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西宮で一番発音にこだわるTOEIC講師の英語の話

てんまさんのBLOGで、英語喉についての記事がUPされているので、ご紹介します。てんまさんが「喉ブレーキ」の有無を音声で実践されています。 http://processeigo.seesaa.net/article/71638764.html テンマさんの英語、むちゃくちゃうまいです。オバマのまねですが、ちょっとだけ速く読まれたとこは、集中力がいりましたが、ネイティブがぼーっとしていても、するすると頭にはいってくる「国産ネイティブ英語」です(あ、速く読まれたとこは当のオバマ氏自身もはしょって読んだんですね。こまかいなあ)。 過去に言及したRON氏にしろ、こんな人たちが存在したとは、驚きです(なんでみんな関西なん?まだ交流のないアッちゃんも含め。なんでやねん)。

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常識の壁をどう越える?不安

英語発音に関する言説形成をインターネットで見ていると、この壁を超えることは可能なのだろうか、、、と心配になることがある。 壁とは、、、。例えばだが、私たちは、風呂からあがってうろうろしていると体が冷えて、風邪を引く、、、ということを真ととらえてうたがわない。ところが風邪はウイルスで起こるのだから、実際は、風呂からあがって床に入るまでの時間は、風邪を引くことと無関係なはずである。***ところが、昔からそう聞いているのだから、決してその壁を越えることはできないだろう。 ある二つの説明をネットで読んで、その壁のごつさを思った。 イギリス英語は日本語英語に近い、、、という説 英語は強弱が大切だ、、、という説 どちらも正しくないがものすごい説得力だ。強弱が大切だ、、、のほうからはじめる。すでにこのことは色々言ってきたが、あるインターネットの説明でものすごい説得力を持つ説明(間違ってはいるが)を読んだ。その説明によると、英語ネイティブはそもそも強弱をつけないと何も読めない、、、、というところから始まっていた。 例だが、例えばMCDONALD’Sという単語があるとする。マクドナルドだが、ネイティブの発音はマッダノーってかんじ。クが弱く思えるし、LDSのところが弱く思える。したがって***結論として***ネイティブは強弱をつけないと読めない、、、、と。 ところが、この論理の展開には、無理がある。そもそもマクドナルドはカタカナだ。そのカタカナと英語発音のMCDONALD’sを比べて、カタカナで読むのに比べたら特定の音が弱くなる、、、と結論ずける、、、のは問題だ。だって、英語を日本語の論理で考えているからだ。 ネイティブにとってみたら、別に「ク」を弱く読んでいるわけではない。クではなくてKであり、このKをネイティブは弱く読んでいるというわけではないのだが、日本人がカタカナの感覚で聞いたら、(クと比べれば)弱く聞こえるということである。 英語は日本語でないという当然のことを思い出す必要がある。 さて、イギリス英語が日本語英語に近いという説もあるが、これはTがdにならないので(例 BETTER アメリカ英語だとペラーに聞こえるが、イギリス英語だとベターに聞こえる)、リエゾンしたときに、カタカナっぽく聞こえるというだけであり、本当にカタカナ的に読んだらいかんのです。 あとイギリス英語ではRを発音しないという俗説がある。例えば、CARだが、アメリカ英語だとRをしっかり発音するが、イギリス英語ではCARをカーという感じでいい、Rを発音しないと。 ちょっと待ったーーー。 思い出してほしい。カーの「-」は音を伸ばすという意味だが、これは日本語ですよ。英語には「-」はないんです。 イギリス英語のRも発音されているんです。ただ、それがカタカナ風に考えたときに、「-」に聞こえるんだけど、その音は、(母音をアーと伸ばしているんじゃないくて)、RはRなんです。 英語には「-」がないといいましたけど、英語には「小さなツ」もないんです。「-」も「ッ」も日本語なんです。例えばGETはゲットという風に聞こえるけれども、あれは「ッ」じゃないんです。GETを喉で発音すれば、各音のライフサイクルがフルに出てきますが、Tのライフサイクルの最初がたまたまそういう風に聞こえるだけです。 喉発音を徹底して3ビートをやれば、「-」も「ッ」も日本語であり、英語には存在しないことが分かります。 イギリス英語の話をしていましたが、もうちょっとGENERALな話になりましたね。

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この国の教育に今起きていること

苅谷教授がちくま書房さんのサイトにて、エッセイを連載されている。「この国の教育に今起きていること」シリーズである。その中に、英語喉を登場させてもらっている(最後のほう)ので紹介したい。 http://www.chikumashobo.co.jp/new_chikuma/kariya/10_1.html 私の勝手なまとめは(正しいと思うが)、何かを教えるときは、そのメソッドが確立されていないといけないということだ。とにかくやってみる、、、というやりかただと、どうしても無理が出る。とにかく練習せよ、予習せよ、、、というやり方はまずい。 どうやったらできるのか、、、に関するメソッドがいる。 メソッドとは、ある技術(例 発音 聞き取り)ができるようになるための方法だ。 ちょっとごちゃごちゃ書いてみる。 皆で大きな声を出して挑戦する、、、というのはメソッドではなくて、練習法だろう。家で、宿題をがんばる、、、というのもメソッドではなく、練習法だろう。資格を目指してがんばろう、、、は動機付けの方法だろう。予習しようね、、、、は練習方法の動機付けだと思う。スポーツみたいに繰り返して練習しよう、、、と呼びかけるのもメソッドでなくて、練習法の動機付けだろうか。自分でやることが大切なんだよ、、、と呼びかけるのも、練習法の動機付け。初心に戻ってみな、、、と呼びかけるのは練習法の動機付け?まずは自分で調べなさい、、、勉強とは自分でするものです、、、は動機付けだろうか。夏休みの宿題は練習法?ただ、実際に夏休みの宿題をこつこつとやったことがないので、自分にとっては練習だったのかどうかわからない。小学校の野球部の練習で水をのむな、ばてる、、、と言われたが、あれはなんだったのかなあ。メソッド? 小学校の体育の授業ではやく走るには手を速く振れといわれて、本気で速くふったけど、全然、足がはやく動かなかった。あれはメソッドなはずなんだが。薄着をすると風邪をひかない、、、と思って薄着をしたら風邪を引いた。これも風邪をひかないメソッドだったはずなんだが、、、。 練習法じゃなくて、やっぱりメソッドがいると思う。メソッドなしには、知識、スキルを効果的に習得できないからだ。 社会階層論の観点からいうと、メソッドがないのに、とにかくがんばらすと、社会不平等が増加する可能性が大である。裕福な層は、塾などを利用して、なんとかマスターさせるだろう。ところが、お金がなければ、どうしたらよいだろう。非常に困る。 今、日本社会が必要としているのは、グローバルな社会で大切なスキル(すぐに使えるもの)を学習者が自由に、効果的に学べるようなインフラだ。

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