批判的コメンタリー
ハックせよ
<後日談 以下に書いた剣道についてのコツは、実際に試してみたら全然だめでした(笑)。私は、えいやっ、と踏み込んで、相手の面に当てるとき、届かないという感覚があり、悩んでいます。が、実はある剣道の先生の説明を聞いたところによりますと、相手がむかってくる瞬間、それを狙うのだそうです。相手が向かってきているのだから、距離が短くなるそうです。これを試してみます。> この2週間、ぼけーっと過ごした。日本語から離れ、また堅苦しい思考法からも離れた。 そんなオフの時間が大切だ、、、なんてよく言うが、つきつけて考えてもやはり大切だ。 http://blog.with2.net/link.php?709532:1932 バケーション(休暇)は大切だ。 つきつめて考える毎日のなかでは、思考が狭くなる。 ぼけーーーとしていると、え?というようなことに行き着くことがある。 今回、フロリダでは義理の父母といたのだが、義理の父とテレビでぼけ~~とボクシングを見ていた。 そこで、ついに私は剣道をハックするにいたってしまった。 ハックとは、ハッキングという風にいうのだと思うけど、例えばソフトウェアなどを外側から攻撃し、いじって、中を変えてしまうことだ。よく、日本の政府のウェブサイトが、中国からのサイバー攻撃で、内容を書きかえらせたりしてしまうことがあるという。 ちょうどフロリダで読んだ新聞に、日本から今、シリコンバレーに日本人の若手企業家・コンピュータプログラマーが集まっていると書いてあって、そこで日本人が「日本ではハックすると、非難されるが、アメリカでハックすると、もっとやれといわれる」と述べていた。 そんなもんかいなあ、、、と思ったが、ハックという言葉は気に入った。英語喉はハッキングであろう。 英語の音声現象を、喉の響かせる位置と、3ビート(シラブルの構造)で、説明しきる、そして、実践をする、、、という行為。これはハッキングに似ている。 そして、日本の英語教育では、いまだにアクセントの位置を覚えるだのどうの、、、ということで存続している。 さて、ボクシングだが、気がついたのだが、選手の左足が前に出ている。 剣道では右足が前に出ているのに。 そこで、わざと、左足を前にして、剣道の踏み込みをしてみた。 すると、なんと、新幹線が行きかうときのような、ものすごい勢いで前に進むことができた! その瞬間、私は思った。 私は剣道をハッキングした、、、と。 これまで、私は、日本人の3人の剣道メート・先生たちに踏み込みについて指導を受けてきたのだが、どうしても、実践において、面をうったあとに、が~~~んと進み続けることができなかった。 それなりに良い評価をもらった。しかし、どうしても、合格点をとれない。 そこで、ある先生は、私が怖がっているからだとおっしゃった。 しかし、これはおかしい。私は全然怖くなかったからだ。いや、本能的に、相手から自分を防御しようとして、踏み込みが足りなくなるのか、、、とも解釈した。 しかし、意識的に、相手を怖がらずに、踏み込んでも、面まではよいが、そのあとに、ず~~んと進み続けることができない。 しかし、先生たちの踏み込みは、まるで新幹線が通り過ぎていくようであった。 ボクシングを見て分かったこと。それは、剣道において、自分と相手の距離は、私(=自分)の左足と、相手の面の距離だということだ。 剣道の練習においては、前に出ている右足と、後ろにひいている左足の間に、ある程度の距離がある。 しかし、この距離を最小限度にすれば、相手との距離が縮まることに気がついた。 あえて、左足を前に出してしまうならば、も~~と近くなる。 剣道において、そもそも、右足を前にするのは、それは、そうしないと、前に進んだときに体当たりしてしまい、都合が悪いからだ。つまり、これは自然な結果ではんくて、スポーツとしての剣道を可能とするうえでの要請である。 実施に、相手を真剣で倒さないといけない状況においては、右足を前に出すことが、ベストではないかもしれない。 これは、侍たちが、どう構えたか、を考えると分かる。剣道のフォームでちゃんばらはしない。 つまり武道が剣道としてスポーツ化する過程において、試合をなりたたせる要請として、右足を前に出すということが生まれたのだ。 私が剣道をハックしたと思うのだが、まだ試してはいない。が、今度やってみる。 ちょうど、はかまは足を隠してくれる。だから、私は、わざと、先生たちにばれないように、右足と左足をできるだけ近づけてしまおう。 そして、右と左がそろうぐらいまで近づければ、相手との距離(左足と相手の面の距離)が縮まる。 先生たちにばれないようにと書いたが、先生たちだって、これをしていると私は思うので、先生たちをまず、横からじっくり観察してみよう。 しかし、これははかまでかくした状態で行わないと、試合でいえば、審判にばれてしまうだろう。 私は、なにかスポーツをするときに、そのうまい、下手が、肉体的な強さに起因する割合が少ないと信じたい。 ある意味で、私は、肉体的な強さだとこれまで思っていたがために、体育があまり得意種目ではなかったのだろう。 剣道においては、たかが、目の前にいる相手に竹刀を当てるだけなのに、異常なほど、踏み込みが難しい。 これは、自分のせいではなくて、歴史的な剣道の言説・実践形成の要請に理由があったのだと考えると自然である。 もう私の頭のなかでは、剣道が上達している。 ちょうど、勉強をしていないのに、スペイン語がどんどん上達しているのに似ている。 さて、バケーションでぼけっとしていたおかげで、ボクシングをみて、剣道に応用できる、、、という知見を得たのであった。 残念ながら、次に剣道の稽古にいけるのは1週間以上後だ。それまでは、頭のなかで、剣道を上達させることにする。 GW大学の学生で、俺が踏み込みを勝手に指導したら(走るときのような感じで体重移動をさせて踏み込んだら?と勝手に指導してみたら、非常によくなったのだ)、とても喜んで実際上達したJ君がいるのだが、彼にメッセージを送り、先に試してもらうことにしよう。 我々が、知識、ルール、道徳、として信じているものは、それらが、正しいから、そういうものとしてある、、、ものに加え、実は、歴史的なる要請によって、とりあえず正しいとされていることがある。 そのひとつが、英語教育におけるアクセントの問題であったり、文法問題であったり、語彙問題だったりだろう。 本当の正しい知識なのかを見破る方法はひとつだ。正しいとされることをやっている人自体が、そのことができているか、、、。例えば、英語教育で言えば、じゃ、アクセントの位置を覚えている人が、英語ができるてるの? これだけで足りる。 ちなみに「英語できてるの?」という問いに対して、「そのできているということの定義は?」とかえしてくるのが現在のパラダイムである。 私がハックしたと豪語している上の剣道のコツ、、、も、実際やってみて、私が(あるいはJ君が)相手の面をうち、そして、豪快に、相手の右側を抜き進むことができるかどうか、、、 つまり「できた」かどうか、、、これだけでよい。 […]
日本を知るとは日本の中の多様性を知ることだったのか
これはメンバーオンリー記事です。 This is a member-only essay! さて、今日は、木曜日なので、ワシントンDCボランティア講座の日だ。今日からやってみたいこと、、、それは、日本の出身地をまず聞いて、その場所によって席順を決定することだ。西から座ってもらうことにする。そうすることで、本当に、発声の堅さ(日本語でも英語でも)が、英語喉のマスター度に関係しているかを知りたいからだ。 Today is Thursday, so I am going to teach a volunteer class for local Japanese people living in DC. I am going to ask participants where they came from Japan and will decide the seating arrangement accordingly. I will ask them to sit on my left if they […]
問題提起 日米間の懸案の背後にあるもの ヘーグ条約の件
人気ブログ投票にぽちっとお願いします。 この日曜日、10月30日の英語喉ライブですが、日本時間の夜8時から9時まで、英語喉初心者クリニックを行います(米国東部時間、朝7時から8時まで)。参加希望のかたは、まず、このサイトに登録の上、サイト内のフォーラムよりお知らせください(登録していただくと、連絡しやすいため)。3人ぐらい募集したいと考えています。SKYPEと英語喉の本を使うので準備しておいてください。 さて、 特に日米間で問題となっていることのひとつに、日本人元妻による子供連れ去りの問題がある。アメリカ人と結婚していた日本人女性が、子供を日本に連れ帰ってしまうということが問題となっている。日本はヘーグ条約に加盟していなくて、アメリカに残る元夫が非常に困っているという件だ。 アメリカでは共同親権といって、離婚後も元夫と元妻が子供に会う権利を保有できるのだけど(事情によっては奪われることがある)、日本では、片方がとることになっている、、、ということだ。 この問題が今後も解決しないだろうと思われる理由が二つある。 一つ目は、日本人の英語力の問題である。日本に住んでいて、「アメリカで外国人として言葉に苦労している日本人元妻は、やむにやまれず、子供を日本に連れ帰った」と聞くと、日本人は、当然、同情する。その気持ちが分かるようである。これは、ひとつには、日本人は外国に何十年住んでも、その土地の言語が音として聞こえないということがある。だから、日本人の感情として、「外国人としてアメリカに暮らす」人達に圧倒的なる同情がある。 だから、結果として、英語が普通にできるガイジンである元夫のほうには、同情がいきにくい。 昨日、アフリカの同僚、ヨーロッパの同僚、アメリカ人の同僚と、ランチをした。私も含め、アメリカ人を除いては、みな、ノンネイティブなのだ。しかし、だからと言って、ノンネイティブの英語が、アメリカ人の英語よりも劣っているとは全く感じられない。 英語は聞こえてしまえば、非常に簡単なので、ノンネイティブでも比較的簡単にマスターできてしまう。 中国人などは、中国生まれでも確実にアメリカのビジネスや、政府機関に就職できている。郵便局などに行くと、どう考えても中国ナマリの中国人が普通に仕事をしている。 日本人だけが、アメリカにおいて、日本の企業、日本の政府機関、あるいは、アメリカ会社の日本関係の支部にだけ働いている(のが普通)。 他のノンネイティブは普通にアメリカの会社でアメリカ人と同じレベルで英語をしゃべり、普通に暮らしている。 もちろん、貧困と隣り合わせで、英語を勉強する時間のない人たち、不法に入国してきたヒスパニックの人たちは、そうはいかないかもしれない(とはいえ、私のアパートを掃除している人達でさえ、普通に英語を喋っている)。 だから、ノンネイティブであって、離婚とか、子供の関係の調停となったとき、別に、ガイジンだから不利だという感覚はない。弁護士自体はアメリカ人であることが普通だからというのもあるので、ノンネイティブだから、不利になるということがない。そもそも、裁判所自体が、相手がアメリカ人だ、ガイジンだという区別をしていない。これは、警察が、スピード違反をした自動車を止めたときに、その運転手がアメリカ国籍を持っているか、外人かに関知していないのと同じであろう。 アメリカにも日本人専用の掲示板があり、ワシントンDCにもあるけど、人が、「日本語の分かる歯医者さん」とか、「日本語の分かるお医者さん」を猛烈に探している。また、日本人から日本車を買う、、、というのも普通に思える。 しかし、日本人以外のノンネイティブのワシントン地域住民が、「ギリシャ語の分かる歯医者さん」などを探しているとは思えない(もう一度、確認しておくが、不法入国のひすぱにっくの人達には経済的な事情などもあるので、ここでは例外とする)。 日本に英語が伝わって300年たつというけど、この300年間、英語が難しいとなっている。1980年ぐらいから留学なども盛んになったが、英語が不自由なまま、日本に帰国し、その人達の言論も、英語は難しい、、、ということで一致団結している。 英語が簡単だと思っているのは、私、MASAさん、KAZY、NITROさんとか、日本ではまだまだ数えるほどではないだろうか? 私自身には、アメリカの会社で働いていて、ノンネイティブが全然英語で苦労していないという観察がある。 剣道部員で1ヶ月前にアメリカにきた中国人の大学1年生でさえ、授業の英語は分かると言っている。 それほど、英語は簡単なのだ。 英語が難しいのは、それは、日本人が日本語を通じて英語を勉強しているからだ。また英文法というのも、非常に、重箱の隅をつつくようなことが占めているために、勉強すれば、するほど難しくなる。本当はシンプルに表現できるのに、英文法というのは、非常に総合的に英語で発話可能なものすべてを扱っているので、非常に難しくなる。 英語ができれば、現地のことは現地の法律で、解決するということが可能になるのではないだろうか? 二つ目の問題は、いくらアメリカ人の元夫が、子供に会いたいと訴えたとしても、そのジェスチャー、喉発音などのせいで、「ガイジン」として写ってしまい、わがまま、おうへい、などというイメージを避けられない。だから、日本人の心に訴えることができない。同じ人間として写りにくいからだ。 しかし、喉音から伝わる感情を聞いてほしい。それができないと永久に外人=おうへい、ごうまん、、、これではどんな問題も解決不可能だ。 英語喉を経験したあとで、アメリカの歌を聴いたら、その歌詞、そして、声を伝わってくる感情に、どっぷりつかり、感動してしまったということがあるはずだ。 第3の問題として、アメリカ人にも日本人の元妻の感情が分かりにくいというのもある。以下はABCのレポートだが、5分30秒のところで、日本人元妻のかたが出てくるが、もし日本語でなら、日本人には理解できるような感情が伝わってくるだろう。しかし、彼女の英語を西洋人が聞くと、冷たい感じがして、さらにお互いの理解が困難となるだろう。英語で喋っているけれども、口発音・2ビートの場合通じにくいので、字幕が出ている。また、怒っているように聞こえてしまう。これもまた、お互いの事情などを分かりにくくするので、ますます、海外では、彼女の事情が理解しにくくなってしまう。 (日本人の英語に字幕がいるのは、日本人以外の人類は、音の響きを手がかりに音色を聞き分けている。日本語のように音が平たい場合、音の区別がつかない。これは、英語喉を自分でも体験してみないと分からない点だ。響きによる音色の区別をしていない日本人は、英語には強く読む場所と弱く読む場所があると思い込んでおり、教育制度のなかでも、暗記のポイントとなっているので、中学、高校と、実りのない英語教育を6年することになる。今度はそれが小学校までに広がるということだ。日本の大学の先生までもが、日本人には日本人の英語があっていいと言っているが、それは、日本に住んでいるネイティブが日本人の英語に慣れているから、日本人に英語でもある程度通じるという環境があるから可能となる言い方であるが、このことを言えばいうほど理解されないことでしょう。) ちなみに、インタビューをしているアメリカ人の女性が、非常に気を使いながら、一方的にならず、彼女の心を汲むような感じで、話しているのが喉の音を通じて私には伝わってくる。日本人女性が言う全てのことを、アメリカの視聴者が分かりやすいように、繰り返しながらも、非常に、気をつかって、彼女の気持ちを分かろうと懸命に聞いている。 ヘーグ条約は、現地のことは現地でまず解決しましょうということで、決して、現地に戻って不利にしてやろうということではないだろう。現地にだって、近代的な法律がある。弱者を守る仕組みがある。 しかし、日本から考えると、外国に暮らすのは大変とか、外国語は大変と言う感覚がある。さらに英語の音がそもそも聞こえないとなると、この問題は解決不可能に近い。 政府のかたがたでこの懸案にかかわっている人達でさえ、現地の裁判になると圧倒的に不利という感覚から出発するだろう。しかし、現地にも法律があるわけです。 この法律が好きとか、嫌いとか選べないのではないしょうか? 人気ブログ投票にぽちっとお願いします。