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冠詞の使いかた
英語の勘1の考えで説明できると思うので、考えてみました。以下をご覧ください。。 aはone of many だと説明しましたが、たくさんある中で、別にこれだ!という思い入れがない場合です。例えば、ニューヨークにきたら、レストランで食事でもしませんかと言う時に、別に、このレストランで!というこだわりがなければ、Let's eat at a restaurantとなります。 It's worth a tryと言うと、これに当たりますね。 さて、当たり前のように見えるものの、なぜ、これが日本人に分かりにくいかというと I met a guy. His name is John.となるとすると最初のところでaですから、別にこの人というわけではなくて、一人の人だと言ったのに、その名前がジョンさんって、とても具体的じゃないか?と、学習者は思ってしまいます。が、話者がI met a guyを言った瞬間は、そんなに具体的に特定化したくなかったと理解しましょう。その直後に、ジョンだ、、と特定して紹介したい気持ちに話者がなったのです。 状況は一瞬、一瞬で変化するのです。テストを重んじる日本の学習法では、まるで、単語と単語の関係ががちっと強く関連していないといけない気持ちになってしまいますので、気を付けてください。 以上の説明は根本的なものではないので、ぜひ英語の勘1を読んでみてください。 根本的でない理由はa tryを理解するには、aとtryを分けて考える必要があります。上の書き方では、スペースの関係上、厳密な説明はしませんでした。 もうちょっと書いときます。実際はIt's worth the tryも可能ではあるんです。ですが、そこまで必死になって、theをつけて特定化するほどのことかよ、、となり、あっさりIt's worth a tryとなります(詳しくは英語の勘1)。 次に、It's worth the waitですが、これは英語の勘1的には、 the waitじゃないモノもその部分に入りうると想定すると It's worth the money It's worth the visit It's worth the conversation などと色々可能性はありますが、そういうことではなくてthe […]
英語の勘2に足す部分
深く考えてみよう 助動詞の過去形に関して、意味が二つあるように思える現象があります。これは特に英語の上級者にとって気になる点です。結論から言うと、助動詞が助主語だと理解すると、意味が二つに感じられなくなり、すっきりします。例を挙げてみましょう。 I could swim fast. と英語の上級者が聞いたときに、二つの解釈があるように感じられることでしょう。一つ目を見てください。 一つ目 私は速く泳げた(実際に泳げた)。 常識的にI can swimは泳げるですから、過去形は「泳げた」ですね。英語の初心者であれば、ここで納得するのですが、文法をよく知っている人は、この文章を見て、仮定法ではないかと感じます。その場合は、以下のような解釈になります。 二つ目 私は速く泳げたかも(実際は泳げたかどうかは微妙)。 仮定法だということを強調するために、言葉を足すと分かりやすいかもしれません。 I could swim fast if I were younger. 若かったら、速く泳げたかもしれないけど。 このように英語の上級者は、I said I could swim fastという文を聞いて、過去形?仮定法?どっち?と悩んでしまい、「もやもや感」を持つのです。 しかし、canやcouldは助主語と考えると、このモヤモヤ感が消えて、すっきりします。I could swim fastの一つ目の単純な解釈において、couldはIを補足しているのだと考えましょう。swimとは無関係だというぐらいに大げさに考えてみてください。すると、I couldのところまでは、私には「能力があった」という意味になります。能力があったと言っているだけなのですから、、実際に、泳げたのか、泳げなかったのは、文法的には完全には決定できず、その話者の主観とか、現実、常識に任されることになります。 二つめの解釈である仮定法のcouldの場合も、その直前のIを助けているのですから、実際に泳げたかどうかは微妙になります。仮定法ですから、実際、微妙なのです(「若かったら速く泳げたかもなあ」)。 そもそも上級者が感じるモヤモヤ感は日本語の影響でしょう。日本語では、「泳げる」という風に、可能を表す「げる」の部分は、確実に主語(泳ぐ)を助けていますね。だから、可能を示すcouldを見て、日本語の感覚で、本当に泳げたのか、泳ぐ能力があったのに、実際は泳げなかったのかが気になって仕方がなくなるのです。 助動詞を助主語だという考え方を受け入れれば、上の二つの解釈で使われるCOULDが同じに思えてきて、すっきりします。willの過去であるwouldの場合も同じです(長くなるので、解説は省きますが、上の解説と同じ理屈です)。