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はっきり喋ればOK?
発音は通じればよい、CLEARに喋れば、、、という考えがある。 何をもってCLEARに喋るかが、日本語と英語で違うのである。日本語ではCLEARに喋るとは、はきはきと、ちょっと声を大きめに喋ることだと思う。ところが、英語では、日本語話者の「はきはき」=CHOPPYだ。CHOPPYで声を大きくとなると、西洋語文化においては、これは、怒りとか不快感、あるいは軍隊における命令を意味する。 喉を理解することは、西洋を理解するにつながるが、同時に日本語、そして日本文化を理解することでもある。 喉実践者からの報告でうれしいのは、喉革命後、言われなくても、自然に、そういう探索の旅が始まっていることだ。 ある喉実践者のかたが風邪を引かれたらしい、、、が、ますます喉発音の意味を実感した、、と解釈できる報告をしてくれた。どういうことだろうか。なんとなくわかるような気がする。
喉で思考の旅へ 歯医者編
喉実践者の質問は、本当にするどい質問だ。著者の考えてもみなかったような質問にどきりとさせられることがある。 喉は、自分自身の身体(そして文化)を理解する旅へのいざなってくれる、、、と思う。口発音から喉発音への移行に成功し、3ビートをやれば、次から次へと今まで分からなかったことが分かってくる。実践につきあっていただいたかたがたとは、色々な話をした。話が止まらない、、、といった経験もあった。 歯医者に行ったのだが、口を開けて検診を受けるあいだ、なぜ自分は喉を閉じようとするのだろうと、自分に問いかけた。西洋人は喉をあけたままで治療を受ける。ところが日本語話者である自分は、どうしても喉を開けることができない。 絶対的にミステリーだ。日本語話者は喉が繊細というかセンシティブである、、、などという説明を最初は考えていたが、納得がいかない。だって、食べ物を食べるときは平気に、喉を多くの流動物が、ごくんごくんと、通過する。 なぜ、歯医者では、喉を守るがごとく、喉を絞めるのか? 舌のおき場所に困るほどだ。喉をしめると、舌が前面に出てくるような気がして、どこにおいたらよいか、一瞬迷った。 鼻呼吸だ、、、。私は歯医者での呼吸は鼻呼吸である。そしてその最中は喉が完全に閉じている。だから、喉を絞めてしまうのだ。西洋人はどうなのだろう。 勝手に決めてしまわず、西洋人との対話の中で真実を発見する。そのあたりは、私が全てこうだといってしまわず、皆さんにお任せしたい(英会話のネタにしてください)。 あ、ここで言いたかったことは、英語喉をやることは、自分自身を理解するということ、、ということです。自分自身の身体(口、喉付近、姿勢などを含める)を理解するのです。 (その思考の過程で、欧米人がこの本でこういっているとかいうことは、とりあえず括弧にいれておくのです。 括弧にいれるというのは、言われていることを仮説として扱うということです。 特にこれまでアメリカ人の学者が書いたものが絶対的であるという感覚があったのではないでしょうか。今後は日本から独自の情報を発信していきましょう。)
アクセントに関して
アクセントに関して考えていて、あることに気がついた。ネイティブメソッドをやると、実際、知っていたはずのアクセントの位置を忘れてしまう、、、。例えば、急に、DESKTOPという単語のアクセントの位置は?と聞かれても、分からない。DESKもTOPも同じような強勢に思えてしまう。パラダイムシフトとはそういうことだと思う。以前はよく知っていたはずのものが、意識からなくなってしまうのだ。 この問題に関しては、色々なメールをいただいたが、ぜひ、まずは英語喉を試していただきたい。すると、あれ、前何を考えていたんだろう、、、?って感じになる。一ついただいたメッセージの中に、次のようなものがあったので紹介したい。 **** その私の経験というのは、私がこの「英語喉」を読む前は、リズムやイントネーションなどを気を付けて喋っているのにも関わらず、あるネイティブの方に「リズムやイントネーションはほぼ無いに等しく、ネイティブにはほど遠い」と指摘されましたが、「英語喉」を読み、喉で発音できるようになった後は、その全く同じネイティブの方に「sounds native speaker」と言われました。すごくびっくりしました。なぜなら、リズムやイントネーションは英語喉を学習する前と全く変えていなかったからです。口発音から喉発音にしただけです。本当にびっくりしました。 **** ちょっと次のことを考えていただきたい。ネイティブの使う英単語には辞書にのってないものがたくさんある。例えばだが、新しいお菓子で(勝手につくるが)、BOCKPEEというのがあるとする。すると米国標準英語の話者は、皆、同じような抑揚で読むのだ。あるいは、英語ネイティブが日本語を英語風に読むとする。例えば、OKONOMIYAKI。この単語を聞いたことがない人でも、同じような抑揚で読むのである。 つまり抑揚は個々の音によって、そして個々の音がどのように3ビートの枠にはめられているかによって決定されているのである。OKONOMIYAKIの例でいえば、米国英語のネイティブの誰もがYのところで、ぐーんと下がるような発音をする。それは、Yがゲップエリア発音(首の根元)であるために、音が低めになるからである。 最後のIでも下がる。それは、単語が終わったところから、ゲップエリアの定位置に喉がもどっていくために、IのあとにYが生じるからである。 (ちょっと難しくなるが)抑揚は意味に内在しないのだ(=暗記の対象ではないのだ)。辞書にこう書いてある、ここのアクセントがあると書いてある、、、からそういう読み方をしているのではないのだ。 逆に、日本語では辞書に書いてあるから(もっといい言い方があるかも)、特定の読み方をしなければならない。橋と箸で抑揚はあらかじめ決定されているのだ。 日本語と英語の決定的な違いがここにある。 ちょっと分かりずらい表現だが、以下のようになる。 英語では抑揚は意味に内在しない。音に内在する。日本語では抑揚は意味に内在する。 もっといい言い方があればと思う。 注意 アクセント、抑揚、強勢、、、色んな言葉を使ってしまったが、結局のところ抑揚(=音程)というのが一番あっているかもしれない。