喉
ジャイアント馬場の残したもの
アメリカでもプロレスは当然人気があるのだが、ハルクホーガンはほとんど神的存在だ。ブッチャーとか、スタンハンセンは、人が知らんと言っていた。あ、アンドレザジャイアントは当然知られている。 RとかERを発音するときに、ジャイアント馬場のアッポーっていう掛け声みたいに発音しようというようなことを見たことがある。 例えばPAPERのPERのところで、口の中をはれぼったい感じ、こもった感じ?にして発音するやりかただが、以前、学会で、それだけをやって、あとはカタカナで読む人がいたのが印象に残っている。 またテレビニュースNHK WORLDのフィールドリポーターは全員例外なしに、馬場氏のアッポー発音をやっている。上に紹介した人と違うところは、上の人はERのときだけそれをやるのだが、NHK WORLDのスタッフはWやRが出てくるときにもそれをやる。 おそらくゲップ発音の音にアッポー発音をしているような気もする。 つまり、日本人の感覚で聞いて、あいまいに聞こえる音をにアッポー発音をしているのであろう。気持ちは分かる。 アッポー発音のかわりにぜひ喉発音を使って、どんな音でも出してもらいたい。 というのは、カタカナ発音も、カタカナ発音+アッポー発音も基本的には両方カタカナ発音だからだ。かえってアッポーが入っていると、逆に分かりにくくなる。なぜかというと、カタカナだけのほうが、日本語や日本語英語を知っている人にとってはわかりやすいからだ。 さらに カタカナ発音+アッポー発音+鼻にかける となると、非常に不思議な英語になるのである。 ぜひ、喉でやってほしい。
韓国語は口発音、英語は喉発音
http://lovedoyoung.blog73.fc2.com/blog-entry-423.html 韓国ドラマの1シーンで、息子が韓国語は口発音、英語は喉発音だ、、、と説明するシーンがあるそうです。ただし、この解釈を書いてらっしゃるかたは、発声と発音は別問題だ、、と思われていますね(太字)。実際は同じなんですが。 上のURLから引用します。 夜は韓国式の食事.乾杯したのはマッコリですか?マーティンさんが,お母さんに「おいしい」の韓国語を教えます.伝統舞踊がはじまると,ダニエルも音楽に合わせて上半身だけの不思議な踊りを披露.ダニエルは,英語は喉の奥から声を出すけど,韓国語は口のずっと前のほうで話すんだ,とお母さんに説明します.英語と韓国語(日本語もそうですが)の発声法(発音の仕方というよりは)が違うと,言いたいのだと思います. 引用おわり 特に電話でネイティブの英語を聞いているときに強く感じるんだけど、やはり声にある様々な質をもった音を頼りにして、音を区別しています(私は)。その質とは、日本人の考える声質に似ています。例えばRとかWや、あと母音の色々は喉の奥のきしむような音を頼りにして、私は聞き理解しているように感じます。それを声の質だと思ってしまうと、すごろくでいうと、振り出しに戻る、、、って感じです。(これは、上のことを紹介している人への批判ではありませんから、あしからず)。 私が「きしむ」感じの音と呼ぶのは例えばWとかR、母音だとSHIPのイとかCUTのUとか。これらの音は口発音の感覚で考えているかぎり、日本人には、曖昧に聞こえたりします。わけわからん音です。だから、口をはれぼったいかんじにして発音したり(ジャイアント馬場のアッポーって感じ)、鼻にかけてそれっぽくしたり、、、ということがこれまでされて来たのだと思います。 喉の深い位置を使えるようにすれば、本当にどんな音でも出せるようになりますよ。
我々にとって夢とはなんなのか
最近「エネキチ」状態である。エネキチとは、中1のときの親友が作った造語で、NHKきちがい、、つまりNHKを熱心に見ている、、、という意味だ。彼は「うちのおやじはえねきちじゃあ、NHKしかみんのんじゃ」というようなことを言っていた。「わしんとこもそうじゃ」みたいなことを言ったような気がする。彼とはTHEの発音がザなのかダなのかという議論もしていた。 外務省のバックアップで、アメリカのDCあたりではNHKをケーブル放送に加える、、、というふうになっているらしい。おかげで、日本の情報が毎日入ってくる。 先日は、登山家の三浦さんが、エベレスト登頂の快挙にからめて、「夢はあきらめなければかなうんだ」というようなことを言ってらっしゃった。今朝はスペースシャトルに現在乗り組んでいる日本人のかたが、「夢は大切にしていれば、かなうんだと実感した」というようなことをおっしゃっていた。 それを聞きながら思ったのは、夢として暖めていても、宇宙にいけない日本人は3千万人ぐらいいるだろう、、、ということだ。 頂点になった立場からいえば、「夢はみればかなう」と言えるだろう。ところが、ふもとからみると、全然かなわない。 夢を実現できるような社会にするには、個人が夢を見るだけでなく、制度が変わらないといけないと思う。試験や資格制度などで、落とす、、、という制度では、夢がバクチとなってしまう。何年も試験に時間を費やされ、落ちたらどうやって生活を保障してくれるのだろう。 (私は弁護士さんを日本で見たことがない。弁護士になるために勉強している人を図書館で見たことがあるぐらいだ。) ある程度の能力をしめせば、全員がなれるという制度に変える必要がある。じゃあ、質が落ちる、、、というかもしれないが、それは消費者としての国民のレベルで、質の悪いサービスを避ける、、、ということで対処するのがよいだろう。 NHKで医者がたりない、、、ということを聞いたが、なにか複雑な気持ちになった。なりたくてもなれない人がたくさんいたはずだからだ。 夢の実現のためには、個人の努力もいるが、ちゃんとした制度もいるのである。