教育実践・言説の脱構築
数学とは何だったのか?
私は算数、数学が大嫌いだと思っていた。中学のとき、試験前、試験の朝まで、準備をする気がうせるほどであった。高校入試があったので、それなりに勉強したが、高校になってからは、よく分からない。数学の先生が戦争のときの話をしてくれたことは覚えている。 まあ、数学とは何かが今だに分からないし、分かろうという努力をしていない。が、量的分析というのを仕事でやっているので、あー、こんなところに、これが使われているんだ!面白いなあ、、という思いはある。先日は、ユークリッドさんの式が使われているある手法に感心したという話をした。 今日は行列計算に感心したという話をしたい。もうこれは10年以上も前大学院で研究助手としてやっていたのだが、ネットワーク分析というのをやっていた。結果は、教育社会学という雑誌に出たのだが、教師のネットワークのネットワーク濃度というのを出すということをやった。教師間の関係が強いと、教育効果も大きいのではないかというのを調べるのが目的だった。 そのときに、行列計算を使った。また、深い話はできないけど、Xという行列に誰が誰と話しているかという情報を入れる。例えばだが、AさんとBさんが週に3回は話しているとすると、3という数字をAとBが交差するところに置く(これ意味が分かりにくいかも)。詳しく言うと、 AさんとBさんは週に3回話す BさんとCさんは週に1回話す Cさんは誰とも話さない [. 3 0, 3 . 1, 0 1 .]みたいになる。書き方を変えて分かりやすくすると . 3 0 3 . 1 0 1 . って感じ。 で、XをTRANSPOSEしておいて、またXとかけると、何かになるのだ。それが何になったのか忘れたのであとで確かめておくが、その時、非常に感心した。SASという統計ソフトを使って X'*X と打つと、非常に便利な数値を得ることができて、ちょっと感動した。ちょっと違ったかもしれない。思い出せない。 やっぱり何がすごいかというと、この数値はそれぞれの教師ごとに得たものなのだけど、学校ごとにこのX'*Xを走らせるわけで、手作業でやるわけじゃない。コンピュータで自動的に300ぐらいある学校の情報をぐるぐるぐるぐるとプロセスするのだけど、これが非常にCOOLに感じた。 一旦、X'*Xとプログラムすれば、学校が300だろうと、30000だろうと、自動的にプロセスできる。 でも間違っているかもしれないから、わざと自分でデータをつくっておいて(上で書いたみたいに)、確認してみたりする。手計算とコンピュータの結果を比べて同じかどうか。 ところが、中学や高校で習ったとき、こーんな便利なことができるなんて知る余地もない。 思うに、私にとって、面白いのは、暗記しなくても、シミュレーションで色々なことが分かることだ。例えば、ちょっとX'*Xが何だったのか忘れたけど、SASをスタートさせて、適当な数値を使い、実際に計算してみると、あーこういうことだったのかと分かる。 そういうのが好きな人がいて、私もその一人だ。でも、皆が皆、好きでなくてよい。思うに、これは非常にNERDYなエリアなのである。 来年あたり、上の行列計算を猛烈に使った仕事をするかもしれない。上の例だと、学校における先生と先生の関係に基づいて行列の計算をしたわけだが、今度は、なんか、政府の福祉政策で、なにかの行動パターンを分析して、なにか不正がないかを調べるんだって。それに、ネットワーク分析が使えると。誰と誰がどういう関係にあるかということに基づいて。実際、SASがそのためのソフトウェアを開発していて、自分で行列計算を必死こいて書く必要はないみたい。興味はないとおもうけど、一応ここに書いてある。http://www.sas.com/solutions/fraud/social-network/ 思うに、数学というのは学校でやるから、なんか神聖なことと思われているが、実は、非常に、NERDYな作業なのだ。そういうNERDYなことおはNERDSに任せるのがよいのではないか。数学がどうもおちこぼれをつくる機械と化してないか? 念のためにいっておくが、こういうのが好きな私には、英語喉が発見できなかった。私はジーナの発見を日本語にしただけである。 そして第1の実践者になったというだけなのかもしれない。英語喉はやっぱり芸術家肌であるジーナの業績である。なんでも芸術というのは常に、小さな問題を解決するの仕事らしい。その場で。だから、英語発音の課題も解いてしまった。芸術というのも実に実用的な分野なんだなあと感心。
数学は使うという観点から教えるべきではないか?
英語喉および機関銃英語では、シラブルを使う、実際に使いこなすという観点からの説明を加えている。 従来は、C+V+Cですよ、C+Vですよ、C+C+C+Vですよ、、、というぐあいに、言われなくても分かりそうなことにもとづいた分類で終わっていたといえるのではないか。実際にじゃあ、どうやったら運用できるのかという教え方はなかったといえる。似たようなやりかたはあったかもしれないが(歌をつかうとか)、実際には、日本でシラブルを教わりましたなんて人は、あまりいないのではないだろうか。 逆に、強調する、弱く言うみたいなことが言われていた。アクセントが弱いところでは、あいまい音に*なる*みたいな表現がされていた。そして、弱いところー>あいまい音になる、、という化学式みたいな説明のせいで、その説明が真とされ、正しいとされた。 なにかがなにかになるわけではないのだが。実際は、ただ単に、CUTのアは元々そういう音だから、そういう音なのだ。AがBになるわけではない。 英語喉および機関銃英語は、実際に日本人が英語を使えるようになる(聞ける、言える)にはどうしたらよいか、、、という設問から生まれたものだ。 数学も使うという観点から教えたらよいのに。最近仕事でROC CURVE分析というのをやっていて、これが数学の色々な道具を駆使しながら、分析するのだが、非常に、面白い。面白いのは、えーこんな風に、この式を使うのかあ!と感動がある。 何に役立つかというと、ある変数に基づいて予測をするとする。例えば、天気予報で、湿度がどのくらい高くなると、雨になるかとか(そういうふうに実際にはやっていないとおもうが、単なる例として)、あるいは、尿のなかのなんかのホルモンがどの数値以上になると妊娠していますと予測になるかとか、そういうテクニックがたくさんあるが、その基準となる数値を決定するのがROC CURVE分析。機会があったら解説したいが、そのテクニックのなかでユークリッドの式を使うところがあるんですが、これが面白い。 ROCについてはここに説明がありました。 http://www5e.biglobe.ne.jp/~tbs-i/psy/tsd/node3.html 面白いといっても、紙の上でやれといわれると、嫌気がさすだろうが、ソフトウェアを使って、自分なりに計算しながらやると、おー、本に書いてある例と同じ数字が出たぞ、わしのプログラミングは正しいな、、、とか、そのソフトで出た数値(SASを使う)を、こんどは、エクセル上でシミュレーションしてみて、おー、また本で書いてあるのと同じ結果になったから、さっきSAS上で書いた式はあってるなとか。 ある本を使っていて、その著者が、SAS上で走るマクロを書いていて、ためしてみたら、ありゃ、AとBの数値が私の求めたのと逆になって出たけど、これ、どういうこと?とか言って、メールで聞いたりとか。 そうな風に数学的な道具を使うと面白い。 ただし、これは、そういうのが好きな人にとって面白いというだから、数学が絶対的に大切と全然思わない。 そもそも、こういうのを数学というのかどうかわからん。
つまり、先生としては基本を強調すればするほど、勝てるわけ、、、生徒としては、基本を信じれば信じるほど負けるわけです。
皆さん、よいお年をお迎えになりましたか。ニュースを見ていると、日本の経済が大変なことがわかります。アメリカの経済も大変なので。知っている人の会社(アメリカ)が、なくなるんですけど、その人はたまたまそれを知っているんだけど、その他の人は知らないんですって。その金曜日に全員が突然知らされる、、、という話を、2週間ほど前に聞きました。 喉が今年は、多くの人の人的資本を増やすことを祈っています。さらに、喉によって得られる英語力によって社会的資本も増えることを祈っています。そして、人的資本と社会的資本のからまりあいで、個人レベルだけでなく、社会全体の活力が大きくなることを願っています。 学校制度に生かされるとよいとは思いますが、私は、子供の教育だけに絞るというのは、ある意味で責任転換だと思っています。私たちが、今、ここで、自分たちの頭のなかや体にある資本(スキル、技術、経験など)を伸ばすことが大切だと思います。というのは、我々の世代(前後を含む)が、この経済のなか一体、退職ができるのかというのは保証がありません。 ですから、子供のせいにせず、自分たちを含めて考えましょう。国家の品格などの議論で、子供に分かいころから無理強いしてでも本を読ませろという議論がでてきますが、そういうフウに、子供にやってもらおうという時代じゃないと思うんです。 もし、本を無理してでも読ますことが効くのであれば、20代でも30代も40代でも、50代でも、60代でも、効かないといけない。逆にいうと、大人が、無駄だと感じるものは、子供だって嫌だと思います。 まずは大人として、教育投資をして、実際に効くもの、、、そういうものを子供にやらすのはよいですが。 (いや、子供時代にしかできないことがある。子供は頭が柔軟だ、、、と思われるかもしれませんが、喉革命を経験された人は、いかに人間の脳が、大人になってもFLEXIBLEであるか、ということをご存知だと思います。)大人として、自分はこういうのが得意というのが誰にでもあると思います。たとえば、指導力のある人というのはいる。計画力とかね。 私は計画力に欠けているのです。例えば、MIXIのコミュニティで、今度、スカイプで会議をやりましょう、、、と提案しましたが、そのときに、きちっと、この日にちにやりましょう、、、という感覚がないので、だらだらと計画にならないんです。 これは大学院の文化だと思います。締め切りがないもんだから、計画をがんがんできない。 ところが、計画などが非常にうまい人がいる。うちの親父、兼、喉応援団長などは、そういうのができるようです。地元の祭りなども、計画実行してしまいます。 そういう風に、「できるもの」を誰もが持っている。そのできることをどうやったらできるのか、、、というメソッドを開発しましょう。で、みんなでそれをSHAREするわけです。 私はいつも思うことがあります。それは「喉もとすぎれば暑さ忘れる」という諺にちょっと似ている状態です。 面倒ですが、例から始めます。 プログラミングをやっていて、いつもやるプロシージャがあるんだけど、それをいつも、SAVEしておくのを忘れるんです。だから次にそれをしたいときに、また最初からやらないといけない。 それは、あ、できたと思ったときに、それをちゃんと保管しておくことが面倒になるんです。 喉もとすぎれば熱さを忘れる、、、というのと少しだけ違いますが似ています。 大変だった作業もやり終えてしまうと、その作業のやり方を書いておくのを忘れてしまう。 で、これは自分だけのことですが、社会でみたらどうでしょうか? 誰もが得意なことが一つぐらいあるはずですが、どうしてそのことが得意になったのか?どうやったら得意になれるのか、、、ってのを人に説明するのが面倒なので、やらない。 社会的にみるととても無駄ですよね。 で、たまに、説明する人がいますが、全然、自分がやっていない方法をメソッドとして発表してしまう人もでてきます。例えばですが、英語を覚えるのに、何かをやたらと繰り返すというメソッドを提唱している人がいるとします。その人はとても英語が得意かもしれません。でも結構、本人自体は、そういうメソッドをやったから、うまくなったわけじゃなかったりします。 でも、後輩たちは、ああ、あの先生がそういっているなら効くはずだと思うでしょう。 私にも経験があります。社会学の統計をする人たちがあつまって、社会統計手法の本を書きました。何年か前、社会学の一つの資格として、社会調査師というのを確立されたのですが、その一つの教科書となれば、、、という思いで書かれた本です。 ところがですよ、私のようにすでに社会調査のやりかた、データ分析のやり方を知っている人は、そういう制度をつかったから、分かるようになったんではないんです。どちらかというと、プロジェクトを通じて身につけていきました。 もし、私自身が、資格制度というのによって、社会調査を学ぶなら、嫌になってしまうでしょう。あまりにも多い項目、必ずしも、使うわけではない項目をカバーしないといけないからです。 現代社会は、そして特に日本社会は、試験とか資格という発想が強いように思います。実は試験とかせんでも、できるような分野でも、試験をつくり、何年も修行させるような制度が作られます。なんででしょうねえ。 今、この景気が悪いときに大切なのは、何かができる人が、そのメソッドを開発し、それを多くの人とシェアすることだと思います。 そういう意味で、私もやってみようと思うのは、もちろん英語の分野もありますが、あと二つあって、一つは数学やら統計を一体どうやって使ったら経済活動に役立つかということ、二つめは音楽理論・実践です。 皆さんはどうですか。 私は、どうしても、理論とか学問とかそういう方向に行きがちなので、指導力の分野などよく分かりません。運動などもよく分かりません。 音楽理論、実践というのは、私がこの5年ぐらいで貢献できそうな分野です。私は例えば、ピアノはそんなにできないんですけど、なぜか聞いただけで(もちろんメロディーを覚えないとやりにくいですが)、伴奏ができるんです。適当に。 全然、日ごろ弾いていません。が、あるメソッドを使っています。使っているメソッドはギターでも使っています。 ピアノよりもまず先にギターでやってみるかもしれませんが、音楽のシステムというのは以外と単純なのですが、音楽のせいでというより、楽器の物質的な特徴が音楽のシステムをわかりにくくしています。 物質的な特徴というのは、ピアノでいえば、黒鍵の並び方とかです。ギターでいうと、4弦から5弦に行くところで、音程の合わせ方がちょっと変わってくることです。 そういうのは、なんらかの形で、そうセットアップしておくと、弾き易いということだと思うんですが、自然に存在する音楽のシステムを隠蔽してしまっています。 だから、そのあたりを直したい。黒鍵を配列を現在のやりかたでやると確かにハ長調は弾き易いが、他のキーだとめちゃくちゃ分かりずらくなる、、、とかそういうことです。 で、そういう記号の体系が分かる人だけが、ピアノがうまくなるというのが現在の言説状況です。言説とは言われているもの、実践されているものの総体をさしてつかいます。 きまって、がんばれとか、最後までやれとか、できないんならやめろとか、そういうドラマチックな言説的なるアーティキュレーションを伴います。 でもね、音楽も英語喉的な世界と同じで、実は結構シンプルな世界がある。しかし、それが非常に複雑なものになっているし、また、師弟関係、教師と生徒の関係があって、わざと?複雑なものになっている。 そういうのを開放したい。これは新年の抱負としたいです。 知識、スキル、技術、のメソッド開発によって、誰でも短期間でできるようになる世界を構築する。これこそが、経済が悪化した世界で求められていることだと思います。 クリスマスあたりに、ギターの譜面みたいなのをみていたんですが、そのとおりに弾いていたら手が痛くて弾けない。コードを教科書どうりに弾くとね。 アコースティックギターでFを弾くと指が痛いんです。 でもね、MIXIなどのギターのフォーラムを読んでいると英語の世界と全く同じ。 毎日の練習が大切ですね、、、がんばります、、と。 そういうことではないんです。それを実証するためにも、ギターの弾き方というのを示してみたいです。 実際、ギターとかができる人って、そんなに苦労してできるようになった人はおらんと思うんですがどうでしょうか。私も、中学のあたりで、すでに今のレベルに達していました。 そのきっかけは、喉応援団長が、2時間もかかる広島市にあるキサダ楽器に行って、ギター教室に3,4回ぐらい行くようにセットアップしてくれたんですが、たまたまその先生がジャズの教科書を使っておったんです。で、その教科書全部が役にやったということではないだけど、ギターのどこからでも、ドレミが弾けるようにという練習があったんです。 結局、ギターはスケールなんです。意味はわからんかもしれませんが、それ以上でもそれ以下でもない。C#がどうのとか、考えて弾く必要なありません。 このあたりは具体的にしめします。 でね、できる人はできない人に分かるように、できるようになるように教える方法を開発すること。開発したら、その先生がいい先生だとか、恐いとか、全然関係ないと思うんです。それから、できない人は、できる人に、「聞くこと」が大切だと思います。見て盗めというのは結構、限界がある。素直に聞いてみよう。 先生、わからんわい。もうちょっとよー説明してーやあ、、、と。 長くなりますが、基本が大切だとかいう言い方は今年から廃止しましょう!基本が大切だという言い方は、結局、先生が権力を保つための方法にしかすぎないんじゃなかろうか。 こないだNHKで剣道を紹介してたんですが、本当に面白かった。格闘技の専門家のアメリカ人のホスト(こないだまでは、日本のファストフードを紹介しとったんですが)、が初めて剣道に挑戦しとった。 で60歳をこえとる先生は、基本が大切、基本が大切というんだけど、本人は、こすいんじゃあ。面を狙うふりして小手とかね。そのアメリカ人はこてんぱんにやられとった。 つまり、基本が大切だというと、初心者はまっすぐとかしかうってこんし、声を大きくだす。そうやらせといて、自分は、ややコスイことをやって勝つ、、、というように見えました。 つまり、先生としては基本を強調すればするほど、勝てるわけ、、、生徒としては、基本を信じれば信じるほど負けるわけです。 これはカラクリだと思いましたよ。 ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532