「自己主張」の脱構築

英語喉革命さんが、以下に、「自分を取り戻す」というテーマで書いておられます。ちょうど私も似たテーマで書いたので、それに呼応していただいたかもしれない。 http://blog.livedoor.jp/nodorevolution/archives/51623403.html でも面白いです。呼応してもらったものを読むと、私のほうも、また考えてしまう。 私は、今後、日本人が自己主張がうまくなると思う。それは英語喉が助けてくれるから。しかし、その自己主張って、きっと論理的なものだけじゃないんだと思う。 なんというか、その場にいる存在感だろうか。カリズマ性と言ってもよいかもしれない。無視できないような感覚。もともと世界の人々は日本人には興味がある。日本の文化の世界に対する貢献はものすごいものがあるからだ。例えば、アメリカ人がデートに人を誘いたいときに「寿司でもどうですか?」と言って誘うことがマレではない。 社会的なものもある。例えば捕鯨の話だって、喉発音をしていれば、会議で出会うメンバーとダチ(友達)になるということだ。なあ~なあ~な仲になるということだ。だから、国際クラブが、クラブ活動みたいになるだろう。すると、主張をするだけでなく、日本の評判とかが気になりだす。会議が終われば、日本人が、外国人たちと、ダチとして会食をしたりするだろう。そんななかで、インフォーマルな影響力も出てくるのじゃないか? ここは譲るけど、これは認めて、、、みたいな交渉も会議の内と外でできるかもしれない。  

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名づけてゲロプッシュ

今日は、スカイプで教えさせてもらう機会がありました。それで、Mさんが、参考になったと言われた点、これはすでに書いたことがあるのですけれども、皆さんにシェアしたいです。 ゲロ的なプッシュ、、、というのは、声が小さくなる、シラブル間に隙間ができる、、、というのを防ぐことができます。げろをするときに、胃の方から押す感じのプッシュ、、、ゲロプッシュでしょうかが効きます。 喉をリラックスするんじゃなかったの?とおっしゃるかもしれませんが、ゲロプッシュって必ずしも力むってことではないと思います。ゲロをするときは、食べ物を逆流するわけですから、喉を閉めてしまっては、ゲロができません。 ゲロプッシュというのは、今、思いついた言葉です。ゲロプッシュを教えるだけで、なぜか、緊張感がとれます。だから、これまで何回も繰り返していたことを言わなくてもよくなりました。 きっと、ゲロを意識すると、意識の焦点が顔から胸?みぞおち?のあたりに移動する、、と。すると、顔が自然とリラックスする、、、のかな? すると顔も目が死んできて、「外人」っぽい顔になってくる。 以前は、私を同級生と思ってくださいとか、なれなれしい感じにしてくださいと何回も言っていたのだけど、ゲロの感じで、、、だけで、全てが解決してしまう、、、。 ゲロプッシュ万歳! ゲロプッシュって、実践でも使いやすい。ネイティブも明らかにゲロプッシュをしているから。笑いそうになってしまいます。 体のなかの根本的なプロセス、それも外から見えないものって、本当に言葉で説明しにくいですよね。 でもゲロプッシュは最初から言わないこと。最初から言うと、逆に、りきんでしまう。リラックスをまず教えておいて、そして、声が小さくなってしまうところ、あるいは、シラブル間に隙間ができるのを見つけたときに、ゲロプッシュを指導すると効果がある。 しかし、あれですね。テレビでアメリカ人の歌手の歌を聞いていると、本当にカエルが歌っているみたい。でも、それがまたいいんですけどね。SUGARLANDって歌手がいるんですけど、いいですよ~~。 YOUTUBEでゲロしながら喋る人いないかと思って探したら、全然違うのだけど、SPEAKING IN TONGUESというテーマにぶちあたった。アメリカの教会で、やや極端な信仰を信じる人達の間で、信仰の途中に、信者が、なにか全然普通の言語で突然話し出したりするのです。神がそうさせているということらしいです。 しかし英語ネイティブは、そのときも3ビートなのです。当たり前かもしれませんが。 http://www.youtube.com/watch?v=5SkLKJwzRlU&feature=related 英語喉をやっていれば、音としては聞き取りできますよね。

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ニーチェ・フーコーの系譜と心の位置(=胸のあたり)

大学時代によく読んだ本はニーチェとフーコーだけど、ますます、このニーチェの系譜からくる哲学の重要性が増している。そして、それは学問的なことではない。混迷の21世紀を生き抜くため、我が身を守るための哲学としてニーチェ、フーコーが重要になってくる。 哲学は読んでいるどころではない。実践するものに、いや、自分の身を守るための武器?いや、スキルになってきているのではないか? 私の記憶の中では、ニーチェは、人は、何か難しいものほど理論化(知の言説形成と言える)したがるということを指摘した。そしてフーコーは例えば、監獄の歴史とか、病院(クリニック)の歴史、、、といった普通の歴史家が扱わないようなもの、実践、知の歴史をたどったのだが、例えば、大昔は、監獄に今の時代では別の場所にいそうな人が集められていたという。例えば、いまだと精神病患者は病院に、犯罪者は監獄に、、、と別れているのだが、大昔は一箇所に集められていたというのだ。 そして、例えば、その集められ方は当時の分類法に基づいている。その分類法自体は当時の常識ともとれるもので、無意識なる分類だったりするから、パラダイムと呼べるかもしれない(そのパラダイムは必ずしも、強いものから弱いものに押し付けられるものとは想定されていない。そもそも、フーコーはそういう大きな社会理論をつくろうとしたわけではないらしい。) なぜフーコーはそんな人達の歴史を扱ったのだろうか?勝手な、また月並みな想像であるが、彼自身がゲイで、ゲイは一昔前は社会の辺境者的扱いを受けており、例えば、世間、いや心理学者が、ゲイの人達は、幼少のころに何か問題があったのではないかとか、勝手なことを理論化して、ゲイの人達を説明しようとした。つまり勝手に「知」を形成していたのだろう。今では人口の何%かは、ゲイの人口がいるのは普通であり、またアメリカにおいては、彼ら、彼女らの活躍が目覚ましい。例えば男性だけど、感覚的には、女性の感覚も持っていて、アルゴリズム的な考えも(男性的感性)、またマルチタスク的なこともできる(女性的感性)、、、というように、仕事の世界における活躍がいちじるしい。 中国の大昔のカレンダーには、現代の我々には全く想像もできないような物事、動物など?の範疇が説明されているという。人間は勝手に動物、人間、社会に知識によるレッテルを貼ってしまう。そのレッテルは勝手な分類だったりする。 我々、現代日本人は、勝手なレッテルによって、我が身を誘拐されていないだろうか? 共同親権?そんなものいりません。日本では離婚後は伝統的に片親が面倒を見るものです。それが日本の文化です。 捕鯨?日本固有の文化であります。あれは魚です(と解説しつつ、バックに明るめの音楽をながすこと)。 英語?日本人はまず日本語をやるべきです。英語と日本語を小学校で両方やると、両方、身につきません。 11歳までに言語を学ばないと、一生マスターできません。 人間は正社員と非正規社員に分かれます。 運動中は水を飲んではいけません。体がばてます(ふるいか?)。 精神力で勝つのです。 声を大きく出して美しい日本語を読みましょう。 論理力が大切です。 我々は言説に、言説自体に誘拐されているのではないだろうか? いや、厳密には、言説を本気にとる人が99%。本気にとらないけど、99%の人口が本気にしている、アホなやつらだなあ、と思いつつ、言説を操り、信じている人達をあやつるエリート集団(て、ちょっと陰謀説?) 言説は特に男を弱体化、草食化させる。勉強しましょう、練習しましょう、覚えましょう、がんばりましょう、やる気が大切、blah,blah,blah,,,声に出して読みましょう、大切なところには赤線を引きましょう、、、論理が大切です、、、出直してください、、、古典を読みましょう、、、 赤線を引いたり緑線を引く暇があったら、腕立て伏せをしろ、こら(笑)。 自分を、そして自分たちを取り戻すには、まず喉で発音し、感情を胸で感じることである。そして胸で感じた感情を口発音に還元することなく、豪快に表現しよう。いや、豪快である必要はない。上半身を緩めておくと自然に豪快になるだろう。 自分の声をみつける、、、というのは菅原里奈先生の言葉であるが、自分の声を見つけることは、自分の感情を見つけることである。そして、それは自分自身を見つけることでもある。 自分自身を見つけたと思ったら、あれ、これは方言で喋っていたころに自分じゃないかと思うこともあるだろう。 韓国人が豪快に会話している。あれ?あの豪快な感じは、標準語に触れるまえに、自分が方言で喋っていたときの感じだ。 心が頭というより、脳というより、「胸」にあるということがわかる。胸も心も、発話、笑い、泣きなどとともに、響くからだ。 心を胸にとりもどす=自分を取り戻すということではなかろうか????  

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