ローティーさんのBLOGで、昭和天皇の戦争終了宣言を見て、それを普通の言葉に訳したものをみて、なんらかの、納得がいった。何かがよりよく理解できたわけではないけれども、やはり普通の言葉で理解するのは、よい。
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ローティさんも言っているが、そういえば、私が小さいころ、いや高校のころまで、戦争を経験した先生達がいた。ローティーさんの場合は、東京の空襲のことだそうだが、私の場合、軍隊で靴で気をうしなうまで殴られたという経験を話してくれた数学の先生がいた。もう痛みも感じなくなるそうだ。当たり前かもしれないが、これは、敵兵になぐられたのじゃなくて、同じ軍の上官になぐられたということです。
原爆だって、おばあさんが、光を感じたといっていたと思う。こないだは、父がB29の思い出を少し話してくれた。
ワシントンDCでは、今でも戦争の思い出が生きていると思う。色々と記念碑がある。硫黄島の碑とか。パールハーバーの衝撃は今でも生きているように思う。博物館でも色々なところに、パールハーバーや、神風特攻関係のものがある。当たり前だが、アメリカ人にとっては、ものすごい恐怖だったようだ。
私がうなされるのは、おじいさんの弟さんで、20数歳で戦死したかたのことだ(ここでは「おじさん」と呼ぶ。厳密にはおじいさんの弟さん)。パプアニューギニアという場所にて戦死。
大昔、聞いたのだが、ラッパを吹いたらしい。私はギターやら音楽をするので、もしかしたら、DNAで濃くつながっているかもしれない。このおじさんのことは何も知らないのだけど、どんな気持ちだっただろうかと思う。
このあいだ、墓参りに行って、気づいたのだが、このおじさんの墓が非常に立派なことに気がついた。それも、戦争後、何十年もたって立てられていた。私のおじいさんが建てたものだ。おじいさんは農業と「とおじ」さんだったので、お金はなかったはずなのだが、私の感覚では立派な墓だ。
きっと、弟に立派な墓をたててやりかったんだろうなあ、、と思う。
おじいさんが、30年以上前、夜に私と一緒に歩きながら、こんな歌を歌っていた。現物の歌はあまり聞いたことがないので、歌詞は、おじいさんが歌っていたので覚えたのだろうか。
わかれることは つらいけど しかたがないんだ きみのため わかれに ほしかげのワルツを歌おう 冷たい心じゃないんだよ、、、<と続く>
あれは、戦争で死んだ弟さんに歌っていたのではないか、、、などと思えて、うなされることがある。
そんなことを、戦争後、何十年もたって立てられていたお爺さんが弟のために作った立派な墓をみて思った。
父が、墓参りが大切だといつも言うのだが、意味がよく分かったような気がした。
おじいさんが死んで33年になるので、来月は法事だそうだ。父の兄弟姉妹が集まるそうだ。