尊敬すべき人々
喉の開き直りとは 会話のテクニック
色々とあるが、「喉の開き直り」というテクニックを考えた。 こないだ、喉応援団長と話をしたんじゃが、日本に帰ってくるときはひげをそれ、フウが悪い、というような暖かい指導を受けたこともあり(笑)、なぜか数日、喉が日本語喉になってしまった。喉応援団長によれば、ワシはアメリカに洗脳されとるということらしい。 その反省?からか、後遺症なのか、数日間ほど、ネイティブと話すときに声が小さくなった。 不思議なもんだ。ランチをちょっとさわがしいところで食べていたんだが、会話相手の顔をみていると、「ちょっと聞こえんわ」というような表情をしてくる。片方の耳を突き出してくるような感じ。で、思った、、、えーい、ワシはなんで小さい声でしゃべとるんじゃ、、、 と開きなおり、英語喉で喋りだした。 これを喉の開き直りといいたい。 てっちゃんがブログで自信について書いていたと思うが、まあこれは自信を持つということである。 日本人に特有なのか、自分だけなのか、よくわからんが、何かを言おうとするとき、まず謙虚になってしまう。いかに、その意見が些細なことかをことわってから喋ってしまったりする。 これではダメだから、喉の開き直りが必用なのだ。 で、そのためには状況をよく観察すること。上のコンテクストで、なぜ喉の開き直りができたかというと、相手の表情をよく見ていたからだ。そして相手の発する記号を読み取ったのだ。 国家の品格の藤原さんとか、英語道の松本さんがいいそうだが、日本人は言わずとも伝わる文化、、、というが、実は西洋人だって全く同じなのである。 聞こえんから大きい声で喋れなどといってこない。言葉なしに伝えようとするのだ。で、その方式が耳を傾けたりすることだ。そういうシグナルをしっかり観察すること。 これが喉コミュニケーションである。 もちろん、話を始めて最初から喉発音で自信満々でコミュニケートできるにこしたことはないが、声が小さくなってしまったり口発音になってしまうことが多い。が、それに気づき、勇気をもって軌道修正すること。 これが大切。 で、この「喉の開き直り」で、このあいだのミーティングで笑いを一本とった。 自分の働いている部署の会議だったのだが、みんながものすごいユーモアを使って笑わそう、笑わそうとする人ばかりだ。ちゃんと耳を開いて聞いているとそのことがよく分かった。 急に、大ボスがカズ、あの件について喋ってくれ、、、と言ったので、一瞬どきーんと緊張してしまった。 ちょっと緊張したので、声が小さめになってしまった。一応、内容的には説明できたと思う。で、席に着こうとしたら、大ボスが、「まだおわっとらへんよ」とユーモアを加えて、話し始めたのだが、そこで私は気づいた。 なぜ俺は小さい声でしゃべっとるのか?と。よーし、この場を借りて、俺も、アメリカ人を笑わせてやるぞと心に決めた。 で、「もっと自信をもって喋りますね」といって、急に、小林克也のような外人声で、大きな声で説明を始めたのだが、これが結構受けたらしい。非常に面白かったと人々が言ってくれた。 このように、喋っているうちに、相手のハッしてくる記号?とか、キューを読み取るのである。上の例でいうと、私のボスがまだおわっとらんよ、とちょっとユーモアをかまして言ってくれたのは、「カズが緊張しとるわい」というのを見て、反応したのだと思うのだ。 最初の例でもそうだが、そういう場をちゃんと読む、そのためには、ちゃんと観察する。 緊張する必要はなく、自信がなく、声が小さいな、口発音になっているな、、、と気づくこと。その気づきかたとしては、喋っている相手をちゃんと見るということがあるかもしれない。 そして気づいたら、自信をもって喋ればよいのである。息を大きくすって。 喉の開きなおり、、、と呼んでみる。 ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532
どのような勉強をしたか 今出川の思い出と行元さん
喉以前でもアメリカ英語なら100%聞き取れる状態まで行ったといったが、それは大学時代に留学をしていたことも理由だ。が、それ以上に、日本の大学(同志社)で毎日のように英語を喋っていたということがある。 不思議だ。学部で留学していたときは、授業は英語なので聞き取りということでは英語はいつもなのだが、あまり喋ったことがない。ところが同志社大学の今出川キャンパスにいると、毎日のように英語を喋る機会があった。留学生がたくさんいたのと、国際課ラウンジというのがあって、日本人学生と留学生がダベル、ツルム、、、という場があった。コーヒーが飲めたこともある。 だから不思議と学部留学中よりも、日本にいたほうが英語を何倍も多く喋った。色々と理由があるが、日本に来ている留学生が日本のことを学びにきているわけだから、話題が合いやすいということがある。 でももう一つ理由がある。留学生とつるんでいたのは80年代、90年代のハザマにあった私の大学時代、私とあと少数だけだったように思う。他の学生は恥ずかしがっていたのか、そういう機会を求めていなかった。私と私の友人たちは当たり前のように留学生と遊んでいた。 国際課の所長のTさんが、合宿だったかを企画してくれて、ますます国際交流に拍車がかかった。あとAKPというプログラムがあるのだが、アメリカからの留学生と同志社生を交流させようということで、がんがんと企画があった。 留学生といっても、当たり前だが、アメリカ人だけじゃなくて、台湾人とか韓国人とかと当たり前のように遊んでいた(そういえば、「一見さん」という小説を書いたスイスからの留学生もいた。すごいじゃん。映画化されたなんて、、、!小説のなかに、英文科の学生が出てくるのだが、それが誰や?というような話しになった。) とにかく、ものすごい盛り上がっていたような気がする。 さて、そこに登場するのが、京都の行元さんだ。ちょっと行元さんの話をしたい。英語喉を一番読んでもらいたい人が行元さんだ。当時40(?)ぐらいのオジサンであったが、なぜか、同志社大学でINTERNATIONAL DISCUSSION GROUPという団体を仕切っていた。正確にいうと、私がGちゃんから引き継いだのだが、行元さんの登場でIDGは彼の指揮の元に結構発展をつげた。 確か週1か何かだったと思うが、行元さんがあらゆる国籍のゲストスピーカーを呼んでくるのである。一体どこからつれてくるんや、、、という感じだった。 行元さんは日本にいるだけで英語をマスターしたい、、、という夢を持っていた。だから英語喉をすぐにでも届けたいのである。 上川君、はよう日本に帰っておいで。IDGは続いているからね、、、と電話で喋ったことを覚えている。