March 2008
我々にとって夢とはなんなのか
最近「エネキチ」状態である。エネキチとは、中1のときの親友が作った造語で、NHKきちがい、、つまりNHKを熱心に見ている、、、という意味だ。彼は「うちのおやじはえねきちじゃあ、NHKしかみんのんじゃ」というようなことを言っていた。「わしんとこもそうじゃ」みたいなことを言ったような気がする。彼とはTHEの発音がザなのかダなのかという議論もしていた。 外務省のバックアップで、アメリカのDCあたりではNHKをケーブル放送に加える、、、というふうになっているらしい。おかげで、日本の情報が毎日入ってくる。 先日は、登山家の三浦さんが、エベレスト登頂の快挙にからめて、「夢はあきらめなければかなうんだ」というようなことを言ってらっしゃった。今朝はスペースシャトルに現在乗り組んでいる日本人のかたが、「夢は大切にしていれば、かなうんだと実感した」というようなことをおっしゃっていた。 それを聞きながら思ったのは、夢として暖めていても、宇宙にいけない日本人は3千万人ぐらいいるだろう、、、ということだ。 頂点になった立場からいえば、「夢はみればかなう」と言えるだろう。ところが、ふもとからみると、全然かなわない。 夢を実現できるような社会にするには、個人が夢を見るだけでなく、制度が変わらないといけないと思う。試験や資格制度などで、落とす、、、という制度では、夢がバクチとなってしまう。何年も試験に時間を費やされ、落ちたらどうやって生活を保障してくれるのだろう。 (私は弁護士さんを日本で見たことがない。弁護士になるために勉強している人を図書館で見たことがあるぐらいだ。) ある程度の能力をしめせば、全員がなれるという制度に変える必要がある。じゃあ、質が落ちる、、、というかもしれないが、それは消費者としての国民のレベルで、質の悪いサービスを避ける、、、ということで対処するのがよいだろう。 NHKで医者がたりない、、、ということを聞いたが、なにか複雑な気持ちになった。なりたくてもなれない人がたくさんいたはずだからだ。 夢の実現のためには、個人の努力もいるが、ちゃんとした制度もいるのである。
国産ネイティブHさん UPDATE
http://www.kantalk.com/Recording/Play/ID/3754 国産ネイティブのHさんが、最近の音声をUPしてくださいました。いいですねえ。よくできています。 このレベルになると、聞き取りなど、どうなるか、外国人とのつきあいとかがどうなるか、紹介していただけますか。将来に仕事に関する考え方とか、人生観とか変わりませんか? ずいぶん前に喉前の録音がありましたが、あれはまだありますか?
信じることは現実になる
、、、わけがない。ところが、留学や進学をめぐるディスコースはこのような精神論で一杯である。 昨日、アメリカのテレビで「北の零年」という映画を見たのだが、このなかで父役の謙さんが、娘さんに「信じることは本当になる」といっているシーンがあった(http://d.hatena.ne.jp/haruo7/20060326)。また、あるメーリングリストで留学指導をしてらっしゃるかたの記事で、信じれることは現実になる、、、という内容のものを読んで、なぜか悲しい気がした。 信じても、現実にはならない。鉄が金にならないのと同じである。 もちろん、意図は分かる。勇気がつくだろう。そう信じれば。ところが、信じても現実にはならないのだ。 例えば日本で弁護士になりたいとする。信じても通らないのだ。3%しか通らない試験であれば、97%は落ちるのである。医者になりたいとしても、数字的に枠があれば、どんなにがんばってもだめなのである。 こういう勉強したら通った、、、という助言は意味がない。同じ勉強法、量をやっていても落ちた人がたくさん97%の中にいるからである。 「信じることは現実になる」という言説のカラクリは何なのだろう。 社会人、大人になると信じただけではだめだ、、、ということがわかる。自分にスキル、知識、経験をつけないと、仕事は終わらない。仕事ができないと、次のキャリアのステップに進めない。ところが、子供、生徒、学生に対しては、信じることは大切だ、、真顔で言ってしまう。 まずは機会を保障すること。点数による足切法(足、、、というより頭か?)はやめてほしい。ある一定の能力を定め、それに達していれば合格にするべきである。上位10%をとるというようなやりかたは、憲法の機会の均等の原則に反している。 だいたいその10%とか5%とかを決定している人たちは「何様」なのか。それでは社会主義ではないか。そういう方針を死守している人たち自身に、ぜひ、その人たちが守っている資格試験(弁護士試験など)を受けて、その結果を発表してほしい。 3%、5%、10%しか通らないというような試験の下ではがんばってもだめなのである。 そのような足切り(頭切り?)試験は、国民をお互いに敵とし、競争心をあおり、全然、建設的ではない。おまけに試験のあとは、その受験の知識があまり役に立たないというではないか。 手段としては、英語をやり、日本にいながら、ネットなどで海外の教育を受けたり、資格をとったりするしかないではないか。