母音が続くと通じない)、数週間前に、犬の散歩をしているときに、隣人にばったりであい、ちょうどそのときに、愛犬がおしっこをしていたので、
HE IS PEEING
と私が言ったのだが、ぜんぜん通じなかったのである。
へ?
って感じで聞き返してきた。これも上の例と同じ理由で通じなかったのだと思う(これはジーナに確認した)。
PEEINGはPIY-YINGという風に、Yを入れて、2シラブルとして発音しないと、その単語だと認識されないのである。実際にはYを入れるというよりも、喉発音の位置を首の根元にしておけば、Yが自然に生じるのである。
私はそれをなぜか忘れていてYが出なかったのだが、ネイティブのほうからみると
PINGみたいに聞こえたのだ。
つまり、自分はPEEINGを発音するとに、イーのところを十分長く発音しているのだから、ピーイングと認識されるだろうと思っていったのだが、英語では音の長さは意味に関係しないのだ。
正しくPEEINGを発音するには、2シラブルにしないといけない。するとPIY-YINGとしなければ、2シラブルと認知されず、いくら、イーのところを長く発音しても、PINGのように理解されてしまうのである。
ということは、日本人の発音するING形は、すべて、微妙に分かりにくいのではないだろうか。そういえば、口発音時代、BULLYINGという単語を何回発音しても、理解してもらえなかった。ブリングという感じに相手には聞こえたのだろう。
口発音で絶対に通じない一つの例である。
言語は音だということから始まったが、大切なのは、PEEINGという単語でいうと、まずは音が大切なのである。つづりは、二の次なのだ。
小学校英語の教え方という観点からみると、なにか、学べるものがあるのではなかろうか。
さて、英語喉をまだ試しておられないかたがたは、上の話が信じがたいかもしれない。音を伸ばすことが英語の意味に全く関係しないといわれても、辞書には伸ばす記号があるではないか!と、言われるかもしれない。
音を伸ばす記号は確かに例えばSHEEPという単語などの発音に i: という感じで使われている。しかし、あれは、たんなる決まりごとなのである。ネイティブにとっても、なんとなく、SHEEPのイが長い感じのイメージがあるので、そのイメージを利用しているだけなのだ。長く伸ばしているように聞こえるほうの発音のイという意味である。実際には長さは意味に関係しない。
これは分かりにくい点だ。今日も朝日が昇った、、、という表現と同じである。日は昇らない。日、つまり太陽は太陽系の中心にあり、いちいち、あ、時間がきたから、地球のちかくにいって、昇ってやるか、とならない。ところが、まあ、昇るという表現を、まあOKとしておれば、会話が楽である。
辞書にあるi:も同じような決まりごとだ。そうしないと、国や地域によって違う英語の母音の発音すべてを網羅するような発音記号を列挙しなくてはいけなくなり、辞書が全体で1キロメートルぐらいになってしまう。
よしかわ邦弘です。わたしの投稿に共感いただき、ありがとうございます。わたしも嬉しく思います。
さて、上記の上川さんの文章について、大いに賛同し、自分なりに考察をめぐらせてみました。以下のような理解でよろしいでしょうか。
1.
英語喉によって、つづり字の世界では表現されていないオトの世界がどんどんと探求されつつある。
それは、口英語の世界ではわかりえない内容である。たとえば、
「PEEINGはPIY-YINGという風に、(口発音では絶対に発音できない)Yを入れて、2シラブルとして発音しないと、その単語だと認識されないのである。実際にはYを入れるというよりも、喉発音の位置を首の根元にしておけば、Yが自然に生じるのである。」
という分析。これは、英語ネイティブの会話の中で成立し、しかしながら、つづり字の中からは垣間見えない、そういう世界での事実であり、現在、日本人の間で(上川氏を先頭に)新たに発見されつつある事実である。
同時に、この分析は、口英語の世界の日本人に対して
「SINGとSEEINGを、スィング、スィーイングとどれだけ音の長さを変えて、さらに口の形を変えて発音しても英語ネイティブには区別がつかないよ」と言っているのであって、かなり厳しい指摘にもなっている。
そして口英語の世界の中ではSINGとSEEINGを区別する代替手段はないとも述べているのだから、ほぼ彼らへの死亡宣告に近い。
2.
「PEEINGはPIY-YINGという風に、Yを入れて、2シラブルとして発音しないと、その単語だと認識されないのである。実際にはYを入れるというよりも、喉発音の位置を首の根元にしておけば、Yが自然に生じるのである。」とある。
この「Y」を、発音として認知するかどうかは、各言語の間で相違がある。
たしかに、英語の世界ではこのY発音は発音として認知されていない。
ただしフランス語の世界では、英語と同様のオト現象が発生しており、かつ、それが発音として正式に認知されている。
それが、いわゆる「半母音のj」である。
(半母音の説明)
http://skomatsu.free.fr/hatsuon/hatsuonUNICODE.htm
半母音
「i+母音字」 [ i ]→[ j ] piano [p jano ]
「母音字+il(l)」 ~ィユ[ j ]
例) travail [ tʀavaj ] , soleil [sɔlɛ j ] , famille [ famij ] , juillet [ʒɥ j ɛ]
(半母音の発音確認)
http://www.francophone.jp/prononciation/10_semivoyelle_i.html
言い換えるなら、英語喉ブログでの上川さんのこの文章は、フランス語において半母音「j」の発音がなぜ、必要かということの理屈まで説明してしまっているのだ。
以上
上川さんが「言語は字である前に音である」と主張に、わたしも賛同します。
かつ、英語喉を武器とした上川さんの、オト世界の分析は、
英語の世界だけでなく、喉発音をするその他の言語のオト現象(規則)も同時に解明してしまうものだと思います。
たとえば、わたしは、今回の上川さんの文章を、
「フランス語の半母音のjの発音を、英語においてもきちんと適用しないと、英語ネイティブに通じない。なぜなら、このオト現象は、喉発音する言語に共通して発生する現象(規則)で、彼らは、それを前提として、オトを理解するからです。」
という風に解釈しました。
また、このような解釈の別の事例として、
以下のような「仮説」をたてました。英語喉に出会わなければ築けなかった仮説です。検証いただければ幸いです。よろしくお願いします。
<題名>
なぜ、SR(二重子音)のつづりで始まる英単語は存在せず、代わりにSTR(三重子音)のつづりで始まる英単語がたくさん存在するのか?
<仮説>
(1)
その原因は、つづりの世界(字の世界)にはなく、実は、オトの世界にあった。
ためしに、英語喉のやり方でSR(二重子音)を発音しようとしてみてください。だらんとした喉発音だと、どうしても、SとRの間にTの発音が入ってしまいます。Tを発音したくなくてもどうしても、STRと発音してしまいます。
このオト現象(規則)を、つづり字の世界に反映させた結果、STRで始まる英単語しか存在しなくなったのではないか。
また逆にSRという二重子音がするりと発音できるのであれば、SRで始まる英単語も当然発明されているはずだともと思う。
このように、「言語は字である前に音である」のだ。
(2)
SR(二重子音)のつづりで始まる単語が存在しないのは、英語だけでなく、フランス語、ドイツ語、スペイン語に共通している。祖先に当たるラテン語のつづり字がそうなっているから、その影響だと、これまで考えていた(←ただし、これでは、本当の理由探しになっていない)が、実は、
喉発音の世界の中ではSR(二重子音)をどうしても発音できない、というオト世界の現象(規則)を反映しているのではないか?
(3)
英語喉学習者において、この「SR(二重子音)を発音しようとしてみてください。だらんとした喉発音だと、どうしても、SとRの間にTの発音が入ってしまいます。」というのは、喉ブレーキがかかっているかどうかのテストにも使えるのではないか? 少なくともSRと発音できたら、喉ブレーキがかかっている証拠。
あるいは、このときどうしても発音してしまうTが、まさに英語喉でのT発音です、という説明も可能かもしれない。
<注:上記は、あくまで仮説です>
以上
よしかわさん
ずばり、これらの仮説は正しいのではないでしょうか。喉や口は、抽象的な存在ではなく、でこぼこがあったり、喉ぼとけがあったり、、と山あり谷ありで、非常に具体的な存在だと思うのですが、そういう制約があるなかで、何が最も人にとって楽かという観点から音が出されたり、つながったりするわけです。例えばBETTERのTTの発音など、良い例ですね。アメリカ英語で、そういうからDみたいになるというよりは、ほっておいても、アメリカ英語的な発音の枠組みのなかではDみたいに発音するのが、楽であるということですね。
そういう意味で、言語学というのは、お医者さん的アプローチ、あるいは経済学的アプローチの二つをまぜて分析すると良いのではないかと思います。
ただ(3)ですが、SとRを連続して発音できないわけではないと思います。やればできる。英語喉のグループ子音のところで書いていますが、どんな組み合わせの音でも発音できないといけない。ただ、組み合わせによっては、いいにくいという可能性もあるでしょうね。
よしかわさん
第1の投稿のほうを読むのが後になってしまいました。失礼しました。また後でコメントします。
よしかわさん
最初の投稿に関してです。
1)フランス語に関して。フランス語に関しては、よく分からないのですが、英語以外の言語の現象をかなり説明できるということは確かです。
2)英語喉アプローチが音としてのパラダイムという点、確かだと思います。従来のものは、つづりにとらわれすぎという点が一つ。それから、日本語英語でカタカナ読みしたものと原音と比べて、音が変わっただとか、つながっただとか、一喜一憂しているように思います。
3)
>そして口英語の世界の中ではSINGとSEEINGを区別する代替手段はないとも述べているのだから、ほぼ彼らへの死亡宣告に近い。
古いパラダイムは終わると思います。ただ、これは学者にとってはチャンスだと思います。新しいパラダイムを使えば、がんがん論文がかけて、国際的にも日本からかなりの情報発信になるのではないかと思います。古いパラダイムは、日本人だけでなくて、西洋の学者も同じようなことを言っているので。