March 2008

コメント

コメントをいただいていたのに、この数週間、ほったらかしにしてしまいました。ごめんなさい。ものすごい量のスパムメールで、400通ぐらいのメッセージに埋もれてしまっていました。 一つだけお答えするとFATHERとFARTHERはイギリス英語では同じに聞こえる、、、というご指摘。3ビートに分けると違いが分かりやすいです。 片方はFAR-THER、もう片方はFATH/THERです。微妙ですね。大げさに発音されているばあいは聞こえにくい違いでしょう。 ただ、イギリス人に実際に確認していません。もしお知り合いがおられるようでしたら、確認してみてください。 スパム対策として、文にhref=という単語が含まれていたら、削除されるように設定しました。スパムのメッセージにはこの単語が現れるからです。もし、普通に(いじわるでない)メッセージを送ったのに採用されなかったということがありました、ご連絡ください。

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カエルの合唱

話を始める前に、こんなことを紹介したい。アメリカで働いているので、英語ばっかりなのだが、たまに電話で会議をする。そのときに特に思うことがある。アメリカ人の英語が男も女もがまがえる、うしがえるのような声なのだ。ちょうど、広島の田舎の田んぼで夏にがーがーいっているカエルの声に似ているように思える。   電話の音声だから、喉発音のある特徴(びりびりした感じ)が強調して聞こえるのか?あるいは、電話会議の参加者は皆、相手が見えない。だから、大げさにしゃべらない?から喉に95%頼るのか???   一度聞こえ始めると、やはりカエルの合唱のようである。    ***   2年ほど前、人類学者2人(1人、日本文化研究をしているアメリカ人、1人日本人)に、しかられた。日本人でもネイティブと同じ発音ができるようになると言ったら、そんな必要はないと言われた。日本人には日本人の発音があってよい。世界の誰でもなまっているではないか、、、。   日本人の英語が聞きにくかったとしても、世界の人はがんばって聞き取らないといけないのだ、、、と。   喉発音のことを先に言うからいけないのかもしれない。わざと黙っておいて、3ビートから始めるのがよいかもしれないと思い出した。   英語にはシラブルというのがあり、例えばSPRING ROLLは2シラブルです。これを日本人は6シラブルで言うから通じないんです、、、と。   これは英語のカタであるから、これにまさかたてつく人はおるまい。日本人以外のほとんどの世界の住民(中国人も含め)が2シラブルでいう単語を、いや、私は8シラブルで通す、、、という人はいないと思う。   中国人の場合、確かに口発音であることは同じだが、シラブル(少なくともシラブルの数)は正しく発音しているのだ。さらに、中国人の場合、英語圏に長く住んでいると、喉発音になってくる人が多い。また映画などでも聞けて、理解できるようになる。だから、例えば米国のプロの世界には中国人がたくさんいて、当たり前のように英語を使いこなし、大活躍をしている(そしてその人たちが祖国へ帰りビジネス界で大活躍を始めている、、、日本人も喉と3ビートさえやれば、留学後、海外で仕事の経験をつむことができるのだが、、、)。   喉、喉、、、というと、人の癇癪にふれることがある。たかが声じゃないか、、、と思われてしまうからだ。実際は喉を始めるとよくわかるのだが、ネイティブ同士はウシガエルが鳴くような音で音を区別し、会話をしているのだ。ただし、喉をやる気が無い人には、ぜんぜん、こういう話は通じない。口だと思い込んでいるから、喉の音をけずって聞いてしまうのだろう。また、やはりネイティブ同士の英語を聞かないとこの音は分からない。   一度、喉のことは言わないで紹介してみようと思う。実際問題として、LとRができなかったり母音の区別ができなくても、3ビートさえできれば通じるからだ。   喉を先に言うと、馬鹿にされたような気になるかもしれない。だって、日本語の音は平たく、英語は立体的というと、価値的に英語のほうがかっこいいとかセクシーだ、、、という感じで、馬鹿にされているように聞こえる。ただ、これは主観的なことだ。平らな音のほうが、日本文化のコンテクストのなかでは、謙虚さ、誠実さを出しやすい(英語のコンテクストでは音の平らさ、というか、それに付随する「短さ」は不快感・怒りを示すので注意がいる)。   芸術的な観点から見ると、口発音のほうが手が込んでいる、、、ということを知っておいてほしい。高度なレベルのアートである。さらに、喋る相手との権力関係によっては、口発音度を高めるわけだから、またしても手のこんだ記号体系である。この芸術的に高度な発音法を私は誇りに思う。さらに、喉発音をマスターすれば、英語は英語らしく、日本語は日本語らしく話すことができる。二つを完全に区別し、それぞれの言語に誇りをもちながら喋ることができるのである。   逆に、喉発音は犬でも牛でもしていることだ。喉発音をマスターしたければ、覚えてきたこと、社会化されてきたことを一度捨ててみることだ。幼児のときは、皆、喉発音だったのだから。   人類学にはエスノグラフィーという手法があるが、これは、現地に混じり、現地の人の文化を観察する手法だ。口発音で西洋文化に入っていくと、現地の文化がわかりにくい。観察する相手が、観察者の喋り方に影響を受けてしまうのである。あ、この人は外国人だな、自分の文化を共有しないな、、、と無意識に思ってしまうのである。喉をつかって西洋という現地にはいるならば、それまで気がつかなかった西洋が見えてくる。

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チビ犬、デカ犬

今日はいい話をある人から聞いた。その人の息子の高校卒業式で、元軍人の大将がスピーチをしたとのこと。その軍人の名前はちょっと忘れてしまったが、確か第1次イラク侵攻を指揮したシュワルツコフだったと思う(違ってたらごめん)。  彼は二匹を犬を飼っている。一匹は20パウンドに満たないチビ犬。もう一匹はその10倍ぐらいある大型犬。  どう考えても、大型犬のほうが強いはずなのだが、チビ犬が完全に権力を掌握している、、、らしいのだ。  犬というのは、絶対的に、まずどっちが強いか、どっちがボスかを決定しないと仲良くなれない動物だ。  チビが、でかいのを下においているというのだ。  氏いわく、理由は、犬は鏡をみない、みても理解できないから、、だという。つまり大型犬は、自分がチビよりも、ずっと大きいこと、ずっとたくましいこと、、、などを知らない、、、ということらしいのだ。  さて、この話が科学的に本当なのかは二の次だ。この話には本当に学ぶものがあると感じた。私が勝手に感じているのかもしれないが、私なりの解釈を加えたい(そういう意味で氏がこの話をしたのかどうか知らない)。  我々も、人生を生きるなかで、人の制圧の下に屈してしまうことがある。学校でいじめられたりするだろうし、職場で不法にこき使われたりすることもあるだろう。  なぜ我々は人の権力下にやすやすと入ってしまうのだろう。なぜ不自由に対して打たれ強く、がまんするのだろう。  もしかしたら、我々は犬と同じように鏡を見たことがないのではないだろうか。つまり、自分自身を知らないのではないだろうか。  逆に、権力を身にまとい、いじめにかかる人たちは、そのメカニズム・からくりをよく知っているのではないか。つまり、普通の人たちが、自分を良く知らないということを利用して、他人の自由を奪うのではなかろうか。そして、弱い立場の人間が、自分というものを知らないように、さらに自由を奪うのではなかろうか。  我々が自由を取り戻し、尊厳を持って生きるためには、まず自分自身を鏡で見ることが大切じゃないか。もちろん鏡というのは、比喩的な表現だ。  自分がどんな性格か、どんなことが好きか、どんな子供だったか、などなど。  自分自身を知る、自分自身を理解する。これが自分を守り、自分のために立ち上がるために大切ではないだろうか。  喉は、自分自身のために立ち上がる人たちのために、英語という武器を与える。英語があれば、世界を市場とし、日本にいながらでも、自分を伸ばしていくことができると思う。  そんなことを、チビ犬、デカ犬の話をきいて思った。 

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