「音声学」は音声を科学する学問である。言語学は言語を科学する学問である。社会学は社会を科学する学問である。ところが、日本においては学が一つ増えてしまっていると思う。

  • 音声学学 
  • 言語学学
  • 社会学学

という具合だ。

例えば、社会学というのは、本来、社会に起こる現象を理解しようとする学問なはずなのだが、多くの人が、社会学者、それも外人の社会学者の本を読み、、まとめる、、という作業をしていて、その営み自体が社会学となっている。社会学を学ぶ学問だから、社会学学だ。社会学学は大学の先生がするわけだから、それをさらに読んで勉強することは社会学学学で、学が一つ増える。つまり、

  • 音声学学学
  • 言語学学学
  • 社会学学学
  • これは冗談ではない。私自身、大学のとき、文学理論を勉強しようと思って、色々読もうとしたが、英語のは難しいので、柄谷行人氏の本を読んで理解しようとしたことがあるが(といっても、それでも理解が難しい)、、これはまさに文学学学学学であった。

    アメリカでは、ファンディング(お金)を持って来れない分野はつぶれてしまうので、政策科学としての生き残りをかけて、経済学とか社会学とかが、社会問題を直接研究している。だから、本当に社会学は社会学だし、経済学は経済学だ。学学とか学学学ではない。

    これは格好をつけていっているわけではなく、アメリカと日本を比べて、アメリカが良いといっているわけではない。アメリカのほうが、リアリティーがあり、悠長に学学学とやっていると、飯が食えないということだ。(査読つきの)論文を書いて出版しないと、権威もないし、分野に貢献できず、社会政策にも貢献できず、おいてけぼりになると、本当に存在意義がなくなってしまう。

    そういう意味で、アメリカの社会科学や認知科学は厳しい(格好をつけて言っているわけではない)。大学での就職なども、結構、ポジションがない。CHRONICLEというアカデミア専用新聞?みたいなのがあって、そこの求人サーチエンジンで、「言語学」の大学での就職先を探すと、米国国内でたったの1大学だけである。社会学もたったの8箇所だった。経済学だと政策科学に近いのでもっと多い。教育学も裾野が広いということもあるけど、政策科学と密着してきているので、30箇所ほどあった。それでも少ないと思う。どう考えても大学院生はたくさんいるので。

    さて、

    学学あるいは学学学は文字を媒体とした学問だから、現象をダイナミックにとらえることができない。誰かがこういった、ああいったということに縛られすぎていて、実際のデータを見ることがない。

    とらわれすぎる一つの理由は、限られた英語力でもって、英語の文献をものすごい時間をかけて精読するわけだから、がんばって読んだから、書いてあることが本当だと思ってしまうことではないだろうか。しかし、それらの文献に権威があるとされているのも、日本人がものすごい勢いでありがたがるからではないだろうか。

    <私自身、大学時代に、英語でフーコー、ガタリ、アルチュセールとかわけのわからんのを読んでいたが、分からないからこそ価値があるように思えた。>

    学学や学学学を単なる学に戻す必要があると思う。そのためには、実際のデータを見ることが大切だと思う。つまり本当の英語を聞き、本当の英語を喋ってみることが大切だと思う。

    最近は、英語喉のあとには、YOUTUBEなどで本物のを英語を楽しんでいる人がいる。これは本当に正しい方向だ。ネイティブの友人などをつくるとかも正しい方向である。

    あまり難しいことを考える必要もない。

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