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剣道と英語喉
注:現在は以下のように考えていません。剣道と練習と実践の乖離は意外と少ないです。試合でも、練習のときの基本がなっていないと、面などに当たっても、1本となりません。乖離があるとすると、剣道と、実際の侍の刀の使い方、戦いの仕方だとは思います。 *** 剣道の稽古を25年ぶりに始めたわけだが、初心者の多い第1回のクラスに参加し、その練習方法と実践に必要な技術の乖離にまどわされる。 いや、剣道をやっているとなりのテコンドーのクラスは10人が、2時間、終始、型ばかりの練習をしていた。取り組み(実践)のような練習はしていない。 剣道のプロレベルの試合のYOUTUBE動画を見ていて、色々考えてしまう。まず、想像するに、、、 そもそも、相手から一本とれることがめずらしく、10回ぐらい攻撃して1回とれるかとれないか。 つまり、プロレベルでさえ、大変だということで、野球の打撃における3割打者とか4割打者なんて存在しない。 もうひとつわかるのは、私の場合、1分、2分でばてばてになってしまう。その原因は気合をいれて元気よく打ち込んでいるうちにばてる。 縄跳びをやるとわかるが1分程度でばてばてになる。 だから、剣道でも、気合を入れて打ち込んでいるうちに、ばててしまうのだ。 今度の日曜日に試してみたいのは、打ち込むようなまねをしながら、リラックスの状態をたもち、まず相手をばてさせる、、、ということだ。 そして、相手がふらふらになったところで、「すき」がでるのを待つ。 中学、高校のとき、勘違いしていたと思う。おもいっきり前に進むと竹刀が面に到達するわけだが、そのスピードを上げると面がとれると思っていた。 しかし、距離的に無理だと今は思う。プロレベルの試合をみていて、そんな要領で面を取っている人はいない。たいてい、相手がこてをねらってきて、距離が近づいたときに、面をとるとかだ。相手の動きに連動しないと、一本とれない。 すきがでるのは、意外と、相手が疲れているときじゃないかと思い出した。自分がそうだからだ。 25年前、剣道の先輩たちに教わった、気合いだとか、精神だとか、がんばるとかを信じすぎたからだめだったのじゃないか? だって、うまい人たちは、ぎゃーこら、ぎゃーこら、さわいでないし、やたらに打ち込まない。 もうひとつ、この間初心者を観察して思ったことがある。それは、私自身もそうなのだが 面、こて、胴 を意識しすぎだということだ。 しかし剣道は戦いで、元々は侍があいてをやっつけるためのものだったはずなので、 面だとかこてだとを意識するのをやめ、、、このさい意識は 相手をぶったおすぞ~~~ という態度で臨む。 じゃ、足をたたくとか肩をたたくのか?ということになるが、自然とそうならないだろう。足なんてたたいていたら、面をとられてしまうし、肩たたいていたら相手をぶったおすことはできない。だから自然と面、胴、こてに収束するのじゃないかな?結果としてね。目的としてではなくて。 これで思い出すのだが、中学のときはいわゆる不良?たちに、廊下でたたかれたり、けられたり、思うぞんぶんかわいがってもらったものだが、当時、この要領で剣道をやっていたら(毎日、相手をぶったおすぞ~と思って練習をしていたら)、気迫がうまれて、たたかれなかったかもな~~~などと想像(笑)。 運転だってそうだった。前は、線を意識したり、右を意識したり、左を意識したりで走っていたが、へたくそだった。 今は、「誰にも俺の車にぶつけさせないぞ」という非常に総合的なる意識で走っている。すると、自然と、運転がうまくなったように思う。 あたかも自動車が自分の体であるかのように想像し、道路を自分が走っているように想像すし、他の車も、まるで、人が走っているかのように想像する。 すると自然に運転できる。 面だ、こてだ、どうだ、、、というのを忘れてみようと思う。 英語でも、これが形容詞だとか、現在形だとか考えていたら喋れない。 似たようなものがあるのではないか。 あと、大切なのは、きっと、人には、剣道は気合だとか、精神だとか、礼儀だとかいいまくり、情報戦争を展開する。そうすると、相手は、きっとそれを真に受けて、動きまくり、すぐに疲れてくる。すると、隙が出るに違いない。 俺はこれで行く。 音声で語ってみました(よく考えるとこれが昨日のエントリー用の録音でした、、)。 [audio:http://nippondream.com/file/kaz_09_28_2011c.MP3|titles=kaz_09_28_2011c] 直リンはここをクリック。
剣道を始めた
昨晩は、剣道クラブに初参加しました。 ぐぐったら、ちかくジョージワシントン大学の剣道クラブが一般市民も参加できるということだったのです。 たまたま雨で参加者は5人。全員、アジア系。 指導者的な学生はコリアンアメリカンの大学4年生。韓国でも剣道があるそうで、違いは、審判の使う旗の色と、試合開始のときに、座らない(うんこ座りしない)ということだそうです。 一人は3週間前にアメリカに来たという中国人の大学1年生。高校からアメリカの大学に来るほど、中国人の一部は裕福になっているのかな。英語を普通に喋っていたのでアメリカ人かと思いました。ちょっとアクセントがあったので、練習の後に喉から喋るといいよというと5秒で国産?ネイティブ化していました(中国人はすぐに喉発音ができる)。 彼を含めた3人は初心者。20年以上ぶりですが、初心者に指導もしてあげました。「切り返し」のときに、ちょこっと教えてあげたら、その学生、コツをちょっとつかんだみたいでした。 自分自身、20年以上ぶりに切り返しをやったら足がもつれてしりもちをついたのがかっこ悪かった。 となりではテコンドーの10人ぐらいが見ていた可能性があるからだ。その半分ぐらいは女性だったので、ますます恥ずかしい、、、。 だって、その場面は、おっ、剣道の本格的な練習が始まったぞ、二人の剣士が激突しているぞという感じだったからだ。 しかし、初心者が多かったということもあると思うのだが、基本的な型練習ばかりだったのは、つらかった。そもそも、最初に、となりで練習しているテコンドーの10人ぐらいの選手たちと一緒に準備体操。それがハードで、その時点で、ばてた。 もう帰ろうかとおもった。 それから基本的な型練習ばかり。 やっと最後に、リーダーが「じげいこ」と呼んでいたけど、実際に戦う練習をしましたが、リーダーと3分戦っただけで、ばててしまいました。 3分なのに、1時間ぐらいに感じた。 ほとんど、頼んでやめてもらった状態だったんですが、技術的には、彼いわく、「俺と同じぐらいのレベルだと思う」とほめてもらったので、ま、スタミナつけたら大丈夫かな、、と。 いや、しかし、「じげいこ」で、2分でばてるのは、体がつねに硬い、余計な動きがある、当たるあてもないのに、せめすぎる、、、ということじゃないかと思う。 本当に強い台湾出身の人がニューヨークあたりにいるらしいのだが、彼は、ほとんど動かないのに、勝つそうだ。 けいこの90%が気合、掛け声を重要視する型のけいこだが、「じげいこ」もそのつもりでやっているから、2,3分でばてるのじゃないかと思った。 これは、微妙に日本の英語学習のスタイルに似ている。型を重んじる学習方法。しかし、実践の量はすくなくなりがち。 やはり型を重んじるやりかたは無理があると思った。竹刀の素振りでさえ、昨日、リーダーが俺に教えたやりかたは、俺が20年以上前に教わったのとちょっと違って、型の要素が強い。 俺が教わったのは、竹刀を雑巾みたいに絞る感じで、頭の上から振り下ろすときは、どちらかというと最短距離で円を描く。しかし、リーダーは、「それは剣道ではいいけど(どういう意味や?)、実際の刀だと、もっと大きい円をえがくかんじがよい(どういう意味や??)」と意味不可解なリーズニングで、非常に型に固定化した素振り法を指導されたのである。 実際のじげいこでは、そういうやりかたは全然通用しない。 しかし、リーダーと「じげいこ」をしたが、相手の動きを読むのが非常に難しい。そもそも、俺は、相手に打ち込んでいく前の段階で、ある程度のシナリオを想定して、打ち込んでいるが、これではたぶんだめだ。 打ち込みながら相手の動きに対応して、臨機応変に対応しないといけないのじゃないだろうかと思う。しかし、考えていては、これまた遅すぎる。 いったい、強いやつらは、なにを考えているのか??? 気合などを入れていると、相手に自分の動きをさとられてしまうだろう。 気合をいれていそうで、また体に力が満々であるようにみせかけておいて、実は、喉発音と同じで体をリラックスさせておく、、、 色々、試してみたいが、昨日のような初心者の多いクラスでは90%の時間が気合、根性中心型の型勉強になりそうだ。 日曜のクラスでは、じげいこが多いと聞くので、それに期待する。 しかし、じげいこを3分ぐらいやっただけで、左足の裏の皮がはげた。 よく戦争で、鉄砲でうたれても、その場の雰囲気、火事場の馬鹿力で、負傷に気づかないというが、それと同じ、、、最後まで気がつかなかった。 気がついてみると痛い。この痛さで、どうやって今度の日曜のけいこを乗り切るか、、、よく分からない。 床が、日本の道場とちがい、「ねちゃっ」としている。バスケとかもそこでするような場所だ。足の裏が痛すぎる。 おもしろかったのは、インストラクションの言葉は全部日本語だったこと。当たり前かもしれないが。 いち、に~、さん~とか。 みんな発音がよかった。アジア系で口発音がわかるからかな??? あと面白かったのは、相手は大学生ばかりだけど、すぐにうちとけたこと。 落合信彦氏のアメリカ体験談で、アメリカ人の大男を空手か柔道で投げ飛ばして、アメリカ人に認められたというが、私の場合は、たんなる喉発音だった。 この体育館、着替えの部屋がなく、トイレで着替えたのだけど、非常にAWKWARDだが、トイレでパンツいっちょうになって、道着に着替えていたら、アメリカ人のテコンドーの青年が、 俺はマイクだ とか自己紹介してきた。俺はカズだと切り替えした。 昔、おばさんが、京都の大学に行くと、他の大学の学生とかとも仲良しになれるよ~みたいなことを言っていて、へ~と思ったことがあるが、アメリカの大学だって、こんなかんじで、す~っと社交ができそうだ。 喉発音であればね。 昔、アメリカの大学に、交換留学をしたとき、友人ができにくく、授業が終わったらアメリカ人はす~といなくなるとか思っていたが、あれは、なんだったんだ。 喉発音のアメリカは、なんか、日本と同じだな。 音声でアドリブ英語にて(駅までの道で)語ってみましたので、聞いてみてください。 [audio:http://nippondream.com/file/kaz_09_28_2011b.MP3|titles=kaz_09_28_2011b] 直リンの場合はここをクリック。
発音していてなんか違うな~と思うとき
一緒に働いている人などで、長く知っているんだけど、なんとなく、名前を間違って読んでいる、呼んでいるような気がするときがあるが、結構、そういう名前には共通点があることに気がついた。それは、ERが名前にあるときだ。 例えばだが、エリンさんはERIN、エリックさんはERIC。呼んでいて、なんか違うなあと思っていたので、ジーナに確認してみたら、やっぱり案の定、微妙に違った。いや、そうじゃないかとは思っていたのだが、確認するのがおっくうだった。 ERINという名前はe-I-r_/r_-i_-Nと発音するのが正しい。 ERICという名前はe-I-r_/r_-i_-Kと発音するのが正しい。 しかし、ひとつ、やはり英語は音が最初でつづりがあとだなあとしみじみ思うこと。 ERINのほうは、一番めのRは意識していうけど、2番目のRはフォロースルーのRだ。ただ単に、喉がだら~~んとしているから、引き継がれたようなやるきのないRだ。 ERICのほうは、どっちでもいいそうだ。意識して両方をRで言ってもいいし、ERINと同じ要領でだら~んとしているから勝手に起こるRでもいいそうだ。 いいかえると、ERINのRを意識して2回言うと、ちょっと違ってくるということである。 な~るほど。しかし、意識的に一度気づいてみると、考えなくてもできるようになる。おそらく、こういう風に発音するのが一番簡単でもあるのだろう。 例えば日本語で「ようこ」という名前は「よ、う、こ」とは発音しない。「よ~こ」と発音する。このことを外国人の日本語学習者に教えたとしよう。するときっとすぐマスターしてしまうだろう。というのは、そのほうが言いやすいからだ。 音声学者が日本語のNには色々あるとか変化するとか言ういいかたをするが、そのことも、外国人が学習するうえで、別に指導しなくても、自然にそうなる。変化しているわけではなく、次にくる音のせいで、そういう感じで発音してしまうのである(しかし音が変わるわけではない、、、SHINBUNをSHIMBUNと書くことがあるが、実際にはNの調音点がMのものと同一になるわけではなく、Nはやはり喉の奥のほうで調音される、、、たまたま後続の音のせいで唇がしまっているだけだ。視覚的情報にまどわされてはいけない。)。 e-I-r_に関連して私は直接セミナーで教えていて、日本人の99%がある単語でつまづくことを経験している。 機関銃英語が聞き取れる!の38ページを使って一緒に繰り返す練習をするのだが、JANUARYとFEBRUARYで、このe-I-r_が出てくることは、音を聞くだけでは気づきにくいようだ。 JAN-NUW-WAR-RYのWARの部分は、どこですか?にあたるWHEREと同じ発音なのだ。 FEB-YUW-WER-RYのWERの部分も同じでWHEREと同じ発音だ。 e-I-r_に気づきにくいのは、二重母音的なEIがあっても、1シラブルのなかで流動的に発音されているので聞こえにくいのだろう。 しかし、これに気づき、実際に使いだすと、英語の流動性がはげしく増すように思う。 それでは音声で。 [audio:http://nippondream.com/file/kaz_09_28_2011.MP3|titles=kaz_09_28_2011] 直リンはここをクリック。