自動車の運転のパラダイムシフト

英語発音と聞き取り教室、、、のほうは、非常にうまくいっていて、うれしいのは、少なくとも教室の時間内のうちに、皆さんが実際正しい発音ができることだ。定着するかどうか、使いこなせるかどうか、、、これは少し時間がいるとは思うが、その場でこれまでできなかったLやらRができるというのは非常にうれしい。その場でできているという確認ができるのがよい。 さて、最近、自動車の運転がうまくなったような気がする。長い間、思ってはいたが、変えなかったことがある。現象としては、いつも自分の自動車だけが、周りに比べて遅い(というか制限スピードを守っていた)ということと、車間距離がえらく長いということ。 ついに私は他のアメリカ人がやっているのと同じスピードで運転を始めたのだが、そのきっかけは、線的思考から3D的な思考へとパラダイムを変えたことがきっかけだ。 これは口だけで発音している人が、喉発音をはじめ、いかに発音エリアが長く深いのかを知ったようなもんで、運転の仕方に大きな影響を与える。 運転のとき、以前は、道路の線を主に見て運転していた。それはそれでよいと思っていたのだけど、斜線を変更するときに、ちょっとスピードが足りなかった(変にゆっくりになって、後続の車を驚かせた)。前の自動車が減速しているのに、気づかずに最後の最後でブレーキを踏むという感じだ。センスの悪い運転である。 さて、道路の線を見るのではなく、周りの自動車を立体的にイメージし、自動車の位置関係をダイナミックに立体的にイメージしながら走る方法に変えた。するとスピードが回りの自動車とだいたい同じになったし、また前の車が減速すると、自然と自分も減速するようになった。前の車だけじゃなくて、前の前のほうの車が減速するのも、なんとなく感じられるようになった。 何がよいかというと、自動車の位置関係を立体的に認知すると、道路の線も自然とどこにあるのかが分かるのである。 なぜか、自動車がふらふらとしなくなり、まっすぐ走るようになった。以前は、目の前の道路の平面的情報だけみていたのだろうか。自動車がふらふらするのだ。  

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広島県の皆さん (東広島)

日曜日(10月5日)に、うちの親父の指揮のもと、安芸津町風早で祭りがあります。ぜひご参加ください。 場所は風早の祝詞山八幡神社 広島県東広島市安芸津町風早354 http://www.hiroshima-bunka.jp/modules/newdb/detail.php?id=376 祝詞山八幡神社大祭の神賑行列(のりとやまはちまんじんじゃたいさいのしんしんぎょうれつ)  祝詞山八幡神社大祭は毎年10月の第1日曜日に開催される。祭りの起源については不明だが、「国郡志用書上帳」に文政二(1819)年の祭りの様子が記述されており、その当時すでに盛大な祭りが催されていたことがわかる。  総勢100人を超える行列は総代の家を出発し、社殿を三度回った後、神輿を先頭に御旅所へ向かう。そこで祭典を行い、再び行列をつくり、神輿を社殿へ還す。

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Steven Platzer氏の衝撃

大学では本当に意義がわからんことばかりだったのだが、カリフォルニアの大学で交換留学をしたときに、Steven Platzer大先生の日本史の授業をとったことで、初めて*分かる*という経験をした。 第1次湾岸戦争が起こっていたから1991年のことだ。 この先生は、日本の教育思想史の本の訳者でもある。 http://www.amazon.co.jp/Educational-Thought-Ideology-Modern-Japan/dp/0860085171/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=english-books&qid=1222984204&sr=1-1 授業がものすごかった。まずは、自由思想の理論の本を読み、またファシズムの本を読む。それで理論的な枠組みをつかんでおいてから、Karel van WolferenさんのThe Enigma of Japanese Powerという本を批判的に読んだ。 http://en.wikipedia.org/wiki/Karel_van_Wolferen 理論を把握しておいて、そのうえで、日本について書かれた本を手がかりに、その本を批判したり、あるいは日本の歴史や社会を分析したり、、、と、今まで体験をしたことのないような内容の授業を受けた。 で、ほとんどがディスカッションなのだ。 先生は、どっかりと足を机の上にのっけて授業をしていた。時々、スラングも出るのだが、「私の発したフランス語をEXCUSEしてくれ」とよく言っていた。 で、クラスの課題として、20ページか何かの論文を書くんだけど、私は、初めて、自分で資料を集めて、それを批判的に検討するという、当時はものすごく高度に思われる作業をやった。 初めて「分かった」と思った。 勉強するとか、研究するとはこういうことなのか、、、と。 で、先生が、なんと、その論文を授業で発表せよ、、、というようなものすごい機会をくれて、なんとか先生の助けを借りながら発表した。そのとき配った自分のペーパーの一部をクラスに配ったんだが、クラスメートの一人が、これはどこの論文からコピーしたんだ、、と聞いてきて、これは俺が書いたのだといったらえらくほめてくれたのがうれしかった。 そのあと、先生との消息は切れた。日本に戻り、卒業したのだが、アメリカの大学院に行こうと考え、先生に推薦状を書いてもらいたくて、消息を追ったが、どこに消えたのかわからない。当時はインターネットがなかった。1991年あたりの話だ。 シカゴ大学の大学院では社会学を専攻したのだが、1998年あたりだっただろうか、修士論文を追え、博士論文をやっていた私はあるとき図書館に行ったのだが、どこかで見たような人がエレベータの前にいた。 どっかで見たような、、、というような目でその人は私を見ていたのだが、エレベータの扉が閉まったので、あまり気にしなかった。 でも、どっかで見たような気がする、、、なあと私も思った。 続く ま、結局のところ、シカゴにて大先生と再会するのであるが、博士論文の指導の先生の一人がドリーブン先生だったのだが、私がPLATZER氏に教わったというと、椅子からこけそうになるぐらいの勢いで、「彼は本当に教えるのがうまい」と言った。PLATZER氏は昔、ドリーブン先生のTAをしていたことがあるそうだ。 すごい人はいるんだなあと思う。

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