友人の結婚式に行ってきました。ビーチで誓いの式がありまして、すばらしかったです。大西洋をバックにした誓いです。映画みたいでしたが、映画よりも個性的だったかもしれません。新郎新婦の両家族が、18部屋もある巨大な海辺の家を借り切って、まずは1週間残暑を楽しんだうえで、その場で結婚式をしました。その巨大な家が披露宴パーティーみたいになりました。
ついたらいきなり、知らないおじいさんがやってきて、「あんたとは4年ぐらいまでおーとるじゃろ(会ったことがあるという意味、、、、いいえ、あったことはありません、、、)」と言ってきたのですが、喉の威力を感じました。喉発音をしていると、姿勢がリラックスするのか、親しみやすい感じのオーラを発するのかもしれません。
英語喉を実践していると、あちらから話にきてくれるのです。
そもそも長かった口発音時代に、あちらから話かけられたのは、ほとんど記憶がありません。道を尋ねられたことがあるのと、1991年ぐらいに、キャンパスで酔っ払った学生が、「誕生日おめでとう」と言ったときぐらいです。脈略もなく。
ところが、英語喉を実践しはじめて、全く問題なく、アメリカ人が話しかけたりしてくるのが、異常なほど不思議ではありますが、私自身も英語喉読者であり、実践者ですので(自分で書いたとはいえ、ジーナに教えてもらったことを書いただけですので、自分の本と思えないところがあります)、そのメカニズムが分かっているので、快感です。
さて、レセプションでの会話もあることを実践すると、全く問題なく社交できました。
その方法とは、日本語で言いそうなことと同じことを言うことです。頭をぼけーっとさせて、思いついたことを言うだけです。ただ単に、それだけ。
面白いことを言ってやろうとか、日本文化について説明してやろうなんて思ってはいけません。頭をぼけーとさせたまま、ぽろぽろとしゃべります。
例えば、昼に泳いだときに、水が冷たかったので、
泳いだんだが、これがつめたいのつめたいの、、、ぶるぶるした、、、
などと、頭に浮かんだことを、適当に言うのみです。
そうなのです。英語会話は日本語会話と同じです。
なぜこれでいいのかというと、一つには、人は、人の話を聞いてやろうという気持ちもありますが、自分で言いたいという気持ちも強い。こちらが適当に話をふれば、相手もついてくる。足してくる。
そんなもんなのです。社交の会話というのは。
さて、日本の言説だと、日本文化を説明するとか、論理が大切だとかそういう話になっていますが、そうでもないです。論理が大切なのは、仕事や論文などで、なにかちゃんとしたものを書くときです。
社交の会話には、特別なことはいりません。頭をぼけーとさせて、適当にしゃべっておれば、相手も聞いてほしいんだから、足してきますよ。からんできます。
というか、そういうことって、当たり前のことなのですが、私のように長い間学校に言っていると、忘れてしまうのかもしれません。大学、大学院と、進むと、ちょっと頭が固くなってしまい、話し方まで忘れてしまうのです。大学院卒業者の皆さん、どうですか?いいすぎかな?
深く考えずに、適当に、ぽろぽろと頭に浮かんだことをそのまま英語にしておれば、話が盛り上がるのが不思議。相手が、会話しやすいんでしょうね。言いたいことをつっこめるから。
で、たまに、面白いことを思いついたら、つっこみを入れると。