批判的コメンタリー
英語教育に関する日本人の幻想
日本人が英語教育と称してやってきたことの多くは幻想であった。 http://blog.with2.net/link.php?709532:1932 例えば、今でさえ、中学高校生は単語のアクセントの位置を覚えている。センターテストでは、強く読む語を問われる。ネイティブにその質問をしても、とまどうのだが、実は、こういう強く読む、弱く読むというのは、 1.誰でもできる 2.暗記できる 3.試験形式にできる 4.人数が多くも教えられる から、大切だと勘違いされてきたのである。 もうひとつの勘違いは、熟語が存在するという勘違いである。日本では熟語集と称して、多くの熟語を覚える。日本語には4字熟語というのがある。日本語にもあるから、英語にもあるという発想である。 しかし、英語には熟語が存在しない。さっそく、それでは、VOICE OF AMERICAの記事を見てみよう。 BANGKOK - Burma’s democracy leader, Aung San Suu Kyi, is leaving the country for the first time in 24 years. She is scheduled to arrive in Bangkok Tuesday evening and is expected to visit migrant workers and refugees from Burma and speak at […]
読解力の不思議
仕事で猛烈に読むプロジェクトがある。さらに、今週は、プロポーザルを書くチームに突然駆り出されたので(業界でよくある)、昨日から200ページの書類を読む必要性が生じた。 http://blog.with2.net/link.php?709532:1932 が、全然、苦労しない。 不思議なのだが、全然、文法に頼って読まない。頼っているのは、単語だ。 英語は日本語と違い、意味の解釈に文法があまり関与しないのである。 英語のフォーマルライティングでは、疑問文をあまり使うなと教わる。これは大学のライティングクラスで言われるのだけど、書くときには、疑問文はあまり使うな、、、と。 その意味が理解できるように思う。いちいち疑問文があると、文法を意識しないといけなくなる。 THIS IS ~~~が肯定文だが、疑問文だと IS THIS ~~~となる。語順に注意しないといけないので、読むスピード、そして、理解の効率性が落ちる。 英語を読むときには、単語の意味を知っていればよい。 日本人が文法が大切だと思っているのは、単語の意味が分からないからだろう。また、意味を知っていても、日本語と対応して覚えているために、役に立たない。 例えば、日本人は、ITには10個ぐらい意味があると思い込んでいる。だから、単語を一つ見たとき、それが自分の覚えている日本語のどれに対応するのかを考えないといけないし、文法に頼らないとその意味が分からない。 しかし、ITには一つの意味しかない。ITはITという意味しかない。 しかし、IT IS GOOD TO GOとIT IS A PENのITが違うと思い込んでいる場合、ITとその他の部分の関連性を考えないと意味が分からない。 英語教育者で発言している人の多くは、ヤケクソ状態で、日本人は文法を勉強せよとせかすが、それは彼ら、彼女らの英語力がいけていないのが原因である。 その証拠に、どんなに英語改革を訴えている人でも、このネットが発達した時代に、英語でアドリブでしゃべっている人がいない。アドリブで英語を喋っているのは、日本に1億人以上の人がいて、英語を全員が学校で勉強したわけだが、準備なしに英語を喋って、ネットで発信しているのは英語喉の実践家か、広島出身の英語関係者ぐらいだ(小林かつや氏、発音教育で有名なスーギー氏)。 ギターなど音楽の分野だと、ものすごい数の日本人がYOUTUBEやMIXIで動画をUPしているのに。 英語の最初の入れ方が、初期入力が間違っているのだ。 私の姪が小学校に入学したばかりだが、近所の英語教室に行きだしたと聞いたのだが、私としては、初期入力を間違う最初の1歩か?とちょっと不安である。 英語を読むときに、文法はいらない。 先日、中国ののど飴みたいなのを買ったのだが、その説明書を私は読んで理解できた。以下のような文が書いてあった。 うろ覚えなので勝手につくるが、、 要保存於影冷場所 みたいなことが書いてある。英語の訳文には、冷たい場所に保存せよとある。 英語も中国語も、一語、一語で意味が決定しているので、文法がいらない。 広島弁でも一語一語、1シラブル、1シラブルで意味が決定していることが多い(かな?)。 ほ~、じゃ。ほ~、なん。 中国語と同じだ。 英語だと、例えば、ぱっとみて、THEがあると、それはTHEでしかありえない。 NUMBERとあると、NUMBERとしかあえりない。 数という意味かもしれない、数字と言う意味かもしれない、A NUMBER OFでたくさんのという意味かもしれない、、、と思うのは、日本人が英語を日本語に対応させて暗記しているからで、NUMBERはNUMBERでしかない。 なぜ文法、文法と言うのであろうか???? それは、英語を間違ったやりかたで初期入力しているからだろう。 ヨーロッパ言語のノンネイティブ話者の場合、英語を勉強するときに、初期入力に間違うことはない。そもそも、根本の文法が英語と同じなので、初期入力する必要がなく、すでに入っているのである。 日本人ができることは、できるだけ字を通さずに、英語を覚えることだ。 ネイティブの子供でさえ、字を通さずに英語をおぼえ、生まれて7年ぐらいは本格的には読んだり書いたりしない。 このあたりは、MASA氏(BLOGは「喉の旅」)が、生き証人で、英語を使うことで、英会話がぺらぺらになったどころか、読む力、書く力もネイティブ並み、、、1年ちょっとで。 最近では、ネイティブに、ネイティブよりも、英語が書けると言われているらしい。 英文法、英文法というが、中学でもう勉強しているのではないか?それ以上何を勉強するのだろう???
教育 自然に持っているものを活かす方向
剣道を去年の秋から初めて、学んだものというか、勝手にこういう方向がいいのじゃないかと思っていることがあります。 http://blog.with2.net/link.php?709532:1932 それは、例えば「踏み込み」にしても、自然に私が人間として、持っている歩き方、小走りのときの感じと同じじゃないか??と。 どう考えても、簡単なことで、ただ前に進むだけです。 それが難しいのは、きっと、竹刀を持って相手の面を叩くというプラスアルファのことをすると、体全体のバランスが崩れてしまう。 色々なアドバイスを受けました。それぞれがひとつの方向に向かっているように思います。 右足でストンピングする感じで飛び込み、自然に体重を移行させる。とくに、後者をとりいれました。右足でストンピングしているうちに、右足が痛くなってきたのですが、痛くなっているということは、何か違うんじゃないか?と。 昔は、痛くても、慣れる。固める、、、という形が学習というものだと感じていました。 これは受験勉強のときがそうでした。とにかく、やる、覚える、繰り返す。 あと、剣道で、最近では、左足をさっとひきつけるのが大切だという指導を受けたのです。これは確かにいいと思うのですが、どうも、アキレス腱あたりに負担がかかります。 痛いような方向は、人間の摂理に反抗している、、、だから、それをさけるのがいいのじゃないかと。 道場では、腰から当たるという練習をしているのですが、これがまさに、普通に歩いているときに、もうしていることです。 特別なことではありません。 人間という動物がもっとも自然にしていることを生かしていく形で学んでいくのがいいのじゃないか? 最近、基本の稽古も楽しくなってきました。基本の稽古というと、同じことの繰り返しのようですが、め~~んと打った時に、「楽しいと感じたかどうか?」で判断しています。体の感覚で例えば、手に力がはいりすぎたとしたら、なんか、楽しくないのです。竹刀がかするような当たり方だと、楽しくありません。 よく、考えられるように教育をするといいますが、逆に、もう人間というのは、考える動物として生まれているのではないでしょうか? なのに、学校というシステムのなかでは、一人の先生が大人数を教えるので、教えるという実践が、テレビでドラマを見ている感じになるのではないでしょうか?1対30人?40人?で可能なことがどうしても強調されます。 例えば、先生1人対生徒40人の英語のクラスだとしたら、英会話は不可能です。 が、覚えるということは可能です。 しかし、例えば、私の広島の友人の直君は、英語は勉強していませんが、発音ができます。発音ができるということは、きっと音としても聞けているということです。 https://www.facebook.com/photo.php?v=215517675230957 (直君との会話の英語版です。) これは直君に限ったことではありません。中国地方、九州地方、四国の西の出身者は、普通に発声していれば、英語の発音ができるのです。 そのあたりを生かした形で、英語教育でもなんでもやるべきではないでしょうか? 暗記をしないといけないとなると、どうしても、嫌になる人もたくさんいます。 スペルを正確に覚える理由はないのではないでしょうか? ネイティブは結構、スペルが不得意な人がたくさんいます。 学校の制度があって、先生一人に対して30人、40人の生徒の教室の制度があるので、コントロールの問題ができて、暗記だとかが強調させるのだと思います。 常に「字の世界」の教育になります。字の世界が得意な人もいれば、嫌な人がいます。 面倒くさいことをやめれば、自然に、英語が得意になる人口が増えるのではないでしょうか? こないだ、小学校1年生になった姪とSKYPEで喋っておりまして、クイズをしていました。ジーナが英語で、例えば、BBQとか言います。そして、姪が、それを何を言ったかを当てます。 録音していたのに、うまくとれていなくて悔しいのですが、、、 YOGURTをちょうど食べていたので、YOGURTとジーナがネイティブ発音で言ったら、姪が、 ヨーグルト! とうまく当てました。 子供のときは、英語が聞こえているのではないでしょうか? でも、高校生ぐらいで、同じYOGURTのネイティブ発音を聞くと、「ヨーグー」みたいに空耳現象が起こります。 子供の感性をそのまま育てるような教育がよいのじゃないかと思いました。