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若者はまた歩き始める SKYPEを利用し英語会話に挑戦する若者
やはり英語喉をやりつつ、大切なのは、実際に使うということであるが、以前は埼玉のKAZ氏、そして今年になってから、MASAさんが、その例を示してくれている。 英語を勉強する、、、というより、英語を試してみたくてたまらない気持ちから、実際に会話、、、そのうち、英語の勉強というより友達づくりをしている、、、うちに英語も上達、、、というのが非常に理想的だ。 そのような道を歩みだした若者を今朝、直接指導する機会を得た(有料でした)。 今年になって、英語喉に出会い、聞き取りができるようになり、また発音も通じるレベルまですでに到達している。 彼は、先週、なんとスカイプでアメリカ人と1時間にわたり話をし、そしてそれなりに楽しめたという最初の第1歩を踏み出しているのでした。 そこで、指導中、許可を得て、要所、要所でちょっと録音をさせてもらったのです。 まずは、最初に英語で会話します。 [audio:http://nippondream.com/file/rec_k_8_26_Sep_2011_06_04_13.MP3|titles=rec_k_8_26_Sep_2011_06_04_13] 直リンはここをクリック。 最初のところで、対した会話はしていないが、私には、彼が英語ができる!という安心感が持てた。聞き手は相手が難しいことを言うとか、文法の複雑なのを使うかなんていうことは期待していない。どっちかというと逆だろう(複雑な会話を普通はしたくない)。そうじゃなくて、会話のキャッチーボールができることが、安心感、信頼感につながる。皆さんの中にも、対したこと言っていないのに、相手のネイティブにほめられた経験はないだろうか? 喉発音による個々の音の発音は完璧であり、また100%通じる英語なのだが、課題は、スムーズさをいかに出すかだった。以下では一緒にドリルを読んでいます。 [audio:http://nippondream.com/file/rec_k_8_26_Sep_2011_07_00_12.MP3|titles=rec_k_8_26_Sep_2011_07_00_12] 直リンはここ。 スムーズさに関しては課題として残ったが、音声を聞いてみると、基準が厳しすぎるかとも思われたのだが、やはり、すでにできる人を完璧レベルまで持っていきたいと思うので、以下を気をつけてください。 息・音を止めない。特に、BやLのように息や音が物理的にさえぎられる要素を持つ音がネックになっていて、そこで止まりがちのように思える。 そして、それはシラブルとシラブルの間において顕著になるように思われる(ていうか、子音は、どうしてもそういう場所に現れるとういことの裏返しかもしれないが)。 声を無理に低くしようとすると、押し付けたようになり、喉が緊張し、それが音をCHOPPYにしてしまうのかも。 今後もSKYPEなどによるネイティブとの会話を通じ、感情を喉から表現することで、スムーズさが自然にでるようにする。喉から感情を出すと、喉がゆるいかんじになるからだ。笑いながら喋るとかするとよい。 それでは、今後も、がんばってください!
英語喉セミナー、楽勝でご二人の発音と聞き取り能力をパワーUP
本日は、こちらに住んでおられるかたお二人を英語喉指導させていただき(有料)、1時間半にて、結果を出すことに成功しました。その効果の音声(男性のみ)をUPします(許可していただきありがとうございます。この音声をきっかけで英語喉をがんばろうという気運が生まれることでしょう)。 英語喉セミナー前の英語を録音させていただきました。 [audio:http://nippondream.com/file/dc_residents_09_24_2011a.MP3|titles=dc_residents_09_24_2011a] 直リンはここをクリック。 セミナー1時間半終了後、テレビを聞いていただき、その感想を述べていただきました。録音の声はお一人だけですが、もう一人のかたもばっちり、同じ経験をされました。 [audio:http://nippondream.com/file/dc_residents_09_24_2011b.MP3|titles=dc_residents_09_24_2011b] 直リンはここをクリック。 英語喉セミナー後の発音です。ほとんど完璧だと思います。 [audio:http://nippondream.com/file/dc_residents_09_24_2011c.MP3|titles=dc_residents_09_24_2011c] 直リンはここをクリック。 しかし不思議ですが、この最後のところは、受講者のかたは英語喉の発音記号をみて読んでいるのではなく、またいきなり弁当BOX素材を読んでおられるわけですが、完全に発音がネイティブ化しているのは、私が読んだ手本をてがかりに、まねされているわけです。喉でやれば、聞ける、まねることができるということですね! お二人は、英語喉はもちろん、今日が、初めてでした。これからの英語喉の旅を楽しんでください!
日本語でのキャラと英語でのキャラが同じに感じられて充実感
昨日は、友人の誕生会で、デュポンサークルというDCのまんなかにある繁華街に行ってきました。しかし、東京などの繁華街を想像してはいけません。もっと人が少ない。DCでサークルと名がつくと、それは、いくつかの道路が交差していて、その真ん中が丸い感じのスペースになっていて、そこを自動車がぐるぐる回れるようになっているのです(イギリスではラウンドアバウトとかいって、これが非常に普通だったと思う)。 英語喉を始めてアメリカ人の誕生会に招かれるようになったのは脅威です。来月も一人あるので行って来ます。 しかし、英語喉をしているから、ものすごく親しくなった、、、という言い方よりも、普通の人になったという言い方のほうが正しいと思う。日本でも同じだが、コンパなどに誘うとき、誰でもかまわず誘うというときがあると思う。 日本人はアメリカに住んで、積極的でないと、内容のある話をしないと、アメリカ人と溶け込めないと思い込んでいる。先日も、そんなことを言っているひとがいた。引用させてもらうと、 引用はじめ (ワシントンDC掲示板より) 発音がネイティブでなくても。平等に接するアメリカ人たくさんいますよ。 私がこの20年以上で気がついたことで、会話に必要なのは度胸、協調性、ユーモア、あと話が尽きないことです。 ネイティブでもつまらない会話、協調性のない人は相手にされません。 もともと「平等に扱いだす」って差別ですよ。 差別するネイティブのアメリカ人とはお付き合いしたくないですね。 普通に接しているアメリカ人は、心では「このアジア人め」と思っているかもしれません。 発音・発声音が人間関係を深める鍵ではないです。 引用終わり 私が言っていることの全く逆である。 しかし、実際は、どうだろう。日本で考えてほしい。その個人に「内容」があるから友達があるだろうか?度胸がないと友達ができないだろうか???? いや、結構、たまたま学校で席が近かったとか、下宿が同じだったとか、クラブが同じだったという単純な理由で、仲間にならないだろうか?もちろん、性格などもあるが、人格が破壊しているなどということでなければ、普通は仲間に入れてもらえるのだ。 それと同じだ。英語喉で喉発音をしていると、回りのアメリカ人が色々と誘ってくる。それは、パーティーなどの内容によっては、とにかく人数が集まると誕生会などもリあがるし、一緒に働いているのに誘わないのは、みずくさいとアメリカ人だって思うからである。 飲みに行こうよ~、とか、もう帰るのかよ~、まだ早いんじゃね~か~、、、という発想だって、もちろんある。 そして、社交しているうちに、友達感覚になってくるのだ。 昨晩は7人だったのだが、当然、喉発音でのりきれた。特に良かったのは、ついに私自身の日本語のときのキャラと英語のキャラが同じになったと思えた点だ。以前は、日本語だとどちらかというと社交的だと思うのだが、英語だとシャイと思われてしまう、そしてシャイみたいに振舞ってしまう点に矛盾を覚えた。 隣に座った人は初めてあった人なのだが、ちょっと私がア~と息・音をもらすだけで、上りと新幹線と下りの新幹線が駅ですれ違うときのようなかんじで、パ~~~ンと私のほうを向いていた。そのレストランはうるさかったのに、それだけで相手がこちらを向くとは~。 さらに、こういう場では、失敗をおそれず、面白いかな、面白くないかな?という感じで、面白げな話をするわけだが、一人が、その話をするときに、私のほうを主に私のほうを見ながら喋っていたので、口発音時代は、こんなことはありえなかったなあと感無量だった。「カズなら笑ってくれる」という信頼感ができたのかもしれない。 また俺を会話の中心にしようというようなことも人が言ったのだが、これも感無量である。日本はどうだったか?とか、カズは英語を教えているだよね、、、どうよ?みたいな。 日本語の会話では当たり前の進行だが、英語でこれが起こっているのは、それは俺が喉発音で普通の人になったからだろう。 しかし、やはり英語が100%聞けているということは強いだろう。しかし、そこにはギリシャの人もいたのだけど、彼女だって100%聞こえていて、談笑に加わっている。喉発音と3ビートでやっていると、誰でもできるのである。 たまたま一人だけ、ちょっと遠い存在的な男性がいたのだが、それは、彼を知っている人が一人だけだったからだ。彼はどちらかというとその知っている人だけと喋っていて、ま、おおげさにいえば、ぽつーんとしていたのだが、私はそれを見て、な~るほど、俺は口発音時代は、いつもポツーンマンだったなあと思い出したのである。これは大げさに表現しただけだ。彼はたまたま知っている人が多くいなかったということ、彼だけが、違う産業に従事しているということという特殊な事情があったので(他のメンバーはなんらかの形で同じ会社に勤めていたことがあったりした)、私がここでポツ~ンマンと呼びつけるのはアンフェアなのだが、ま、話の勢いということで。 しかし、私がこのテーブルでポツ~ンマンにならず、会話の中心になることさえできたのは、それは、メンバーが女性が多かったというのもあるかもしれない(7人中、男は私を含め2人であった)。女性が多かったのは、バースデーの主人公が女性だったからだろう。 喉発音になって、観察力が強くなって気づくのは、女性というのは、結構、気をよく使う人たちなのである。男性以上に社会関係に気を使うように思える。だから、私が何か言おうとすると、すぐに丁寧に聞いてくれる感じがする。 これは文部科学省でさえそう思っていると思うが、英語ができる日本人像として、ディベートができるとか、議論できるとか、そういうことが前面に出る。それは、日本人の西洋人像は、論理的、白と黒をはっきりさせる、はっきりものを言うなどだ。 しかし、現実は違う。アメリカ人も多くが繊細であり、気を使い、自分のイメージに気を配り、喋り過ぎないようにし、、、、などなど、非常に気を使っている。 だから、私がちょっとア~というだけで、本当にうるさいレストランなのに、隣の人が、こちらを見るではないかと思う。 私もそれなりに気を使った。隣に座った人がロシアに留学していたというので、ちょっと聞いてみたが、その際、自分もメキシコに行っていたんだよと言いたい自分がいたが、それを我慢して、相手の話をまず聞いてあげるということを重要視したのである。 それは喉発音になって、気づいたのだけど、自分のことばかり言いたがる人がいるということに気づいたからだ。週末どうだった?とか会社のキッチンで聞かれて、ちょっと答えると、そこから自分の週末のついて話し出す。最初に聞いた動機は、自分のことを言いたいからだったのかと気づく。それはそれでいいが、やはり質問をしたら、ちゃんと聞いてあげるいうことをしたほうがよいのじゃないかと思うのだ。 英語喉のおかげで余裕が出てきたということかもしれない。 一箇所だけ、「内容が大切だ」と思える点があった。それは、ワインを注文する場面だ。カリフォルニアワインがいいとか、赤がどうの、白がどうの、、、とアメリカ人は色々とワインについて語るのだが、私は全然ついていけないのでした、、、。 さらにフランス料理だったのだけどメニューを見て、英語のメニューを持ってきてくれと頼みそうになりましたよ(笑)。値段は誕生日だった人以外6人で割ったら40ドルぐらいでした(3500円ぐらい?)。 だいたいアルコールを飲むときは、サミュエルアダムスを頼むばかりで(注文するときは、サムアダムスお願いと言う)、お酒の種類などさっぱりわからない。 それでは、上で書いたことの一部をアドリブ英語で語りましたので、どうぞ。 [audio:http://nippondream.com/file/kaz_09_22_2011.MP3|titles=kaz_09_22_2011.MP3] 直リンはこちらをクリック。