英語喉で文化の旅
ONE OK ROCKのTAKAさんとRYOTAさんの英語の特徴
大阪あたりの方言から、日本語が上へ、上へとテンション高く上っているような感じの日本語になるように思います(近畿地方はこの傾向を持つ人と持たない人が混在)。ONE OK ROCKのRYOTAさん(大阪出身)の英語にはその影響が出ていて、たたた~ん、たたた~ん(「~ん」)のところで音程が上がるんです。 「テンションが高い」感じです。 ただし、他の動画でRYOTAさんが、テンション上げずに話しておられるときは、西日本人だからから、正統的な抑揚になっていました!テンションが高い感じにされているのは、たぶんキャラを演じられているのだと思います。 ESLキャラというか英語があまり上手じゃないヒョウキンな人というキャラ(NHKのテレビ英語講座にはかかせないキャラです)。でもRYOTAさん、結構英語出てくるし、聞こえているような印象です。ブルーJの川崎さんもESLキャラを演じているけど、ご自分で思われているかもしれないほど英語は下手じゃない。キャラを演じる感じでやるから、下手糞臭が漂うように思います。音程をそのように上げるのをやめて、テンションをあげるのをやめれば、普通に上手な雰囲気です。 一方で、東京出身であると思われるTAKAさんのほうは英語がネイティブっぽいですが(喉発音ですね!)、少し同じ傾向があるように思います。ただ、それが起こる間隔が長め。RYOTAさんが、たたた~ん(音程が最後で上がる)、ならTAKAさんは、たたたたたた~ん、たたたたたた~ん(音程が最後であがる)。 他の動画を見ても、TAKAさんの英語はこの傾向が常にあります。 一方で西日本の場合は(近畿の半分+兵庫県より西、南)は音程がどんどん落ちていく感じ。 もしかしたらRYOTAさん(大阪人)がTAKAさん(東京人)の真似をしているんじゃないかな。 音程を上げることの不利な点ですが、日本文化を知らない外国人はそれに対して相槌をうちません。だから、音程をあげても、相手が反応しないので、「この外人さん、私の話をきいていないな」と不安になってくるんです。 (ただしTAKAさんの場合は、音程が上がるまでのインターバルが長いので問題にならないと思います。その抑揚のとりかたが、「かわいい」という感じで西洋人にはうつると思います。) 音程を落としていくことの利点ですが、外人が聞いていて、音が下がりきったところが文の終わりなので、始まりと終わりが分かりやすいので聞きやすくて、話の途中でわりこんでこなくなります。 TAKAさんの英語は本当に喉発音ですね~。 RYOTAさんも英語喉をされたら、すぐにネイティブっぽくなると思います。 こちらが参考にした動画です。
海外の教育システムが良いという言い方の特徴
海外、特に米国の大学教育を見て、日本と違う、日本より良い、これが経済力に関係してくる、、と言い方をするときに、無意識のフォーカスは、勉強ができる層の話が多い。アイビーリーグなどの大学の教育を見て、それ素晴らしい、日本もこれを真似しないとという論調になる。 アメリカで大統領選挙などで、経済の活力について語るとき、特に共和党の場合、スモールビジネスに注目して、これが米国の活力だと強調する。アイビーリーグがどうのこうのという言い方は票につながらないし、あまりしない。 日本人がアメリカの教育を見るときにエリートの部分を見すぎると思う。 アメリカのアイビーリーグなどは、日本でいうと、コスプレとかアニメオタクの文化に似ていて、サブカルじゃないかと思う。 別にアイビーリーグに行かなくてもいいのに(米国は大学の評判と将来の給料の間に統計的関連がないと研究では出ている。高卒VS大卒はあるけどね。 行かなくてもいいのに、わざわざ行く子供たち、そして親達はサブカルなのだと思う。 そういえばアジア系、親が移民の子供たちで、そういうアイビーリーグに行きたがる傾向があるのではないか。 アメリカの経済的活力をみるときに注目したいのは、地元の高校で夜間にやっているアダルトスクールとか、コミュニティーカレッジでオファーされている職業訓練とかのコースじゃなかろうか。エアコンをとりつけるための免許を取るためのコースとか、電気技師になるための短期コースとか色々ある。 あまりお金をかけずに、勉強してビジネスを始めるというのが経済の大きな部分になっているように思うのでした。 一つには移民の人が多いので、そういうのがないと困るということがあります。 カタログが送られてくるんですが、どんなクラスがあるのかなと見るのが楽しみです。
「英語上級者」
普通の「英語上級者」は1対1だとネイティブと話せるが、ネイティブ同士の会話にはついていけず、ニュースならなんとなく分かるが、洋画だと手も足も出ないという感じだと思う。そして、普通の英語上級者は語彙、文法、繰り替えして練習することの重要性を説く。 この英語上級者の体験、経験が日本人の英語教育の考え方のパラダイムとなっていると思います。 そのパラダイムでは しっかりと文法を勉強する しっかりと語彙を勉強する その後で発音を勉強し、 最後に聞き取りに挑戦するけど、 ネイティブ同士の会話に入るのは無理(これがスゴロクで言うところの「振り出しに戻る」に値いする、、、じゃ、結局、英語が喋れないということなので。 何がおかしいかと言うと、本当は以下のようじゃないといけない。 とりあえず発音ができる。 音として捕まえることができる(繰返せといえば繰返せる)。 この二つが土台にあれば、どんな文法、語彙を勉強しても、その瞬間にそれが使える道具になる。 例えば、今日はBE動詞の勉強をしましょう。IのときはAMね。YOUのときはAREね。過去にするなら、WASとWEREです。 すると、この事項に関しては使えるようになる。言って通じるし、聞いて分かる。 <コンピュータプログラミングの学習の仕方と全く同じ> 英語上級者のパラダイムは、えんえんと勉強をしつづけて、30代、40代、50代でもまだだめで、続けていれば、いつか、ある高みにいたるだろうという考え方。 <宗教の考え方と全く同じ(宗教に対するDISRESPECTではありません)> まさか、その文法事項を学んだときに、それが使えないといけないという感覚はない。 この話は信じてもらいにくい。根拠は何なのかと来るからだ。根拠は自分は英語が聞けて、言えて、話せる、、、洋画も聴き取れるし、ネイティブ同士のディスかションの中でも普通に参加できる。 その立場から言うと、こうでないといけないということ。 そういう人は散在しているのだけど、一箇所に集まっていないから意見が通らない。 圧倒的に「英語上級者」が多いので、英語上級者のパラダイムが真実とされる。 時効だから書く。 一度、熱心に指導活動をされている英語上級者のかたに英語対談を申し込んだら、非常に光栄に感じてくれたのだけど、緊張するので、字に書いた英語を読んでもいいかと言う打診があって、そのうちに今回は遠慮しますということになった。 理論武装されて、色々と方法を展開されていて、教えておられるのだけど究極的には、英語を教えているけど、自分が英語ができないという状態なのだと思う。これは、皮肉とかではなく、とりあえず現在の日本の英語に関する言説環境をまとめてみたということです。