二つのレッスン 英語喉1号さんとMASAさんの音声を手がかりに

本日は、お二人の音声ファイルを拝借し、大切なポイントを語りたいと思います。皆さんにも役立つと思うのでぜひ聞いてくださいね。 まずは、ひさびさUPの喉1号さんです(http://nodo1gou.at.webry.info/201105/article_2.html)。いきなり音声指導です。 http://www.nippondream.com/blog/nodo1gou_05_26_2011.mp3 喉1号さんが、苦労されているのは、音の明瞭性ですが、問題は、発音が咳発音になっている点だと今回確信しました。なぜならば、特に両唇音において、こもった感じが強まるからです。 原因は、喉と口はリラックスしているのに、肝心の喉の出口あたりで、音・息をプッシュする感じになっているからです。おおげざに表現すると咳をする要領です。 せっかく喉で響いている音が、首の出口がしまりぎみに緊張するのですから音がこもってしまいます。 音がこもっている、、、という物理現象は、なにか障害物があるということですが、それがまさに、発音時の喉の出口の緊張です。 それを取る練習として、前にも紹介しましたが、口をわざと閉じて喉を鳴らす練習を示しました。が、口を開けた瞬間元にもどるのであれば、意味がありませんから、意識して練習してください。 それから、このさい、指を口につっこんで喉の出口の緊張度を感じてみるということも推薦しています。 さて、次はMASAさんです(http://audioboo.fm/boos/366536-bento-box-may-25)。MASAさんは90%外人っぽいのに、なぜか、100%外人になっていないのです。それを今回は、色々と実験的に音声指導をしました。 www.nippondream.com/blog/masa_05_26_2011.mp3 最初のほうで言っていることは結局は違ったかもしれませんが、アドバイスのポイントは、シラブルをドッジボールと思うこと。 そうすることで、シラブルの出具合がスムーズになります。今のところ、複数のシラブルからなる単語だと、2番目のシラブルが大きくでています。 例えば、DINNERだと、NERのほうが大きくなっている。 でも、DINもNERも同じドッジボールだから、両方とも大切です。だからといって、極端に全部、同じ間隔でということではありません。全てのシラブルが大切だということです。 それから、一つのシラブルをとってみたとき、ためがうしろのほうだけに来ています。 例えばSOME。Mのほうが外人っぽいのに、最初のSのほうが、短い感じです。 ため、、、をシラブル全体につける、、、これは、まあ、ゲップエリアが定位置になっていれば、自然に起こるとは言えますが、意識してみてください。 それでは! PS この土曜日から休暇で次の金曜日ぐらいまでおりませんので、来週はBLOGは休みになります。でも、明日の最後のBLOGで、このBLOGが留守の間は、英語喉実践者のBLOGがみれるような感じにしておきますね。 帰ってきてから、また英語喉スカイプセミナー(有料)をしたいと思います。

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ファーストガイジンジャパニーズ カズ

さて、MASAさんが、MIXI日記でLANG-8の使い方を紹介されている。かならずしも、教科書どうりのものだけではなく、MASAさんが工夫されている様子が分かる。以下は、ライティングの練習だが、これはスタンダードな使い方のようだ。MASAさんが書く。ネイティブが無料で添削する、、、なんと夢のようなシステムだ。 http://lang-8.com/266050/journals/923043/The-Deadline-is-Almost-Here%2521 80年代に英語を勉強した私にとっては、英語の勉強は無料なほうが普通だった。留学生が助けてくれたからだ。今は、ONLINEでできるのか~~。 さて、昨日は、DCの日米協会のディスカッションイベントに参加した。日米協会とは、http://www.us-japan.org/dc/  に詳細があるが、アメリカ人に日本の文化を紹介したり、日本人とアメリカ人の親睦をはかる団体だ。 昨日は、地震と津波後の日本を語る会があり、15名ぐらいの参加者で、会長さんが、この機会を利用して、日本は変われる可能性があるのではないかということを話された。 地震と津波の件で、この機会を、日本社会の変革につなげるというのは、私にとって新しい視点だったのでとても興味ぶかかった。 昨日の英語喉革命さんのBLOGなどとも関連してくるのだが、日本は変わっていかないと今後大変だということを再認識した。 例えばだが、今回のことで、先週あたりから、原発が実はメルトダウンしているというのだ。いや、していたというのだ。それも最初のあたりからメルトダウンしていたという。 え???そんなことは聞いていなかったが、、、。 そもそもリスクに対応するさい、リーダーが60歳代というのは無理があるのではなかろうか? オバマ大統領は40歳台だ。私自身とそれほど年齢が変わらない。 日本の構造を変えないと未来はないのではないかと強く感じた。話を聞いていると、他の東アジアの国々は若い層を生かすかたちで、国際化に成功しているという。日本は全然変わっていない。 しかし、リーダーがなぜ60歳代かと考えると、我々日本人は、教育レベル、スキルレベルにおいて決定的に遅れがあるのではないだろうか?だって、本格的に経験をつみ、学び、、、としていると60歳ぐらいになってしまう。そもそも、中学、高校は暗記主義、受験主義、大学はなんだかわからない状態だ。 だから、普通の日本人が本当に役立つ知識を見につけるのは大人になってからだ。するとリーダー的立場になるのが決定的に遅れる。最近では大学を卒業しても、なかなか経験を積めて、スキルアップできる仕事がない、、。 一方で、オバマ氏などは、もう小さいときから、職業経験をつみ、さくっと弁護士になり、若いうちから経験をつみ、そして、40歳ぐらいでもう完成しているのだ。 アメリカのゲットー地域(貧困地域)の小学生が理科の宿題だと称して、仮説をたて、実験し、結果を出し、それをプレゼンテーションするからとポスターを準備していた(ちなみにこの少年はスペイン語と英語が当たり前のようにできる、、親がヒスパニックなので)。 一方で、私自身は、仮説をたてるなんてことをしたのは、25歳をすぎて、アメリカの大学院にきてからの話だ。いや、正確には修士論文をやっているあたりだから27歳、28歳ぐらいで初めて科学的な思考のトレーニングを受けた。遅すぎた。 日本人は、適切な教育をうけ、経験をつむ時期が遅すぎるのではなかろうか? だから、40歳台の人をリーダーになんて認識不可能なのだ。 さらに、日本のオピニオンリーダーも古すぎるように思う。 で、昨日の議論は、日本人は、もっと会社にガイジンを登用して、違った価値感を入れたらどうなのか?ということになって、私はふと思った。 日本人がガイジンになればいいじゃないかと。 そのためには英語喉しかない。英語喉で英語ができれば、日本人だって、ガイジンのセンスが学べる。外人になっておいて、そしてその感覚を戦略的に使うのである。 例えばだが、日本語で目上の人をクリティークするのは不可能のように思える。へりくだらないといけないからだ。しかし、英語なら簡単である。 日本の活性化には、英語喉しかないと確信するにいたった。 会長さんは、日本のリーダーシップが変わらないといけないだろうとおっしゃっていて、これは基本的に賛成なのだ。しかし、リーダーというか、我々自身が変革の主人公になるべきではなかろうか、、、と思った(レトリカルな問題で、根本的には同じことなのだ)。 しかし、若い世代、10代、20代には望めないだろう。人口的にますます小さくなっていく層だ。さらに、彼らは大人が敷いたレール、受験スタイルの教育にしばられているので、変革の主役になりえない。 今、日本を変えるのは、40代、50代あたりしかいないのではないか?つまり、まだ外国、海外に対して知識が貪欲だった時代に育った世代だ。 つまり我々である(英語喉の実践者の多くがこの世代ではないか?)。 我々が、英語がぺらぺらになってガイジンになるのである。 もちろん、ガイジンになったところで日本人に戻るのは簡単だ。力めばすぐに日本人に戻れるのは英語喉をやっていればわかるだろう。 さて、昨日、私は、日本史初のガイジンになった。 ファーストガイジンジャパニーズ カズ というのが今日のタイトルだ。 昨日のイベントには15人ぐらいのアメリカ人がいた。日本人は私と二人ぐらいだったが、私は完全に ガイジン化した。 他のアメリカ人は発言は1回ぐらいだったが、私はおもわず、3回ぐらいしてしまったのだ。そしてそのたびに2分ぐらい、ながながと喋ってしまったのである。 これは、ガイジンを超えたガイジンである。 ちなみに俺は、この日(ガイジン記念日)のために、1ヶ月前から懸垂をはじめ、そしてたんぱく質をたっぷりとり、運動を全然していない白人レベルの体をゲットしている。よくみると、体がVの形になっているので、運動を全然していない黒人レベルの体までもうすぐである。実際、そのイベントにいたアメリカ人のなかで少なくとも1名よりも、ガイジン体型であったのだ。 私は、宮本武蔵のようにちょっと遅れて会場に現れ、堂々と、1番前の席にすわり、ガイジンスタイルで足を組んだのだ。そして、顔をボケ顔にすると、面白いように司会の会長さんが私のほうを見てくれる。 さて、そのときに、一人の日本人のかたがおり、そのかたは、口を一文字にしていたので、すぐ日本人だと思ったのだが、最後のほうで発言されたら、なんとネイティブ度80%ぐらいで、けっこう、いけていた。 後で、私に、なぜそんなに英語ができるのかと聞いてくれて、ゲップエリアを説明したら、どの音がゲップエリアなのですかと聞いてきた。RとYを説明した。 なんと、英語は喉だ!でピンと来てくれたのだ。 それはこの人が英語が抜群にできるからなのだ。お~~、アンテナが広がっている日本人にひさしぶりにあった。 ま、私は、ついにガイジン化してしまったのである。日本の歴史で初めて日本人が、外国人よりも多く発言を、*えらそうに*したのだ。 私は英語喉で日本人がガイジンになるとよいのではないかと思う。もちろん、それは戦略的なガイジン化だ。ビジネスの場、あるいはクリティークの場で、ガイジン化すると、クリエイティブなことができるだろう。 もちろん、天下一品のラーメンを食うときなどは、すっと日本人にもどり、大きな音をたててラーメンをすする。 ガイジンと日本人の間をその目的に応じて行ったり来たりするのである。 というわけで、昨日は、ファーストガイジンジャパニーズ カズとなったのであった。 日本を活性化させるには、一人一人が英語喉で英語が言えて聞けるようになる。そして、グローバルな場で、色んな価値観に出会い、またスキルレベルを英語でUPさせる。 日本では、スキル習得にでさえ、試験だなんだとめんどうだ。 英語でやったらどうか? MASAさんのLANG-8での実践は本当によい例を示してくれている。

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「日本が戦争を始めた理由」という視点について

「日本が戦争を始めた理由」として、英語喉革命さんが、以下のエッセイを書かれていた。 http://blog.livedoor.jp/nodorevolution/archives/2011-05.html#20110523 実は、私も似たようなことを考えることがある。正確に言うと、本当に本当に日米が戦争を始めなければならなかったのかと感じる。 私の会社に両親が戦後すぐに九州に住んでいたというDさんというかたがおられるのだが、ご両親は、戦後の日本統治のために九州に配属され、日本を愛し、アメリカに帰ったあとも、亡くなるまで日本に夫婦で行きまくっていたそうだ(結婚記念日などに、日本に行っていたそうだ)。アメリカにかえっても日本の「ちゃぶだい」でご飯を食べていたというほどだ。 Dさんが、たまに、「うちには、両親が持ち帰った九州の陶磁器などが山のようにある」そうだ。そんな話を聞くたびに、本当に日本とアメリカが戦争をしなければいけなかったのなら、Dさんの両親が戦後すぐに九州に安全に住めたはずがないと思ったりするのだ。 日本人のなかには、パールハーバー攻撃を実はアメリカ政府が知っていて、わざと攻撃させたという陰謀説などを信じる人がいるが、人のレベルで考えるべきだろう。 陰謀説があろうとなかろうと、戦って、血で血を洗いあったのは、アメリカの一般人と日本の一般人である。一般人同士が殺しあったということに対して深い悲しみを感じるのがまずは普通であろう。 英語喉をやってから、クリントイーストウッド監督の「硫黄島の手紙」をみると、日本人とアメリカ人の両方の気持ちがいたいほど伝わってくる。 英語喉をせずにあの映画を見ると、日本人側の気持ちしか分からない。 日本人の気持ち、アメリカ人の気持ちを両方理解するには、両方の言語、文化、しぐさ、表現の仕方を知る必要があるが、それは英語喉をしないとまずは分からない。 英語喉セミナーに来られたかたの知り合いのカップルで(夫アメリカ人、妻日本人)、太平洋戦争の話題になると喧嘩になるので、タブーの話題としていると聞いたことがあるが、それはやはり何かおかしいように思う。 おそらく、夫は夫さんで、日本人の気持ちが分からないし、妻は妻でアメリカ人の気持ちが分からない、、、だから喧嘩になるのではないだろうか??? アメリカ人夫はやられたから報復したと考える。たしかパールハーバーの死者は2350人だったそうだ。私の知り合いは、パールハーバーに行くと今でも涙が出るといっている。 日本人妻側はパールハーバーは軍事ターゲットだったらか良いが、広島、長崎は市民ターゲットだったから悪いと考える。 口発音の日本人妻側から見ると、アメリカ人はだいたい横柄に見えるのだろう。だから腹が立つ。 喉発音のアメリカ人夫から見ると、CHOPPYな口発音英語は、しかられているように感じるだろう(流動性のない英語は軍隊の命令のときぐらいしか英語では登場しないからだ)。なんと冷たい人だと思うだろう(結婚前はかわいい声だったのにと思うかもしれない、、、これは完全なる別のトピックだが)。 パールハーバーのとき、アメリカの日本大使館の日本人はどう感じたのかなと思うことがある。 もちろん、戦争は嫌だったに違いない。しかし、日ごろからアメリカ社会で疎外感を感じていたとすれば、「このさい、やってやれ」という気持ちがあったのではないだろうか? 私でさえ、口発音時代、アメリカで10年以上、透明人間として過ごしたので、アメリカに住む日本人の疎外感が分かる。 これまで何回も書いたが、口発音時代、私の疎外感が頂点に達したのは、カリフォルニアに就職活動に行ったときである。ある会社で面接、発表をしたあと、その職場の人達と食事に行ったのだが、その間中、無視されたと感じたからである。 面接に来たのだから、私が主客であることは明らかだ。しかし、アメリカ人は私のほうを無視してぺらぺらと楽しそうにしていた。 今、思えば、無視していたのは私のほうだったのだ。体の硬い日本人をみて、外国人は、この人はつきあいにくいなと感じるのだ。きちっと閉じた口元をみて、あ、この人は言うことがないのだなと思うのだ。 ところが、英語喉を知って全てが変わった。 今日は、DCの日米協会というところにいって、日本の状況(地震&津波)に関するディスカッションに参加してくる。 息の仕方を変えるだけで、英語を喉から喋るだけで、アメリカ人は私の話をよく聞いてくれるだろう。 日本人の参加者もいるだろうが、きっと、何も言えずにディスカッションが終わるのだろうと思う。 アメリカ人の圧倒的な喋りで自分は一言も喋れなかった、、、と言って帰って行くのだろう、、、。 アメリカ人はアメリカ人で、日本人はシャイだなあと思って帰っていくのだろう。 アメリカ人は、日本人の感覚で見ると、ぼけ~~とした顔で喋るだろう(日本人は、アメリカ人は横柄な感じがするなあと思うだろう)。 日本人はうんうんとうなずきながらも、口をぴちっと閉めて息の音をさせずに静かに聴くだろう(アメリカ人は、日本人は言うことがないのかなと思うだろう)。 いつもまでこの勘違いの日米関係が続くのであろうか???? 日米関係だけではないかもしれないが、、、。 一方で中国人は堂々と平等な立場でアメリカ人と話すのだ。 10年以上前、たくさんの中国人がシカゴ大学の大学院にはいたが、今では多くがアメリカの大学の教授になって、アメリカ人の大学生の先生となっている、、、。

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