21世紀の言説空間は真っ白です

英語喉がでて3年以上になるけど、英語が聞けて、言える状態で、物事をみる、外国を見る、日本語見ると、新しく言えることがたくさんありますよね。 これは笑えました。ただの高校生さんが、英語の試験で、二つの単語の発音が同じだったらマル、違ったらバツという問題で、英語喉の発音記号だったら、バツだけど、学校で教えていることだったらマルってシチュエーションに遭遇されたようです。 http://watashityping.blog108.fc2.com/blog-entry-13.html しかし、センター試験などでも、やはり強く読むとこがどうのこうのというのは、違うと思います。やはり、一つの要因は、誰も英語ができないのに、英語の試験を作っていると言うこと、そして英語を人生の教育選択の中心になる科目としていること。 あと、昨日、英語の文法書を見ていたのだけど90%ぐらいが、文法というより、語彙だと思いました。SOMEとANYの用法、、、なんて、なんとなく文法っぽいけど、あれってSOMEとANYの意味の違いなのだから、語彙の問題だと思うのだけどなあ、、、間違っていますか? 日本人が考えて日本語になりにくい項目を文法と呼んでいるような気がしてならん。 でも、この言説の危うさって、英語だけなのですかね。日本人が考えるところの英語についてだけ、完全に勘違いによる言説構築物がそびえたっている、、、。 その他のもの、その他のあらゆる私たちの人生に影響を与えるものは、まずまずあっていて、英語に関するものだけ勘違いなのですかね??? 例えばですが、寒かったら風邪を引くとか、そういうのも違うと思うのだけど。温度じゃないような気がする。昔は、運動中に水を飲むなとか言ってましたよね。あれは、やっぱり間違っていたのかな、、、。 人間のつくるルール、言説空間は構築物ですよね。それは、真実であるとは限らない。 正社員と、非正社員ってのも、やっかいな区別です。これは法律によって、支えられているのでしょう。正社員として雇うと、解雇されにくいということになっていて、法律に守られている。だから新聞によると、JALで解雇という形にするまえに、希望退職という形にしたいということですね。 しかし、私自身、中学、高校とそういうことは知らなかった。確かに、すぐに就職することは大切だとは思っていたけど、正社員とそうでないのがあるとは知らなかった。 小学校の野球クラブで、6年生のときに補欠になったけど、4月になった時点で、すでに、チャンスはないということを知らなかった。6年生が11人ぐらいしかいなかったので、てっきり、努力すれば、レギュラーになれる、いや、せめて試合にはたまに出れる、いや、せめて練習はできると思い込んでおりました。弾拾いばかりやっていましたよ。 なにか、そのときのルールが現代日本社会のルールによく似ている。小学校5年のときに頑張って秀でたものだけが6年生のときにレギュラーになれる、、、と。なんか準備期間がものすごく厳しい。そして、なれたものだけが経験やスキルレベルを積むことができる??? アメリカでは、フルタイムという言い方をしますが、正規社員というのはないと思う。全員が、非正規社員で、いつでも解雇できるのだろう。その日のうちにでも解雇できます(また、労働者側はその日のうちに、やめると言ってもOK)という書類にサインしたこともあります。前のある会社に決まったときに、契約書で。 しかしそんなもんだと思っている。 国民保険もない。だから病気になって、仕事ができなかったら、まあ残念でしたということだと思います。まあ10年ぐらい働いていたら、障害者と認定されれば、お金をもらうことはできます。私も10年ぐらいは働いているので、年金とか、障害者基金とかはおりると手紙が何年か前から来てます。 でも10年に満たなかったら、グッドラックってこと?こわ~。 アメリカには、国民保険がないので、会社を通じて、保険にはいったりするけど、小さな会社には保険すらない。個人で買うには高すぎたりする。 またついこのあいだは法律がとおって、病気がすでにあっても、保険に入れるように、、、ということになった。 え??? つまり、すでに障害などがある場合、保険会社が加入を拒否できるということです。ただ、会社を通じて入る保険はそういうのは普通無いと思うが。 でも小さい会社とかだったら、病気を持っていそうな人を入れると保険のプレミアムが上がるということで、差別をするかもしれないですね。 で、今回、リパブリカンが選挙で圧制だったんだけど、国民保険的な改革はこれで終わりだと思われる。 アメリカに長く暮らしているが、なぜ大学生が就職、就職と悩んでいないかが分かる。大学時代になやんだところでしょうがない。 制度的にいつ解雇されるか分からないので、新卒で就職する場所について悩んでもしかたがない。 知っている人の子供の高校の就職率が5%だったと聞いた(日本)。日本の高校や大学は序列化されているので、平均の%はそれなりに高めだろうが、底辺になると泥沼になるのだろうか。 そういう意味でも、せめて英語だけは身につけて、自分のなかに投資したいものだ。英語喉が役に立ちますように。 大学生の内定率が悪いらしい。しかし、せめて英語ができると良いだろう。 英語ができる日本人募集なんて、仕事の宣伝はよくリンクトインで聞くので、英語は助けるはずだ。 さて、以下はウィリアム王子とフィアンセのインタビュー。最近、英語喉で聞き取りができるようになったというコメントをたくさん聞いた。このさい、外国のニュースは英語で見たらどうでしょう? http://www.youtube.com/watch?v=lzezeIdZyeY

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英語喉革命さんの疑問に答える

gorozoさんが、昨日のコメント欄で音声UPをされていたので、音声指導しましたので、見ておいて下さいwww.estat.us/blog/gorozo.mp3。  英語喉革命さんが、BLOGにて、ICARLYというアメリカの番組が日本でも放映されるということを紹介されていて(http://blog.livedoor.jp/nodorevolution/archives/51538321.html)、それに出てくる女の子たちの英語が、高速に聞こえるので、日本語よりもやはり速い?かも?そういうときもあるかも?ということを疑問を発してらっしゃる。 それで実際に、このICARLYの音声を録音し、それから比較とし、日本の天気予報を録音し、二つを比べてみた。スピードを比べている。どちらかというと、やはり日本語のほうが速いように思うが、皆さんどう思う? あと、高速の女の子達の英語をシャドーイングもしてみました。これは英語が聞き取れているよとカッコをつけるためが目的です。英語の聞き取りの本を出しているのに、本人が聞き取れないのでは話になりませんから。 あ、シラブルの話をするのを忘れました。動画中に。だからはじめて英語喉を知った人がみると意味がわからん?日本語のシラブル=ヒラガナ、英語のシラブル=<子音ー母音ー子音>で、そのリズムのスピードがどちらが速いかということです。 例:テ、ニ、ス(3拍) VS TEN-NIS(2拍) その拍のタイミングが日本語のほうが速いということです。一個のシラブル(ヒラガナ)に、普通、2個しか音を詰めなくてもよいので、出てくるタイミングが英語より速い。 これは動画です。15メグです。 www.estat.us/blog/icarly.wmv ちなみに、英語喉革命さんの紹介されている動画が、日本から見れない?そうですので、ソースとして使ったWAVファイルもおいておきます。皆さんのなかで、英語の先生をされているかたなど、授業で使われてはいかがでしょう?スピードを遅して流して比べてみては(私がやっているように)。 動画の中で使ったファイル二つ www.estat.us/blog/icarly.wav ICARLYの番組より www.estat.us/blog/tenkiyoho.wav 天気予報 あと、くどいですが、カズがカッコをつけたいがあまり、ずいぶん前に英語革命さんが書いているのを、練習して練習して、分からないところをジーナに聞いて、聞き取りができているまねをしていると思われると困りますので、さっき、英語喉革命さんがこの動画を紹介されていたのだということを証明するのに、今、ぐぐったときの、スクリーンショットを証拠として張ります。4時間前に喉革命さんが、該当の記事をUPされています。  

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感情を込めるとは?まだ言説的に安定しないが、とりあえず書いてみる

日本の音声学者の勘違いは、 破裂音を、破裂を強くして発音する音 と言う風に理解してしまったことだろう。実際には、口で音を調整するときに、プロセスとして、「破裂」と称すると、まあうまく描写できるものがありますよということだ。決して、破裂を強くするということではない。 破裂という漢字につられてしまったということもあるだろうが、日本語で破裂音は英語でも破裂音なので、破裂音と読んだところで、英語発音指導上、全く意味をもたない、、、という難題がある。 全く意味がないものを分類しているということは、それを分類するものをむなしくさせるだろう。意味がないからである。だから、英語のほうが、破裂が大きいと言ってしまうことで、意味を作り出す、、、人間は意味をつくる存在である、、、ということだろう。 破裂が大きいと言った時点で、データ分析をし、仮説を証明すればよいのだが、そうしてしまったらしまったで、その仮説がサポートされない。だって、強く発音する弱く発音する、破裂的な要素を強める、弱めるは、音の弁別的要素ではないからである。 さて、昨日のエントリーで感情を喉で表してみようと言った。これは、感情的になれということではない。そう理解すると、うえで説明した音声学者のおかした間違いを我々もおかしてしまうだろう。 そうではない。感情というのは、人間は誰でも持っている。いつもそれは存在する。その感情は、静けさだったり、悲しさだったり、楽しさだったり。そのときどきに、感じているものを喉の音色に託すということである。 私は昨日あたりからそれを実践しはじめた。 最初に敏感に反応したのは、うちの犬だ。うちの犬は、来いと言っても来ない犬だ。しかし、来て欲しいという気持ちを、心にうかんだとおりに、喉発音の音色に託すと、なんと愛犬が、面白いように来るのだ。 次にジーナも私の話をよく聞いているように感じた。話がはずむ。いや、それ以上に、私が彼女の声に、感情の流れを読めるようになったと言っても良い。 今朝、味噌汁とご飯を食ったのだが、それに魚肉のふりかけみたいなのをかけた。すると、その匂いが「くさい」と言っていたのだが、その喉撥音にこめられた気持ちが私には読み取れて、いやみに思えなかった。全然。 英語では、命令形をPLEASEなしによく使う。日本語に訳していると、軍隊で命令されたように思えるかもしれない。しかし、喉声で伝わってくる言葉、そしてそれを運ぶ音色を聴いていると、全然、命令に聞こえない。 これは私にとっては英語喉の2次革命である。 そして、仕事場に行く。すると、同僚の言葉に、喉発音を伝わって、感情が伝わってくる。だからこちらも、喉発音に感情を乗せて喋る(感情的になるというかんじではない、、、そのときの気分を大切にしながら、言葉をゆっくりゆっくり語る)。 すると、同僚が、去らない、、、。話が長くなる。 え?これって偶然???? 電話がかかってくる。すると相手の喉発音の音色を聞いていると相手の感情、思いやり、などがびんびんと伝わってくる。どういうことかというと、何かエラーがあったとする。すると、アメリカ人は話相手のせいだと聞こえないように、それはそれは、丁寧に、喉発音の音に思いやりを乗せて喋ってくる。 これだ!日本人が、日本人にしか以心伝心がないとか、日本人しか気を使わない、外人はざっくばらんで、おおざっぱだ、、、と思い込んで何百年。 私は、今、喉発音に、感情、思いやり、気持ちが聞けるようになったように思う。それをまず察知したのが、うちの愛犬だった。 色んなことを思い出す。今は忙しいので集中してかけないが、同じテーマを繰り返すことだろう。言説的に安定するまで。 そういえば、小学校のとき、妹を泣かしたとき、低学年だった妹(二人)は、「おか~ちゃ~ん」とか、「おば~ちゃ~ん」と言いながら同時に泣いていた。おばあちゃんが、「かもうな」と注意していたのを思い出す。 大人となると、泣くとき、全然喋れない。口発音が完成しているからだろうか? DCにはヒスパニックの人が多い。スペイン語の放送を聴いていると、番組の最初から最後まで泣きながら、視聴者のお便りを紹介している番組が少なくとも3年ぐらい前にあった。スペイン語は喉発音なので、泣きながらでも喋れるのだ! さて、感情を喉声に込めるといったが、これは、決して音程を上下させることではない。日本人が、感情を込めてセリフを読むとすると、全て音程と音の強さに還元してしまう(これ大切なところ。何回か繰り返して読んで、考えてみてほしい)。 それは、喉がリラックスしないので、感情を音にできないのではないだろうか??? そういえば、日本のドラマをみていると、演技が下手糞な人が多い。うまい人がいても、脇役が下手なので、ますますリアリズムがなくなる。 一方で、洋画を見ていると、本当にリアルだ。ストーリーラインを本気にしてしまう。 これは声に秘密があるのではないだろうか???? あ~~、いつも、カズはドライヒューモアがあると言われていた。ドライなのじゃなくて、口発音だったから、声で感情を表現できなかったってことじゃないのか???

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