喉
国産ネイティブ 天満さん
すでに有名な天満さんですが、ちゃんと国産ネイティブの元祖的存在として紹介させてください。右のメニューの国産ネイティブをクリックされたかたが見れるようにちゃんとエントリーしました。 http://processeigo.seesaa.net/article/109856987.html ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532
調音というのは、音を作るということではなくて、調整するということです
まずはアキさんのご質問から(昨日のエントリーを見てください) 質問をいただいたり、またインターネット上で音声upをされてらっしゃるかたを発見できるのは、とてもうれしいです。こういうのを専門用語で呼ぶ意味がありませんが、教師の社会学の本ではサイキックリワードと呼ばれていました。 え、どれも、アキさんのおっしゃるとおりです。喉発音と3ビートで聞こえ方が変わってくるのは確実です。例えばですが、shall weでlが聞こえないような気がするという例ですが、まあ聞こえないというか聞こえにくいというのが正しいでしょうか。ちょうど、lがスウィングの位置に来ていますから、lの中間までを発音するわけです。 それからその直後がゲップエリアのwというのも、なんらかの作用をしているかもしれませんが日本人が思うところのlという発音のイメージではない音ですね。全然なくなってしまったわけではありません。 ですからわざと間違ってみて発音を比べてみてください。 shall we と sha-we とやると、その違いが分かるでしょう。やっぱりlの前半がないと、しっくり来ない。 wやyなどはゲップでいうので移動が面倒なので、その前の子音を言わない、、、というアキさんの考察ですが、言わないというより、言いにくいという感じでしょうか。だから結果的に強い音として現れにくい? これはありえますね。 あ、あと破裂音に関してのご質問。これは前に書いたことがあります。調音音声学者が、翻訳において、間違ってしまったのは、この破裂という概念を「思いっきり破裂される」と解釈したことですね。そうじゃないんです。 調音というのは、音を作るということではなくて、調整するということです。そのメカニズムとして、例えば歯と唇の間で空気のざわめきのような現象が起こるかもしれない(喉用語でいえば、風キャッチとかブルブル凧とかね)。だからといって、それをおもいっきり破裂させて、その場で音の核が作られているように解釈してしまったわけです。 西洋においては調音音声学というのは、ただ音を便利に分類しようというのが目的だと思います。科学的な営みというより、人文学的な研究だと思います。文化を記録していこうというような。 だから、その分類の仕組みに使われた用語である破裂というような概念が日本において勘違いされてしまったのは、やや不幸でした。 実際、ネイティブが喋っているのを見たら分かりますね。そんなに破裂させたりしていたら呼吸困難になってしまうでしょう。 実際、従来の英語教材に出てくるネイティブは、ものすごいおおげさにやってますから。 そろそろラジオ体操的な発想からは脱皮したいものです。 ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532
ベセスダの継承センターさんで喉の話をさせていただきました。
週末に、メリーランド州はベセスダの継承センターさんで喉の話をさせていただきました。継承センターさんは、日本人の親を持つ子供たちに日本語、日本文化を継承していこうというのが目的で、毎週土曜日に活動されています。 いわゆる「日本語学校」と違うのは、ここの皆さんは日本に帰る予定がないというかたがたという点。いわゆる日本語学校の場合は、帰国の準備という意味で国語を勉強されたりしますが、継承センターさんは、日本に帰る予定がないからこそ、いかに日本語を伝えていくか、という点に重きが置かれています。またお父さん、あるいはお母さんがアメリカ人という子供さんも多い点が日本語学校と違います。 子供さんたちが日本語を勉強しているあいだに、10人ぐらいのかたがたに話をすることができました。英語は喉、日本語は口、、、そしてそれがどのようにコミュニケーションに影響するか、と話し始めてすぐ、特にアメリカ人のかたがたの表情がかわりました。 自分がなんとなく思っていたことを完全につきとめている、、と言われました。また、子供たちの日本語がなぜかアメリカ人っぽくなっていっていることは分かるけどれども、それをどう注意したらいいのか分からなかったが、話を聞いてよく分かったとアメリカ人のかたがたはおっしゃいました。 日本人の親の皆さんは、そういえば、アメリカ人で日本語のうまい人に関して、日本語になると音程が高くなりますね、とおっしゃっていました。 先生、先生と呼んでいただき、昔、高校教師をしていたときを思い出しました。 お話的なセミナーみたいなもの(テクニカルなものというより、文化的な話)を色々なところでしたいとは思いますが、まだまだ知名度が低いので機会を探さないと。DCの領事館に協力をお願いしたいところですが、無理かな。 次の目標は、日本語学校さんと日本アメリカ協会さん。 ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532