喉
アメリカ人の友人がいません
、、、という悩み事をワシントンDCの掲示板(日本人用)に書いてらっしゃるかたがいたので、私なりのアドバイスを書いてみました。あ、勝手に引用したらダメかなあ、、、まあ誰でも見れる掲示板なのでOKですよね(まずかったら、お知らせください)。 **** 在米歴、8年です。 タイトルのとおりですが、アメリカ人の友人を持ったことがありません。 特にアメリカ人を避けているわけでもありません。でもアメリカ人女性は苦手だと思うことはあります。 ちなみに夫はアメリカ人です。 ふと、アメリカに住んでいてそれは変だろうと自分で思ってしまうことがあります。 子育てで忙しく、アメリカで働いたこともありません。 みなさんはどうですか? ***** 私のレスポンス(アドバイス) (1) 私も以前は、アメリカ社会で友人ができないどころか、仕事などでの存在感が薄く、透明人間的な体験をしていました。会議などで、アメリカ人は他のアメリカ人同志は見ますが、私のほうは見ませんでした。 ところが、この2、3年ほどですが、英語を喉で発音する、そして喉で笑う、ということを覚えまして、アメリカ人が私を対等に扱うようになりました。 日本語は英語と比べると、口先で喋る言語です。英語は首というか喉全体を豊かに響かせて音を切らずに喋る言語です。 口先で英語を喋ると、怒っているように聞こえるようです。そういえば、アメリカのテレビに登場する日本人は非常にCHOPPYな英語を喋ります。大昔、サターデーナイトライブで侍バーガーというネタがありましたがご存知ですか? もちろん日本人は音を短めに喋っているという自覚症状はありません。どちらかというと誠実さやまじめさを出すときに、音がしゃきしゃきとしたり、音程があがったりします。英語においては、音を短くするのは、軍隊で命令を出すときとか、不快感を感じるときだけです。 ですから、日本人がアメリカ人に、誠実に対応しようとすればするほど、英語の一つ一つの音が短くなり、怒っているように聞こえます。また、この人は英語ができないのだな、と思ってしまいます。 (2) そこで解決法ですが、まずは喉で笑うことからためしてみてください。首や口を完全にリラックスさせ、首の根元あたりをならしてください。 そして、英語のほうも、できるだけ音を切ろうとせずに、首の根元で響かせる感じで、発音してみてください。 ネイティブとの会話ですが、内容の濃いことを言う必要はなく、喉を鳴らす要領で、YEAHとか、THAT IS INTERESTINGとか言いながら、喉を鳴らして、フレンドリーな笑いを混ぜると、話が結構もりあがります。 私はこれを実践しはじめて2、3年ぐらいになりますが、友人が自然と増えました。会社でも、まわりから色々と声をかけられます。今日も、「しばらく見なかったね」とか、前では考えられなかったようなことを言われます。 ぜひだまされたと思って、ためしてみてください。 家族の中にネイティブがいらっしゃるかたは、英語が喉の奥のほうで発音されているのだと意識して聞いてみてください。聞き取りもしやすくなりますよ。 *** というようなアドバイスを書いた。今日、実際、職場に行ったら、オフィスが近い同僚が、「ひさしぶりですねえ」と言った。それは感謝祭でいなかっただけじゃなくて、本社のほうに先週行っていたので、実際、いつものオフィスにはいなかったのだ。 私はこれはとてもうれしかった。 いつも思っていたからだ。喉革命以前。アメリカにいながら、もし自分が今いなくなったとしても3ヶ月ぐらい誰も気がつかないんじゃないだろうか、、と。 喉のお陰で、そんなに親しいわけでもない同僚から(プロジェクトを一緒にやったことがないが、単にオフィスが近い人)、「しばらくみませんでしたね」などという、ものすごく普通の声をかけてもらえるようになったのだ。 これは革命である。 壁は「差別」ではなく、自分が口発音によって自分の周りに自分で築いていた壁だったのである。目に見えない壁だったのだ。 あ、いつか書こうと思っていたことがある。アメリカにI HOUSE(INTERNATIONAL HOUSE)というのがあって、外国の学生とアメリカの学生が住むシステムがある。ニューヨークにあるしシカゴにも元祖のI HOUSEがある。昔、聞いたのだが、そもそもI HOUSEが生まれたのは、あるアメリカ人がある中国人に声をかけたら、「私はアメリカに来て、何ヶ月にもなるが、あなたが声をかけてくれた初めてのアメリカ人だ」と言ったんだって。それではいかんだろうということでそのアメリカ人がI HOUSEを始めた?のか何かだった。 この話をしばらく覚えていたのだが、結局、私自身も経験した。アメリカに住んで今14年ぐらいだが、喉革命まで透明人間のように感じない日は無かったと思う。ところが喉を経験してからというもの、アメリカが日本と同じになったのである。 あと、今日会議で(というか最近はそれが普通)、まぶしいほどにボスの視線、アイコンタクトを浴びたのだが、逆に恥ずかしくなり自信がなくなりげになる、、、のだが、途中で思い出して、にらみかえした(?)。自分のなかにある社会化された文化との戦いである(これこそが身体論である、、、斎藤さんの、、、漢字あってる?、、、体を動かしながら日本語を読むというのは身体論というより富国強兵ではないかなあ)。 このあたりの話をぜひ実践者のかたがたからも聞きたいです。ぜひコメントください。 ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532
アメリカ人は「つっこみ」が得意?
「喉コミュニケーション実践者」という言葉を、喉実践者のテッチャンが積極的に使ってくれている(てっちゃん、アマゾンレビューありがとう!)。ZENさんもこの手の経験をよく教えてくれる。 MIXIでてっちゃんが報告してくれたのだが、アメリカ人とのコミュニケーションで、話しかけられるだけでなく、日本はどうなのか、というような深い質問もされるということを報告されている。 口発音で英語を喋っていると、留学などでアメリカにいても、ほとんどネイティブと話す機会がないが、喉発音に変えると、アメリカ人のほうから話しかけてくる。しかし、不思議なのは、こっちが一言も喋っていないのに、あっちから話しかけてくるのはどういうことか。口発音、喉発音以前の問題で、姿勢が違うということだろうか。 アメリカ人が色んな場所でつっこみをしてくるのだ。ボケとつっこみの突っ込みだ。それも知らない人だ。 昨日は、ティナ・ターナーを観に行ったんだけど、年寄りが多かった。となりに座った老夫婦が、この私に(赤の他人じゃ、こらあ!)つっこみ攻勢をかけてくるのだ。トイレに行こうと立ち上がると、「M&M(=チョコレート)を買ってきてくれんか?」とつっこんで夫婦で大笑いするのだ。で、自分が行くときは、「M&Mかってきたろか?」と大声で笑って、トイレに立つのだ。 で、ティナ・ターナーが、観客のなかの男性にある歌の一部を歌え、と(まず女性だけに歌わせたあとでね)、要求してくるもんだから、はずかしいけど、中声程度で歌ったら、となりのおばはんが、ひじで小突いてくる。しっかり歌え、、、と。 ここはアメリカかいなと思うた。これでは大阪である。 喉を実践すると、アメリカが大阪になった。 えらく突っ込みが激しいのだ。犬を散歩にとエレベータに乗ると、おっさんが、「おお、よくトレーニングされとりますなあ」と声をかけてきたので、いえいえ、全然です、、というと、「お、じゃあ、トレーニングされとるのは飼い主ですな」とおどけるので、「はい、私が犬についていっております」とボケてやったら、おっさんが大笑いをした。 そういえば、こんなんもあった。これも犬を連れていたときだが、エレベータを降りたときに、もう一人降りた人がおって、その人は先におりたんだが、ちょっと歩いたところで、「ついてこんといて」と突っ込まれた。 (昔、駄菓子屋のおばさんが、おつりを、「はい10万円」と言って、10円返してくれたりしたことを思い出す。これはボケですね。突っ込みではなくて。) このようにアメリカが大阪化してしまった。 なぜに大阪かというかもしれんが、私は大阪の京橋の私立高校で教鞭に立ったとき、生徒がことあるたびにつっこんでくるのだ。先生、それちゃいますよ、、、みたいな(せんせい、、、は最初のセが音程が一番高くなるように発音すること)。なんでお前はまじめにやらんのかというと問い詰めると、「親父が職人で、お前は勉強するな。俺の後をつぐんだ」と理解を示さないとマジ顔でいった奴がおったのだが、あれは今考えるとボケだったのに(それなりに進学校だったので)、つっこみをするのを忘れてしまったのは今でも後悔している。小テストを用意したら、それを食った奴がおった。生活指導で校門指導のとき、私に変わって、新任の先生が始めたときに、「上川が生活指導部をはずされ、かわって、おはようマシーン2号あらわる。」とトイレの壁に新聞が張られたが、ほんまに笑った(現物を今でも所有している)。突っ込みがはげしいゆーんじゃ。 また大阪の地下鉄で、降りる駅について人に聞くと3人ぐらいが助けてくれることがあった。実際にその駅がきたら、全然違う人が、ここですよと指示してくれたりする。そういう人に対する*ものおじのなさ*(お、難易度の高い単語)がある。 本当に喉コミュニケーションは革命的だと思う。 よく日本人が、アメリカに来ても日本人同士で日本語ばっかり話しているというが、それは英語ができない人だけじゃないよ。英語ができても、なかなか難しかった。 ところが喉でしゃべり3ビートでやり、また喉で豪快に笑い、喉をごろごろ鳴らす感じで、「うん」とか「すん」とか、Gosh, that is hilariousとか適当なことを言っているだけで、アメリカ人がフレンドリーになり、会話がむちゃくちゃもりあがる。もちろん、こっちからも突っ込みができれば、ベストだ。 やっぱり昔ドラマとか漫画で見たアメリカ人がそこにいる。日本人とあまり変わらない。 ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532
論理力って、これも空想なんです。
今週はアメリカは木曜日から休暇です。感謝祭というやつです。日本では盆と正月が二大行事ですが、アメリカでは感謝祭とクリスマスです。感謝祭が11月でクリスマスが12月なので、間隔が狭い。盆と正月が一緒に来るような感じです。 まあ、昔の生活感覚では、寒い時期に、休暇が隣同士(11月と12月)にあるのは、都合が良かったんじゃないでしょうか。家族親戚が近くに住んでいたと思うので。現代社会だと、家族が遠くに住んでいたりしますから、感謝祭で帰って、クリスマスで帰るというのはどうなんでしょう。日本のように8月と1月に帰省するというのとどうちがうんでしょうね。 このあたり会話のネタにして、ディスカッションのネタにしてみてください。やっぱり英語を使うということが大切ですから。まあ、そういう意味では、外国人の友達をつくるというのはいいと思います。英語で色々と議論して見聞を広める、、、と。 ちょっと今日は言いたいことがあって書いているんです。 発音の本を書きましたと言うと、いや、物事を筋道だてて喋れる論理力のほうが大切ですよ、、、という人が多いです。私も、昔の友人に説教されましたよ(ちょっとおおげさですが)。 でもね、論理力って、これも空想なんです。考えて見ると。 思うに、先生が発音よりも論理だって言うときって、実はこういう意味だと思います。 あなたは私よりも発音がよくてペラペラだけど、論理では私を超えられませんよ、、、と。 論理って誰でも持っているものなんです。例えば、腹減った、飯が食いたい、、、とかね。勉強しんどいから寝る、、、とか。 トピックが難しげなものになると論理も難しく思うかもしれないけど、一緒ですよ。例えば経済学で、市場がAというものを求めるとそのAの価格が高くなる、、、という論理自体は、最近、納豆くってねえなあ、、、買いに行こう、、、という論理とそんなに変わらない。機能的には。 なのに、なぜ発音より論理的な思考が大切とくるのでしょうか。 (ちょっと脱線するけど、聞き取りよりも論理的な思考を、とは誰も言わないですね。これは言説の不完全性、ほころび、でしょうか。) 発音より論理とくるのは、それは、先生と生徒のハイラーキーを保つための言説的戦略でしょう。発音と聞き取りだと、生徒が先生を超えちゃう可能性がある。でもそれは困る、、、ということで、論理も大切だとくるのでしょう。 さて、最近、NHKワールドを見ていて思ったことがあります。ジーン大谷というバイリンガルの人が経済学者を招いてインタビュー?討論?するんですが、色々気づいたことがあります。 日本人のコメンテーターのときは、皆が40代とか50代のかたがただということ。つまり、口発音でやっていると、英語の上達が極端に遅いので、そのくらいの年代にならないとテレビで喋れるような英語に到達しないということだと思います。口発音といいましたが、皆さんがきんきんとした高周波数の口発音英語を喋ってらっしゃいます。 それから気づいたんですが、皆さんが、原稿を読んでらっしゃるということ。考えながら喋れないということだと思います。書いて準備しないと英語が喋れない、、、これは口発音だと、エネルギーがいりすぎて、自由に英語が喋れないのです。 なぜこのことに気がついたかというと、中国人の経済学専門家が出てくるときは、若いんです。人が。さらに、相手が中国人だと、ジーン大谷が色々と即興的に質問をするんです。で、相手が即興でコメントをしてくる。でも日本人学者相手の場合は、それがありません。ジーン大谷さんが一つの質問をしたら、日本人のかたが長く喋ります(というか読む)。 またその長い読みはきっと論理的に文が積みあがられているわけです。 中国人のプロはシラブル・音節が分かるから、英語が聞ける。聞き取り100%なわけです。だからほっておいても、喉発音になってくる人がたくさんいる。 だから私は今にでもNHKに出向いていって、喉発音と3ビートをお教えしたのですが、そうもいきません。どなかたコトヅケ的にNHKさんに伝えてもらえませんか? こんなことを言っている人がいる、、、と。 ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532