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新歴史主義を目指して

直接指導喉セミナーをご希望のかたは、メールくださいね(question AT estat.us)。詳細はメニューのほうにもあります。 <ところでボランティア一人10分~15分クラスも始めたいと思って計画中です。というのは、私が例えば、日本人にあって15分で効果を出さないといけない状況になったときのための練習です。またお知らせします。> 私はいちおう文学部だったのだ。たまたまアメリカの大学にいるときに、テリーイーグルトンの文学理論の本みたいなのに出合った。すると、それには、フーコーだとか、ソシュールなどが紹介されていた。面白いのは、文学作品を、その内容から解釈しようとかいうのではなくて、文学作品を歴史的なコンテクストから見ていこうという態度だっただろうか。 その時代時代の人々が共通に持っていたパラダイムのようなものを読み取る、、、 というのも面白く感じたのだろう。 文学というのが、面白いとか面白くないとか言う問題じゃない、、、時代、時代を理解するための言説として扱う、、、というような視点もあった。 さらに、現在、例えばアメリカ文学の古典といわれてるものだって、当時は、結構、売れてなかったのだけど、後で、「これがアメリカ文学の古典で~す」という感じになっていった、、、とう視点も刺激的だった。CANONという言葉が使われていたが、それは、これは「よまなあかん、国家の古典だからね」という風に、いつのまにかなってしまうというプロセスのことだ。 ちょっと驚きだった。だって、今から考えると日本の古典は、夏目漱石とか、そういうのだが、それは、その本が素晴らしいから古典となったということもあるのだろうが、国家の要請として、誰かの作品が古典とならないといけなかった、、、という感じの視点が、やや刺激的だった。 だって、素晴らしさとかいう絶対的な基準があるものと思って、夏目漱石の「猫」を読んだのだが、当時、退屈で死にそうになった。そんなときに、国家の古典群が実は作られたものだ、、、と言われたら、なにか救われたような気持ちになったものだ。 さて、この本にも大いに影響を受けた。なんと文学じゃなくてもよくて、昔の人の書いた手紙とか残した文書でも、その時代のパラダイムを理解できる、、、というものすごい作品だ。エドワードサイードのオリエンタリズムである。 話が変わるようだが、VAN HALENというバンドの音楽に中学のとき出あったのだが、YOUTUBEでアメリカのギタリスト達が、いかにVAN HALENの新しいサウンドに革命的な衝撃を受けたか、、、という話をえんえんとしている動画を見た。国籍は違う、聞いた場所は日本なのに、全く同感だった。 ファーストアルバムのERUPTIONというエディーのソロからYOU REALLY GOT MEのつながりのところで、それ以前の状態に戻れないような感覚になった人は、私のほかにもたくさんいるのじゃないかと想像する。 ERUPTIONはこれです。これがギターの歴史を変えたのです。そもそも当時、一体、彼がどうやってこれを弾いているのかさえ、多くの人が分からなかった。当時のパラダイムでは不可能なメロディーラインだった。あと、え?、こんなにアームつかって、なぜギターのチューニングが狂わないの?なんていう非常に根本的な疑問もあったのかも。 そして、このソロが終わった瞬間に(LPの時代)、次の曲、YOU REALLY GOT MEが始まりますが、これで普通ノックアウトされてしまうのです。 おまけ。高校時代は、これにも衝撃を受けた。ALCATRAZZのHIROSHIMA MON AMOUR。このあとは、クラシックの音楽(例 モーツアルト、ビバルディー)をエレキギターで再現するという練習をしておりました。パラダイム的にロックとクラシックが融合できるなんて想像もしてなかった! おまけ。結局のところ、こんな感じで弾いておりますというサンプル。聞けるかな? http://www.nippondream.com さて、同じようにフーコーの視点で刺激的だったのが、パラダイムとかいう考え方で、その時代時代に、理解、認識の根本的なるマップのようなものがあるということ。 さて、前置きが長くなったが、この話をしているのは、文部科学省さんのレポートでも、そのあたりのパラダイムが見えるとういことだ。 そのレポートとは以下です。 「国際共通語としての英語力向上のための5つの提言と具体的施策」について:文部科学省 文部科学省ホームページ タイトルは 「国際共通語としての英語力向上のための5つの提言と具体的施策~英語を学ぶ意欲と使う機会の充実を通じた確かなコミュニケーション能力の育成に向けて~」 さて、ちょっと、時間が足りなくなってきたので、本論はまた今度。 では。

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文法が大切だという言説について

直接指導喉セミナーをご希望のかたは、 http://nippondream.com/eigonodo/semina さて、大津由紀夫先生のサイトに、慶應義塾大学英語教育/言語教育シンポジウム http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/ という企画の告知があって、実際にプレゼンテーションされるかたが紹介されている、だけでなく、PDF形式で簡単に内容も読める。 江利川先生は、歴史的に英文法がどのように教えられてきたかということのレビューをされている。 http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2011/2011-09-10%20Erikawa.pdf ただ4ページで、日本がコミュニケーション重視になったから、文法を軽んじているという主張は、いきすぎではないかと思う。実際に、データに基づいていないように思われる。それを主張するのであれば、インタビューであるとか実際の授業観察をし、データをコーディングしてからにするべきであろう。ただ、以下の引用がある。 斉田智里(2010)によれば、高校入学時での英語学力は 1995 年から 14 年連続で低下し続け、下落幅は偏差値換算で 7.4 にも達する。 私は教育研究の専門家であり、仕事で、教育の研究を評価している。またこのかたが使われているラッシュモデルというのもやっている(GOOGLEでRasch modelと打てば私の説明がWIKIに続いてランク2位として発見できる、、、これ。)。 このようなCLAIMができるデータが日本に存在するとは思えない。昔と今の全国のランダムサンプルなんてありえないと思うが。また、項目反応理論的にも、EQUATINGなど無理じゃない?そんなデータあるの? 実際にこの論文を読むのにはどうしたらよいのだろうか? <後日談 英語喉実践者のかたのご協力でこの博士論文がゲットできました。読んでみると、日本全体のデータではなく、茨城県のデータでした。また、リサーチの目的も、心理統計モデルを使って、こんなことできるかな、過去のデータを使えるかな?という実験的、メソッド的な試みに私には読めました。さらに、方法論の描写を読んだのですが、過去のデータの個人レベル+テストアイテムレベルでのデータ(つまり心理統計学をするのに必要なデータ)を使ったのかどうか分かりませんでした。 この論文を使って、日本人全体の英語力が下がっていると主張している先生への感謝の言葉などがありましたので、お知り合いのようです。> 斎藤兆史氏は、以下のPDFファイルで http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2011/2011-09-10%20Saito.pdf ジャズの即興演奏は、ジャズの理論を頭で覚えるところからはじまるのであり、理論も知らずに「シャワーのように」ジャズを聴き、ジャズっぽく楽器をかき鳴らしたところで、即 興演奏などできるようになるものではない とおっしゃっている。文法が大切だということの比喩だ。私はギタリストであり、即興演奏が中心なのだけど、理論というのは、後で納得するものだと思う。もちろん、スケールというのは覚えているが、それにしてもドレミと、あとブルーススケールぐらいだ。 私はジャズはしないけど、もしジャズを引きたければ、シャワーのようにジャズを聴けば、もちろん、ジャズが弾けるようになるだろう。 ジャズギタリストのMASAさんならどういうだろうか?MASAは、なんとBLOGを始められている。これまでMIXI日記だと、MIXI会員じゃないと読みにくかったのだ。こちらをクリック。 <さて、マイケルシェンカーがとても参考になり、また私も「そのとおり」と膝をうってしまったギターの弾き方、覚え方の説明をしている。とにかく、ギターをさわって、いいなと思うコードとかを発見していくと彼は言っている。まさにそれだ! http://www.youtube.com/watch?v=ntQe0C2Wqss&feature=related > これ(以下)は私がアドリブでギター演奏を録音したものです。理論から始めてはいません。繰り返しになりますが、ドレミとかブルーススケールぐらいは知っていえるが、さわぐことのほどではない(そういう意味でも英語を喋るときの文法に似ている)。 http://www.youtube.com/watch?v=3pEA2qEGuDE 鳥飼玖美子先生のPDFはこれ。 http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2011/2011-09-1-%20Torikai.pdf 3)教育程度 教育程度が低ければ文法の理解は困難 教育程度が高ければ文法を理解し誤用の修正を望む 4)「書く」ことの指導には文法が必要 5)会話でもフォーマル度が上がるにつれ文法的正確さが求められる5 6)仕事に使うなら文法的正確さは必要 私の感じでは、文法というのは非常に簡単なものばかりだ。動詞にSをつけるとかですよね。どういう文法をとって、これが大切だとか思われているのだろうかというのが知りたい。ちなみに仕事に使うレベルの英語は、すでに文法など考えていないレベルで、いかにフローを大切にするかがPRIORITYとなる。 英語に、それほど、難しい文法は存在しないように思える。コミュニケーションに力をいれたらおろそかになる文法というのはどういうものなのだろうか? 大津先生はこちら。 http://www.otsu.icl.keio.ac.jp/files/i/2011/11-09-10-otsu.pdf 突然ですが、日本語でちょっとことばが出てこなかったりすると、「えー」って言うでしょ。英語では Uh(あまり口を大きく開かないで「アー」という)と言います。この Uh も日本語の「ね」と同じように、文の途中で入れることができるところとできないところがあります。(8)だと、 (9) My name ∧ is Jun. (10) […]

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練習方法としてのクッちゃんと喉やん

直接指導喉セミナーをご希望のかたは、メールくださいね(question AT estat.us)。詳細はメニューのほうにもあります。 MASAさんとリトアニアのヨビタさんの会話がいい感じだ。からみつき度が高い。お互いがお互いを確実に一語一語理解していて、会話のキャッチボールが成立している。 http://audioboo.fm/boos/433393-masa-radio-73-talking-to-jovita-from-lithuania?force_mobile=false さて、さらにMASAさんのうちでは、口太郎と喉太郎が風呂掃除をしているらしい(爆笑)。 http://audioboo.fm/boos/433660-nodotaro-radio-1-talking-to-kuchitaro-o MASAさんが喉発音で喉太郎、口発音で口太郎を演じている。 しかし、これは単なるエンターテイメントではない。口発音と喉発音を演じるということは、両極端を演じなければならないということだ。喉やんをやっているときに、口発音はゆるされない。その逆もそうだ。 日本人は、普通に喉発音していても、やや甲高くなりがちだ。だから、喉やん、喉太郎を演じるぐらいの音程、響き具合がちょうどよい。 MASAさんも、喉太郎を演じているぐらいの音程と響き具合、落ち着き(?)がよいのではないだろうか? 日本人なので、喉発音をしていても、甲高くなりがちなのは、メカニズムがある。特に日本人同士で話していると、テンションがあがってくるのだ。テンションをあげることで、お互いに尊敬を払っている、お互いを認識しているということではないだろうか? 英語では、テンションを上げるとしても、それは喉音の深さを保ったままで、やらないといけない。 上に上がりそうになっても、がまんして、そのまま響きを保つのだ。 しかし、クッちゃんと喉やんを演じて学ぶものが多い。クッちゃんがテンションが高いので喉やんもつられてしまう、、、というか、リラックス度を保とうとすると、声が小さくなる。今日は、もっとがんばって、両方、ちゃんとできるようにしてみたい。ただし、全てがアドリブ、録音ボタンを押してからの思いつきなので、一回しか取らない。どこまで成功するかな? 皆さんも、この一人二役で練習してみてください! 今日の英語講座の表現は、YEAH, RIGHTです。英語喉223ページにある表現です。皮肉です。はいはい、そうですよ、、、という意味です。発音は Y_-Ia_u_-#/r_-AI-T あれ、今気づいたけどYEAHって非常にイレギュラーな発音ですね。でも、そういえば、それは本の執筆中にジーナが指摘していました。単語、表現というより、喉の音みたいな感じかもしれませんね。うなづくときに言うア~ハ~とかと同じで。 [audio:http://nippondream.com/eigonodo/wp-content/uploads/2011/08/kaz_08_09_2011.mp3|titles=kaz_08_09_2011] 直リンはこちらをクリック。

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