教育実践・言説の脱構築
単語における強勢の位置の問題は、アメリカの公民権運動でいうと、ローザパークスさん
Try TOEIC Part 5 Last weekend, reality star Kim Kardashian ***** one of her Twitter followers not to undergo plastic surgery to try to look like her. (A) said (B) urged (C) specified (D) remained 単語における強勢の位置の問題は、アメリカの公民権運動でいうと、ローザパークスさんがバスで白人に席を譲らなかったことに値いするようなきっかけになって欲しいと思っている。 強勢の位置なんて、英語が通じる通じないに関係ないし、日本でしか問われていないんだ、、、という真実にきづくことがきっかけとなり、英語喉が広まり、そして日本人が永久に英語の苦手意識から開放される、、、と。 そもそも強勢って何? 音の大きさならば、録音されたものの音量を測ればよい。 音程?それならば、また自然の会話を録音し、本当に音程が変わると意味が分からなくなるのか?を示せばよい。 しかし、強勢の意味が、音の大きさなのか、音程なのか?を曖昧にしておくことで、強勢の位置を問う問題は生き延びていくだろう。 だって、そういうことを問おうものなら、「あなたは音声学を勉強しましたか?」「勉強してからやり直してください」という言説戦略を行使することができるからである。 しかし、音声学は、INTERNAL VALIDITYにおいても、完全に、論理破綻している。 REALLYというのをいろんなイントネーションで言えるのは有名な話だが、あれ?強勢の位置って自由だったの?となる。 あれ、疑問のときはイントネーションをあげるんでしょ?じゃあ、COFFEEの強勢の位置が変わるよね。じゃあ、英語で疑問にすると英語が通じなくなるの? ネイティブだって、日本人がそうするようにシラブルを一つ一つ強調することがある。すると英語が通じなくなるのか??? そもそも、ネイティブはそこまで馬鹿じゃないということに気づこう。 例えば、ジーナの名前を呼ぶときに、前半を強く読もうと、後半を強く読もうと、平坦に読もうと、通じる、、、というか、まったくそういうことは通じる通じないに関係ない。 誰かが私に、う、え、か、わと呼ぶとき、英語だろうと日本語だろうと、その名前のどこを強く読もうが、私は私の名前が呼ばれていることがわかる。 私も、英語ネイティブもそんなに馬鹿ではないからである。 強勢の位置は、弁別的な要素ではないのである。 強勢の位置の問題は、英語の教科において、無限の試験問題をつくるための言説戦略である。 音声学者の書いた本に、例えばだが、何々といったら通じなかったという話が登場するが、そこでASSUMEされているのは、その何々のところだけが通じなかったと思っている点である。本当は、文の最初から最後まで通じにくかったのかもしれない。そして、相手が「あ、XXですね」と大げさに言い返す。本当は、全体を強調して発しているのだと思うが、日本人の耳には、最初の部分だけが強く聞こえる。だから、「なるほどアクセントの位置を間違ったから通じなかったのだな」と納得すると。 あれ、今、テレビでリトルチャロが始まった。 帰国子女の人とか、ハーフの人とかが、多くナレーターさんとして、こういう番組で採用されると思うが、普通の日本人も、こういう番組で活躍できる時代がきっと来ると思う。 Answer (B) urged Source: […]
中国人の「友人達」からメールがくるたびに、あせりがくる。
Try TOEIC Part 5 Mel Gibson can do *****, as he demonstrates with his pratfalls in "What Women Want" and his humorous con-artistry in "Maverick." (A) romance (B) tragedy (C) comedy (D) horror ラジオ体操がああいうものなのは、全国民にある程度の運動を、非常に効率的に与えることができるからだろう。盆踊りも同じだろうか。形として決まっているものは、だいたい、既存の権力関係を維持するのに、便利のように思われる。 形というのは、今の社会で全然役に立たないように思う。形で得をするのは、すでに地位があり、権力関係の上のほうに入れる人じゃないかな。そして、形を信じて頑張っている人はむくわれない。でも、むくわれないというより、形を信じて頑張っているように、見せておいて、権力を持つ人からFAVORを得るということじゃないのかな。 そうこうしているうちに、世界は英語を駆使して、GLOBALな経済の力学を利用する人達に牛耳られていくのかもしれない。 英語なんて、日本に住んでいる限りはいりませんよ、全然、困りませんよ、、、という言い方を、英語教育を専門にしている人から聞いたこともあるが、これは、非常に悩ましい。 私は、自分の統計学関係のウェブサイトもやっているのだが週に一回ぐらいは、世界に散らばった中国人の統計アナリスト的な人達から質問を受ける。イギリスからだったり、カナダからだったり、色々と質問を受ける。また、アドバイスを受けることももちろんある。情報を提供すると、学ぶものもある。この人達は、英語を当たり前のように駆使してやっているのだ。 日本では、就職活動とかの形があり、大学の3年生ぐらいからがんばらないといけない。そんなときに、中国人の若者は英語を駆使して、海外に進出し、スキルや知識を伸ばしているのだろう。 日本の音声学者は、英語の聞き取りは、強いところを中心に聞こうとかいうが、そんなことを、この世界にちらばった、知識や技術の習得に貪欲な中国人の若者が聞いたら、笑うだろう。アクセントの位置が大切ですなどというが、そういうことは、もう言わないほうが良いと思う。 中国人の「友人達」からメールがくるたびに、あせりがくる。 英語喉を、小中高の教育にとりくめば、きっと高校卒業までには、英語が当たり前な人材が育つだろう。 ところで、LOUDNESSが今、ヨーロッパに行っている。この人たちやっぱり本物だ。中学、高校とLOUDNESSのファンだったけど、誇りに思う。 Answer: (C) comedy Source: http://www.cnn.com/2010/SHOWBIZ/Movies/07/21/mel.gibson/index.html?hpt=C1
箱の外に出て考える 技能社会主義の薦め
箱の外に出て考えよというような言い方があるが、決まりきった見方ではなく、新しいものの見方をしてみようということだ。 喉革命以来、新しいパラダイムのお陰で、何か、新しい考え方がしやすくなったような気がする。特に、教育実践の言説において色々考えることがあるが、なぜか喉パラダイム以降は、比較的だが、新しい見方ができるように思う。少なくとも、いや、違った見方があるのではないかと思うことができる。 この数年で色々ないちゃもんをつけられてきたが、一番、腹がたったのは、発音とか聞き取りの分野のことではなくギター演奏のことであった。 私は、自分自身のギタープレーと、他のアマチュアとのギタープレイを比べて、とても、違うと思うことがある。 それは、他のアマチュアの人達は、ソロをひくときに、ギターのネック一生懸命みながら演奏しているということ。それに比べて、私は、ほとんど見ない。見る必要がなぜあるのか、全然分からない。昨日も、明日も、もちろん今日も、ドの位置はかわらないのに、なぜいちいち、人はネックを見ながら弾くのか。これがよくわからなかった。 ところがあることがきっかけで、なぜ殆どのギタリストが見ながら弾くのかが分かった。 それは、ソロ演奏のとき、普通の人は左手の指を3本しか使わないからだ。これは愕然とした。どう考えても、ソロを引くのに、使える指は、4本だ。なのに、普通のアマチュアは3本しか使わない。 3本しか使わないとフレットのところ(左手で押さえるとこ)が非合理的なシステムに見えてしまう。普通のソロには、だいたいだが、一弦につき4箇所押さえることが普通だが、私は4本使っているので、単に指を、そのまま「おろすだけ」だ。例えば、5、6,7,8フレットめを弾きたければ(注 これは左手です。弦を押さえるほうです)、 5=人指し指 6=中指 7=薬指 8=小指 だ。ところが3本しか使わない人たちは、この関係が成り立たない。その場、その場で決定しているのであろう。だから、鍵盤?いや、ギターのふれっとを熱心に見ないと演奏できないのだと思われる。 3本しか使わないのは、きっとギターソロの練習をやり始めたときに、小指の力がなく、そのままで練習しつづけてかたまったしまったということではないだろうか。 4本使っている私にとってギターのフレットはコンピュータのキーボードと同じだ。ブラインドタッチで、いちいち見る必要はない。そりゃ、大きく、弾く位置を変えるときは、ちょっと見るよ。ちょこっとね。 ジミヘンが、ギターを背負って弾くとか、歯で弾くとかいうことをしていたが、それは私だって当たり前のように出来る。それは、4本の指を合理的に使っているので、見なくても弾けるからだ。 さて、何が腹がたったかというと(ずいぶん前の話だ)、自分はなぜギターソロが結構、速く、そしてスムーズに弾けるのかと自分を観察したところ、その理由は、ある音を弾くときに、次の音へ行くのを予期しておいて、遊んでいる指をすでにそこにおいておく感じにするのだ。おくというより、手はべったりとギターのネックの上にあるのだから、そんなに大変なことではない。あ、それから、例えば、ある音を弾いても、それに使った指をいちいち離さないで、ちょっと浮かせた感じで、その場においておく。そうすると、指が自由自在に音をとらえることができる。(以前、いとこが遊びに来たとき、ギターソロをCHOPPYに弾いていたので、このアドバイスをするととたんに、流動性が増したように思った。) まあこれは、英語発音で言えば、3ビートである。音を個々に切りながらしゃべるのではなく、流動性を大切にしながらしゃべるのと似ている。 そこで私は、ギター学習者に、この奏法を説明したのである。MIXIにおいて(http://c.mixi.jp/kazguitar)。 すると、えらそうな人が、「そんな奏法は役に立たない」と馬鹿にしきったのだ。なんと、えらそうなと思って、その人の演奏を見ると、3本の指しか使っていないのだ。 そりゃそうだ。私が薦める奏法は3本指ではできない。4本使ってはじめて使える奏法なのである。3本指で、次の音を意識しながら弾くのは難しい。地獄のようなトレーニングなしには上達しないだろう(私は、中学3年ぐらいで今のレベルに達していた。4本指を合理的に使っていたからだと思う、、、キサダ楽器の先生にならったのだ。)。 3本指しか使っていないから、私の勧める奏法ができないのに、それに気づかないで、人を馬鹿にする。 これこそが、箱の中にこもったままでの思考だ。やっかいなことに、その人は3本指でも、それなりに演奏がうまい人だった。だからこそ、4本でギターソロを弾くなんて考えたこともないだろうし、また自分が3本しか使っていないなんて、意識にもないだろう(3本で弾くより、4本で弾いたほうが楽に、また合理的に弾けるのだが。音がスムーズにつながるのでエコーなどをかけてごまかす必要もなくなる。)。 見ること、観察すること、やってみること、オープンマインドを保つこと、、、などなどが大切だと思った。 殆どのアマチュアが3本指奏法なのだから(コードのときは違うと思うが、ソロのときね)、え?4本使えるの?なんて、天動説から地動説的なのかもしれない。え、見なくても弾けるの?ってのも地動説的かもしれない。 箱の外に出て考えたいものだ。 さて、皆さん、人は色々と特技があると思うのだが、なぜできるのか?というのを観察とオープンマインドによって解明し、それをともに分かちあうということをしてはどうだろうか、、、つまり技能社会主義というのがよいのではないか? 脳がどうのこうの、天才がどうのこうのというのは全くこれと逆の流れだ。また、とにかく「がんばれ」とか毎日練習せよというのも、あまりに精神論的すぎる。やたらと資格制度をつくったりするのも、試験問題を作る人の仕事・ポジションを作るだけのように思える。 誰でも何かができるはずである。 そして、その「なにか」を人は、楽にやっているはずだ。そして、なぜ楽にできているかを考えると、それが誰でもできるようになる方法も考えられるはずである。