最近、職場の場所が変わったのだが、それは所属するグループが本社のビルに引っ越したからだ。といっても、たったの5キロぐらいしか動いていない。
やはりカフェテリアは韓国の夫婦がきりもりしている。前の場所でも韓国の夫婦がきりもりしていた。
今日、朝定食みたいなのを頼んだら、いろいろ選択があったので、ソーセージくれと、ネイティブ発音で発音したら、韓国の若奥さんが、調理担当の若旦那に、ちょうど、日本語でいうのと全く同じような発音で、
そーせーじ 、、、 と指示をだした。
韓国人の英語と日本人の英語は、発音だけでなく、シラブル数まで同じである。
CHEESEという単語だって、英語だと1シラブルだが、韓国人が発音すると、日本語英語と全く同じだ。
チーズ、、、と2シラブルで発音される。
しかし、韓国人のほうが、英語を発音するには、少しだけ恵まれている。
日本人にとっては、子音としてだけ発音するのが当たり前なのは、Nだけなのである。ンだけだ。Sもそうかもしれないが、絶対的に簡単に子音として言えるのは、たくさんの音があるなかでNだけなのである。
韓国人には、Nに加え、少なくともMがあると思われる。キムさんという苗字は、KIMであるが、Mが独立して発音される。
日本人がその名前を発音すると、どうしても2シラブルになってしまう。
M以外にもおそらくもう少しありそうだ。
だから、日本語でンで終わる単語をいったら負けという、「しりとり遊び」が可能になるのである。
ンで始まる単語がないからだ。
他の外国語では、Nで始まる単語はたくさんあるので、しりとり遊びが永遠につながってしまい、一生かけても勝負にならないのである。
韓国語でも微妙である。
日本は人類発生といわれるアフリカ大陸から考えて最も端っこにある国であり、文化である。だから、その他の文化と比べて、言語や習慣が過激に違うのだと思う。
さて、日本語のンが出る位置によって、微妙に発音が違うというようなことを、聞くが、これは根本的に勘違いだと思う。
そもそも、なぜンなのか?というところに焦点を当てるべきだったのだと思う。それを考えていれば、日本人が口発音だから、ほとんどの子音が単独で発音がしにくいということを発見できたであろう。
ンだけは、たまたま口発音の日本人でも独立して発音ができたのである。独立して発音できるからこそ、その周りの母音からの以降のところで、ちょっとだけ、口のなかの様子が違ってしまうかもしれない、、、でも、それはさわぐほどのことだろうか?
そうではなく、なぜンだけなの(だいたいにおいて)?という質問をすべきであったのだ。
ンが現れる位置によって、微妙に違うと言っている、、、といったが、どういうことか説明したい。例えば、バンビというときや、新聞の新のところのンはMっぽいという。これは完全に勘違いである。たまたま、後続する音が唇をちかづけていく音なので、子音だけで発音可能のンのときの口のなかの形が微妙に違っているというだけであり、それをつかまえて、何か鬼の首をとったように考えるべきではない。
そうではなくて、なぜンだけなの?という質問を考えるべきであった。韓国人はMが言える、、、その他の外国人は、どんな子音でも独立して言える。なぜ日本人だけが????
そういう風な発想があれば、日本語=口発音、西洋言語=喉発音ということがもっと早く発見されたであろう。
思うに、言語を学問的に研究すると現象面(表面的な部分)だけにとらわれてしまう傾向があるように思う。それも、その現象というのは、「言語を研究するぞ」とあまりに意識過剰になっていて発音される音や、言葉にとらわれすぎだ。
社会科学などでいうホーソン効果というやつである。研究されているぞ!と研究されている人たちが、意識を持つと、どんなINTERVENTIONでも、効果がでてしまうというやつだ。ぜひホーソン効果というのをネットで調べておいてほしい。
音声学では、例えば、口のなかに器具をいれたりして口の中の動きを調べたりとか、はげしく強引な方法がとられることもある。ホーソン効果があまりにも大きすぎるのだ。
外国人に「お茶」とゆっくり発音してあげるとき、口の様子がおおげさになる、、、ことを確認してほしい。
さて、ンの話にもどるが、ンが出現する場所によって違う話は、ね、日本語にも、複雑な変化がありますよ、、、という感じのコンテクストで出てくる話なのだ。外国人も日本語で苦労しますよ、、、みたいに。
実際は、外国人は、このことを無意識だったとしても、日本人と同じような感じのンの発音の仕方になるのだ。だから、ね、日本語も難しいでしょ?とはならん。
ある本で、ンが含まれる単語をいろいろ発音してみて、口を鏡で観察せよと、あった。観察されていると思うとどうしても大げさになってしまう。だから、このときは、鼻音だとかそういう錯覚を起こしてしまうのだ。
私の専門としている社会学や社会科学では人や社会を観察されているときに、観察者の影響というのを考えるのはまず第一歩だが、言語の研究になると、そのことが忘れさられてしまうのはなぜだろうか????
音声による解説 ソーセージを英語で言うと?
www.estat.us/blog/exp_sausage.wav
日本語の「ん」と英語子音の N は、似ているが実際は違うと思います。
日本語は喉の方へ飲み込む音であり、英語は鼻から息を漏らして鳴らすような感じの音ではないでしょうか?
たしかにそうですね。ただ、ネイティブが日本語のンをまねるのも、音声学者が思っているほど、難しくないです。また、ネイティブのNを日本人がまねるのもそれほど難しくないようで、喉セミナーをしているとき、ジーナが、ちょっとNが弱いです、、と指摘するだけで、直っているので、喉さえリラックスしていれば、ミニマムな指導で直るようです。あまり強いとか弱いとかいう言い方は英語喉ではしていないのですが、Nはその程度の直感的な指導で直っています。
>日本語は喉の方へ飲み込む音であり、英語は鼻から息を漏らして鳴らすような感じの音ではないでしょうか?
そんな感じですね。
口発音時代は、おおげさに、例えばPENだと、ペンヌみたいに発音していたことを思い出しました。たぶん、英語発音が比較的上手だったかたは、そういう感じで発音することで、「俺は発音ができるなあ」と思われていたのではないでしょうか?私はそうでした。
で、実際ネイティブに、発音してみて?と言ったら、実際、ペンヌみたいに言いますからね。大げさに。でも実際のネイティブ同士の会話では、そういう風にはなっていない。結構、日本語のペンに近いような感じのNです。ペンヌよりは。
ただ、やはり日本語のNは、ご指摘のとおり、飲むかんじで、喉が閉じたかんじになり、違ってきます。ただし、それだと通じないということではないと思いますが。