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個々の音がどうしてつながるのか

英語の個々の音にはライフサイクルがある。 そしてこれらの音が子音ー母音ー子音とスムーズにつながることで一つの塊になる。そしてその塊と塊がスムーズにつながっていくことで今度は単語になったり、フレーズになったり、文になったりしていく。そのスムーズさの秘密が3ビート理論に出てくる概念であるスウィングとフォロースルーである。しかし、このスウィングとフォロースルーは喉発音し、ボンボン(3ビート)のリズムに合わせて読んでいれば、自然と起こること。 これまでどのように個々の音が、流れるようなつながりになるのかが、解明されていなかった。しかし、喉+3ビートで誰でも、個々の音を再現しながらも、流れるようなつながりを再現できるようになった。 大きな発見は、色々あるが、個々の音にライフサイクルがある、、、ということの発見だったと思う。これはネイティブの共著者が発見したわけだが、自分で、独力で発見できたかどうか、、、絶対的に自信がない。 発音記号というのは、字なので(例えばリガチャーA)、印象的に一瞬をとらえているような感じがする。だから、音の全体のライフサイクルを伝えることができない。ただし、ヨーロッパ人が発音記号を読むときには、問題がない。例えばフランス人は、1字をみせられて、これが発音記号ですよ、、、と説明を受けても、その字をフルのライフサイクルを持って読む。というのは、ロボットのように、一瞬的に短く読む理由がないのである。だから、発音記号は、ヨーロッパ系の人たちにとっては、便利が悪いということはなかった。 個々の音にライフサイクルがある、、、という発見が、次の発見、つまり、音の半分だけが読まれる、、、という発見につながった。 従来のアプローチはどう説明していただろうか。例をあげたい。従来はLの発音にもダークLとそうでないLがあると言われていた。例えば、HILLのLはLIKEのLと比べてなんとなく暗い感じがする。だから、従来は、少なくとも2種類のLがありますよ、、、と説明していた。 実は、そうではなくて、HILLとLIKEではLの現れる位置が違うため、他の音との関係上、Lのライフサイクルの現れ方が違ってくるのだ。HILLであれば、シラブルのなかでスウィング(音の前半)として現れる(強調のためフルに読んでも間違いではない)。LIKEでは、Lがフォロースルー(音の後半)として現れる。 つまりLのフルサイクルでも、シラブルのどこで現れるかによって、その音の前半が読まれるのか、後半が読まれるのかが、違った、、、ということなのだ。 従来のアプローチはこれらの音を異音となずけ、分類し、学術的に納得してしまっていた。ところがこの知識を実践に使うとなると、なかなか難しい。暗記しておかなければならないからだ。暗記したものを実践に使うのは、事実上、不可能で、それにこだわっていると喋れない。   だから、逆に、そういう知識に頼ることなく、音を耳で覚えるアプローチが喉革命以前は、最も効果的だったわけだ。実際、本当に英語が喋れる人は、殆どの場合、実地で喋って覚えた、、、という人が多い。あえていえば、私の経験では、洋楽を聴いていた人が英語がうまいケースが多いと思う。シラブルということを無意識のうちに体得していったのだろう。 逆に喉のやりかたは、喉をリラックスしておいて、3ビートをすれば、ほっておいても、かってに起こる現象、、、それがスウィングとフォロースルーである。 ただ、従来の分類がまちがっていた、、とはいえない。実際、ダークに聞こえるLならば、それをダークLと呼んでもよいと思う。ただ、なぜダークLと呼ばれる現象が起こるのか、、、に一歩踏み込むべきだっただろう。語の最後にくるとそうなる、、、という説明はあったが、実は語だけではなく音節の最後でもそうなる、、、というあたりも踏み込んで考えると、発見にいたったかもしれない。 また、この現象はLだけでなく、他の音の全てにおおかれすくなかれ起こることだ。ただLが一番気がつきやすいということだったのだろう。例えばSでも起こっている現象なのだ。ただし、Sは最初から最後まで均一の音がつづきがちな感じがするので(印象的に)、このスウィングーフォロースルー現象について、人々が気づなかった。 Lだったらこうなる、Rだったらこうなる、、、と分類化?に分類化がすすんだ結果、その複雑きわまる現象の背後にあるシンプルなメカニズムに関心がいかなかった。 また日本文化には、「奥が深い」とか、「学問に王道はない」、「地道に努力するしかない」、「こつこつやっていくしかない」という感じの謙虚な態度がある。だから、王道ともいうべき3ビートの存在を認めてはいけない、、、という感じの無意識の態度があったのではないだろうか。これは私自身のことなのだが、まさかリスニングを上達させてくれるようなメカニズムがあるなんて、想像もしていなかった。 脳のイメージだと思う。脳は、何かをマスターするとき、スポンジのようになにかを学んでいく、、、ってかんじのメカニズムがある。やって、やって、やりつづければ、なにかミラクル的なことが脳に起こり、マスターしていく、、、というイメージを持っていたから、まさか3ビートのような理論的な枠組みがあるとは思ってもみなかった。

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なぜ渡辺謙氏(の英語)が世界で通用するのか

渡辺謙氏はアメリカでも大人気の俳優だ。氏の英語は喉の結構深いところをアクセスしながら喋っておられる。その喉発音が、音の質だけでなく、全体的ななめらかさを生み出しており、3ビートもよくできている。すばらしいと思う。 渡辺謙氏のインタビュー(英語) http://www.youtube.com/watch?v=LFZK4OuhfXs&feature=related

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シラブル再考

日本において実践用の発音教本には、シラブルの練習がほとんどない。また西洋においてもあまりない・あまり考えない、、、のだが、これは、西洋においてはシラブルが空気のようにあまりに当たり前であるからだ。 例えばだが、SPRINGという単語はヨーロッパの何人が読んでも、1シラブル、つまり1拍で発音する。フランスでは2シラブル、ギリシャでは3シラブル、、、ということは普通起こらない。(例外はあるのだろう。例えばBARBARAという名前はアメリカでは2シラブルだが、スペルをどまじめに読む場合は、それ以上になりそうだ。) 当たり前すぎて語られないもの、、、なのである。 なんで日本にきているネイティブの先生は日本人の英語をきいて、「シラブルの数が違いますよ、、、、」と誰一人として指摘しなかったのだろうか。これも、どうもあまりに当たり前すぎて、まさか、シラブルの数が日本人に分からない、、、ということさえ分からかったからのようだ。共著者のJEANAさんが「発見」するまで、シラブルが分からないから、日本人の英語が通じにくい、、、と意識的に考えた人がいなかったようだ。 でも、前にYOUTUBEでタンバリンでリズムをとりながら、英語を教えているJETのアメリカ人を見たことがある。彼の場合は、なんとなく気づいていたのかもしれないが、それでもシラブルに関して意識はしていなかったと思われるふしがある。 中国語を勉強している人たちはどうだろう。例えば「図書館」という単語を発音練習するとき、シラブル3つでやっているだろうか?中国人の先生が教えるときに、漢字一個を一拍で発音してください、、、と指導しているだろうか。もしかしたら中国人の先生にとって漢字ごとが一拍だということは、あまりに当たり前のことなので、意識にない可能性もある。 私自身、のど革命後数年になるが、今、英語を聞くときに、バックに、ダンダンダンって感じのリズムが聞こえる。喉革命後すぐには、聞こえなかったように記憶している。でも、実験者のかたで、すぐにこのリズムを感じられたかたがいた。 皆さんはどうだろうか。 中国語だと、このことが*比較的*分かりやすいのだろう。シラブルとシラブルのあいだがはっきりと切れている感じがするから。英語だと、シラブルとシラブルがスムーズにつながっているから、最初は分かりにくいのだと思う。 3ビートを実際に実践してみることが大切だ。自分でやっていると、聞こえてくるものだ(中国語の場合、やってみなくても、一度知ってしまえば、あまりにも明らかだから分かるだろう)。 で、音楽を聴いたりすると、ますますシラブルの存在が、あまりに当たり前に思えてくる。なーんでこれが分からなかったのか、、、と。音符一個につきシラブル1個、、、じゃないか、、、と。 サウンドオブミュージック(映画)を見られたかたなら、ドレミの歌で、先生が歌を子供たちに教えるシーンを覚えてらっしゃるだろうか。音楽とシラブルのことを考えると私はいつもあの歌を思い出す。 歌詞はここ。 http://www.stlyrics.com/lyrics/thesoundofmusic/do-re-mi.htm 別にこの歌で実感する必要はないんだけど、シラブルごとに一つの音符がASSIGNされている。 実際の歌はここ(YOU TUBE) http://www.youtube.com/watch?v=Q8WVxoldo8U 最後に、英語喉以前の世界では、英語の発音のうまい人、、、というのは、結構、細かいことに気をとられず、聞いたとおりに繰り返す、、、という実践をしていた人だったと思う。従来、英語のうまい人というのは、ロックを昔から聞いていたとか、洋画が好きだったとかいうタイプの人ではないだろうか。とにかく聞いて、聞いて、雰囲気を使む、、、というやりかた。 そのやりかただと、すくなくともシラブルを雰囲気的に体得できたのではないだろうか。完璧とはならないが、半分ぐらいは3ビートを実践できるぐらいになるのだろう。 ところが、細かいことを勉強し始めると、実は個々の正確な発音よりも大切であるシラブルの区切りに関心が行かなくなってしまい、逆に、発音をマスターするのが難しくなる、、、という非常にアイロニックな結果を招いてしまっていたのではないだろうか。 3ビートを意識して学び、無意識でもできるようになると(これは可能なのである。日本語を使ってなら3ビートは結構簡単にできるのが証拠)、発話の大部分において正しいシラブルで英語が喋れるようにある。

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