November 2007

教育実践・言説の脱構築
知の様相

「知」を身に着けるという観点から考えて、知には、二つのおおきなタイプがある。一つは、考えなくてもできるようなになるような知。自動車の運転など、なぜかぼーっとしていても、できるようになる。もう一つは意識して実践できるような知。試験問題を解くときなど、かなり考えないといけない。 実際は、この二つの中間のようなものもあるのだろう。 生演奏を聞いて思うことがある。楽器の種類によって、その知の体系が違うように思えることだ。ギターやベーシストは、たいてい、ものすごくマジメな顔で演奏している。ある程度は、勘で弾けるようになるのだが、手のポジションを変えたりするときなど特に、意識しないと間違うことがあるからだ。だから、殆どのギタリストが熱心にギターを見ながら弾く。 全然逆なのが、ドラム。楽しそうに体をくねくね?させたり、頭をふったり、しながら笑顔で演奏している。これは、リズムというのは、勘でできるようになるからだろう。思わず体が動くのである。 英語喉による英語発音、聞き取りはまさにこの後者のタイプの知を提供する。勘で、考えなくても発音でき、聞けるようになる。喉発音だが、喉でやれば、真似ることができるのである(動物の鳴きまねが、喉でやれば簡単なことが一つの証拠)。3ビートも、勘でできるようになるのだ。日本語で3ビートをやるなら(例 アメリカなまりの日本語の真似)、そんなに練習なしでも、すぐにできるようになるのが証拠である。 喉発音がなぜできるようになるか、、、という点について、どう説明したらいいか、言いたいことが分かっているのだが、表現が分からない。あえていうと、こんな感じだ。 あ、ちょっと言い換える。喉発音には2箇所ある。2箇所をいったりきたりって難しそう、、、と思ってしまうだろう。でも自然とできるようになる。なぜだろう。 喉発音を続けていると、最初は、メカニカルにWとRだとゲップエリア発音だ、、、という感じで思っているかもしれないが、そのうち、ゲップでいわないとWやRじゃない、、、という感覚になってくる。だから、自然とできるようになる。この感覚分かるだろうか。HUTのUはゲップだ。これをわざと間違って言うと、違う単語になるのだ。だから、間違わないようになる・英語喉を一貫してできるようになる。 意味的に間違ってしまうから、正しい発音が自然とできるようになる。 従来の指導法はどうだろう。唇を丸めてWを言いましょう、、、と指導があれば、視覚的な意味で、Wができているかどうかを考えることになる。唇が丸まってなかったら間違いとなる。 ところが、英語喉では意味的な関係で、出来るようになるのだ。 アマゾンレビューでJAPANESE CANADIANさんが、次のようにコメントしてくれているが、最後のほうが、私の言いたいことにとても近い。表現は違うが、、、。 「今(英語喉以降 著者注)では音自体を日本語のように認識していています。あとは単語やセンテンスにだけ注意を払えばよいだけです。」 表現は違うんだけど、私の言いたいことに非常に近い。「なぜ、喉の2箇所をコントロールできるようになりますか?」「位置を間違えると違う音が出て、言っている単語が、意味が違う単語になるからです。 」 やっぱりポイントはこれだ。英語喉をやると、言える、聞ける。言えるから聞けるし、聞こえるから言える。だから発音が間違ったら、それを自分で聞けるのだ。HUTのUを間違ってアクビエリアで言ってしまうと、自分でもそれを聞けるから、あれ、今俺の言ったこと間違ってるね、、、となる。音が違うから、間違うと思う、、、ということだけど、厳密には、音が違うから、意味が違う、、、だから今間違ったな、、、と無意識のうちに実感するのだ。  

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教育実践・言説の脱構築
言説の束縛からの解放

私が昔行っていた床屋さんは、アルゼンチン出身だが、4ヶ国語も、5ヶ国語も喋れる。どうやって、マスターしたかと聞くと、単に喋りながらマスターした、、、と答えた。彼には、受験も、ないし、ビジネス英語入門もないし、文法1と2もない。単に聞いて真似て、繰り返して、それで色んな言葉をマスターしている。 もちろん、彼の母語がスペイン語であるということは英語や他のヨーロッパ言語を学ぶ上で、非常に有利である。が、この点をさしひいても(ちょっと主観がはいる、すみません)、日本人のネックは発音と聞き取りだった。聞けて言えれば、どんな言語でも、その環境にはいって、適当に喋っているうちにマスターできる。 もちろん、そのプロセスのなかで精神を躍動する必要はある。あ、HEのときは動詞にSがつくんだなあ、、、と教科書ではなく、会話から学び取るのだ。そうして身に着けた文法は、ものすごく使い勝手がきく。 受験、ビジネス英語、文法、リーディングなどと細分化した英語の言説群。子供の英語とか、ホームステイの英語とかもある。目が回るほどである。ここまで細分化した理由はどんなにがんばっても、英語があまりに難しすぎたからではないだろうか。 喉で喋り3ビートを聞き、刻めば、音が聞こえる。音を聞きながら、自分自身の「頭」で文法を構築するのである。(もちろん、その構築の過程で、すぐれた言説であれば、英語のマスターを早めてくれることであろう。) ネイティブメソッドを学ぶことは自分の身体(口、喉、姿勢、脳)をマスターすることだと思う。

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見えるものと見えないもの

自分の身体(口、喉、姿勢)を知ることが英語喉である。簡単な問答から始めてほしい。 なぜ外国人(例 英語ネイティブ)の声は違うのか。 体つきが違う、、、とかそういうことではなく。日系人でも渋く、深い声を出している。女性でも、喉で除夜の鐘がなるような音を出している。 普通にまねしても、まねできない声である。 自分は、一体、どんな口、喉の使い方をしているから、あのような声を出していないのか、、、。 喉ブレーキの存在にきづき、認識し、それを操ってみる。無意識に操れるだろうか?喉ブレーキを使うより、実は使わないほうが、無意識状態だ、、、ということが分かってくる。リラックスしておればよいのだから。 ではなぜリラックスできないのか。 英語喉のマスターは頭のゲームである。 さて、読者からのメッセージで、こういうのがよくある。「私も、前からネイティブの声が違うと思っていたんですよ。」 意外に思われるかもしれないが、私自身は、一度も、外国人の声が違うと思ったことはなかった。喉革命が自分の喉に起こってから、はじめて認知した。今では、例えば、テレビで未開の地の原住民の言語を聞いても、すぐ、「あ、この言語は喉言語だ、、、」と瞬時に分かる。響きでわかる。 私にとって、とても面白いのは、私自身が一度も、西洋人の声が違うと思ったことがないことだ。喉革命以前でも、それなりに、英語をうまく喋っていたがために、通じたし、100%理解できた。 だからこそ、見えなかったのだろうか。 見えるもの 見えないもの 普通、知識が多いと、見えるものが多い、、、と考えるのが普通だろう。ところが、この場合は、知っていれば知っているほど見えなくものが大きかったということだ。 私は英文科だったし、英語を教えていた。だからこそ、見えなくなっていた。 西洋人の声が違うことさえ、一度も考えたことがなかったのだ。 今思うと、絶対に、信じられない。今は、右を向いても左を向いても、英語話者の英語が喉発音以外の何[者]にも聞こえない。 「裸の王様」という表現がある。見えないのに、見えると思い込んでいる状態だ。喉革命前は、英語の本当の音を知らないのに、知っていると思っていた。しかし、この状態以上に悪い状態に私はあったということだ。 英語を勉強していない人にとっては、当たり前のこと(外国人の声が違うこと)が、英語をよく知っていると思っていた自分には分からなかったのだから。 どのような表現、ことわざが当てはまるだろうか。 プラトンの洞窟の比喩だろうか? (わざと、プラトンの洞窟の比喩を説明しないことで、知っている人が「俺知ってる、、、」とちょっといい気分になりますよね。その修辞的効果を狙うために、ここで突然終わります。)

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