March 2008

イギリス人はイギリス人なりにRを発音している

久しぶりに大学時代の友人と話をした。まず電話をして、最初の声を聞いたときに驚いたことがある。   彼が喉で日本語を喋っているのである。電話口から聞こえてきたのは、平らな音ではなく、渋く、立体的な声であった。   彼は留学していたので、英語ができる。当たり前のように英語を喋っていたが、それは当時の私と同じだった。さらに私と同じだったのは彼がギターをやり、そしてロック(洋楽)を聴いて歌っていたということだ。だから、喉発音とか3ビートには、自然に接していた。   喉のことを聞いてもらったが、納得してくれていたようだった。彼はイギリス英語が得意なのだが、驚異的なことがあった。   イギリス英語ではRを発音しない、、、ということを彼が言った。これは事実上は間違いである。イギリス人がRを発音しないのではなく、イギリスのRが微妙でアメリカのRと違うということである。   ところが、彼がその例として、ある単語を発音したとき、、、まあここではCARにしよう、、、そのRの音が、イギリス人と同じで微妙なRだったということだ。   つまり、音声学の人たちが言うことと同じことを彼は言っているにもかかわらず、実演ではイギリス人と同じRを発音しているのである。そのくらいイギリス英語を自然に身につけているのだ。   普通の人がイギリスではRがないと思いこんでいる場合、こんな発音をする。   CA- (―は伸ばす記号、、、つまりカー)   ―(伸ばす記号)は日本語であり、英語にはない、、、という基本的な事実を忘れているのである。   ところが、彼の場合はこうだった。 CAR (RがちょっとHみたい、、、微妙だけど、Rが無いわけではない)。   イギリス人がRを発音しないというのは、アメリカ英語のような強烈なゲップエリア発音のRではない、、、というだけであり、イギリス人はイギリス人なりにRを発音しているのである。   だからこそ、例えばだが、イギリス人にCA(カ)を発音して、長めに伸ばしてくれと頼んだ場合の音と(つまりカー)、CARの発音は違うのである。   ま、とにかく言いたかったことは、この友人は、イギリス人はRは発音しないといいながらも、イギリス人と同じやりかたでRを発音している、、、という事実自体が驚異的だった。   話は変わるが、この友人は非常に才能のある人である。大学時代に自分で曲をつくり、録音し、独自のアルバムを数枚つくり、友人の間に配ってくれていた。そして、その音楽、ロックがものすごく良かった。全部英語だった。   ベルリンの壁の崩壊の前だったのだが、この壁を取り払え、しかし取り払っても何も変わらない、単なるギミックである、、、という曲などは、共産主義崩壊後もグローバリゼーションの中で、新しい富の差などの問題を予測していたかのごとくのテーマを扱っている。   もう一人の友人は、「私、最近、あれしか聞いてへんわ」と言っていたが、私も結構聞いた。   ギターもすごくできたのだが、よく即興のジャムをしたものだ。当時はあまり考えたことはなく、当たり前と思っていたのだが、めちゃくちゃギターがうまかった。私のスタイルはヘビメタの「はやびき」だったが、彼の場合は、イギリスのロックっぽいスタイルのギターを弾いていたように思う。   最近、私も、コード進行とか、音楽の記号体系にとらわれないプレイができるようになってきた。弾いていて、コードだとか、キーだとか、全く考えないスタイルだ。私はソロではそれが以前からできたが、伴奏などではまだコード進行を考えながら弾いていた。彼は、当時から、コード進行とかの記号体系にとらわれないプレイをしていたような気がする。    

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練習、暗記、準備の怖さ

我々はむやみにがんばりすぎていないだろうか。結局のところ、我々が(特に大人が)仕事や日常で使っているスキルというのは、仕事をしながら、経験のなかではぐくんだものが多い。   自動車の運転がまさにこの例だ。教習所で学んだことは1%ぐらいで、99%は体験でうまくなる。弁護士の仕事なども同じらしく、実践で学んでいく。   ところが、我々の学習文化には、あまりにも準備に熱を入れすぎているような気がしてならない。   英語学習がよい例だ。学習のための学習という感じで、実践の学習になっていない。   英語ができる立場から言わせてもらうと、やはり実践をこなさないと英語はうまくならない。とにかく会話を始めてほしい。   従来のやりかたは順番が逆なのだ。準備して準備して、結局、英語をマスターできずに人生を終えるという形である。   じゃなくて、会話を始めるのだ。そしてその会話で、あれ、あの単語、思い出せなかったなあ、こんな表現つかいたかったのになあ、、、とあとで後悔したものを、覚えていくのである。   従来のやりかたは逆になっている。単語、熟語を1000覚え、そして結局、その単語が使える瞬間を待っていたら30年ぐらいたっていた、、、と。   例えば、私は中学のときラジオ講座でLIVE UP TO ONE‘S EXPECTATIONという表現を暗記した。それから20年以上の時がながれたが、一度もその表現を使ったことがないのである。   「頻出単語」という考え方もあまりに甘すぎる。自分に必要な単語から覚えていけばよい。周りを見回して、チェックしてみよう。自分の持ち物の英語が全部言えるだろうか。通勤通学時に、その日起こったことを思い出してみよう。英語で言うとしたら、どんな動詞を使うだろうか。   自分を自分の先生とするのである。   喉や3ビートも自分のなかであみだしていこう。駅の名前など、ネイティブならどう発音するだろうか。あなたの会社の名前、ネイティブならどう発音するだろうか。喉はどうやったらうまくなるだろうか。究極的には自分の体であるから、自分でコントロールするのである。   毎日やらないといけない、、、とかそういうことはいらない。逆に、喉+3ビートがマスターできれば、毎日試してみたくて仕方がない、、、という状態であるのがベストだ。   どうしても分からなければ、喉と3ビートができている人を探して、直接教えてもらうということも可能なはずだ。   昔、中学生のころ、私がなんかの用事でギターを持って、広島市のキサダ楽器店に行ったのだが(当時、電車で1時間半ぐらいだったと思う)、家をでるときに、父が、キサダでギターの指導をしてもらってきたらどうか、、、というアドバイスをしてくれた。だから、楽器店にいったときに、店員さんに、「自分のギターを弾くのを聞いてくれと頼んで」、デモをした覚えがある。   そのようなことを頼む中学生はどこにもいないと思うが、頼むと結構教えてくれるのだ。ひとつには、誰もそんなことを聞いてこないので、聞かれるとうれしくなって教えてくれる、、、ということがあるのじゃなかろうか。   今、職場で高校だけ卒業したインターンの人がいて、私と同僚に統計ソフトのSASを教えてくれ、、、と突然頼んできたのだが、私たちはなぜか、ものすごくそのことを気に入って、ちょっとづつ教えてあげることにした。   「自分を自分の先生とするのである」ということを書こうと思ったのに、なんかずれてしまったが、まあ、できる人に直接教えてもらうことを頼み出る勇気というのは必要のように思う。   そういえば、昔、母もこんなことを言っていた。先生や大人には甘えてもよいのだ、、、というようなことを。   えらくずれたけど、まあ週末なので、このへんで。   とにかく、ひどく繰り返したりするこは、やめましょう。英語を使いはじめることで、何を知らないかを悟り、それを覚えていってください。   あ、日本の学校にいるJETの先生、ひましてるみたいです。昔JETで言ってた人が言ってたけど、生徒が恥ずかしがって、全然よりつかんかった、、、と。先生の性格もあるんだとは思うが、思い切って、会話の相手をしてもらってはどうか。

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がんばってがんばらない 留学編

留学に関する言説というのがあるのだが、これも基本的に英語をめぐる言説と同じ性質を持っている。   とにかく準備しろ、目的意識を持て、、、というものだ。   私は準備や目的意識はいらないと思う。少し入ると思うが、準備しすぎたり、目的意識を、日本にいるあいだに、持つと大損である。   だって、(アメリカ留学を設定として話をすすめるが)、アメリカに来て勉強するのだから、アメリカの地で、アメリカ人と同じやりかたで、どんなことを勉強するかを決めたいものだ。現地の人がやっているやり方でやらないと、現地の教育制度の優れている点を素直に吸収できないのだ。そのやり方とはアメリカに来てみないと分からないのである。   ある程度、身を運命に任せないといけない。   理由はある。アメリカの大学、大学院で教えられていることというのは、結構、その時代の要請を表している。その時代ごとに大切なことが、教授たちを通じて伝わってくるところがある。   私が以下に大学院の1年めを無駄にしたかをお話することで、話を具体的にしたい。私は日本において、「日本の高校のエスノグラフィー」をしたいと決めてしまった。そこで、日本にいるときから、いろんな本を読んでいたのだが、これも自己流の読み方で、やたらと難しい理論家ばかり読んでいた。お化けみたいな名前の理論家とかを読んでいた。フーコーとか。それが日本では社会学の勉強だと思っていたからだ(アメリカに来てみたら、そういうことはやっていなかったのでビックリ、、、社会学は死んだ社会学者を研究する学問ではなく、社会現象を研究する学問だったのだ)。   まあ、それはどうでもいいのだが、1年目はアメリカにいながらにして、日本の研究をしようと、日本に関係のあるクラスをとっていた。まだ日本にいるときに、日本のことを将来研究しようと、早くから決め付けてしまったからそうなった。   が、もう一つには、自分の知っていることのほうが、成績がとりやすいだろうという考えがあった(シカゴでは、大学生も一緒に大学院の授業をとることがあるんだけど、大学生のほうが、完全に当時の私よりも賢かったし、テストの点でも負けたので、愕然とした。まあ、それはどうでもよい。)   で、2年から、たまたま研究助手をする機会を得て、そこからちょっと変わったという気がする。でも、ものすごくがんばったというのではなくて、その仕事に必要だから、統計学をやってくれとか、SASというソフトウェアでプログラミングをしてくれとか、、、いうことになり、研究に必要なことをいろいろと勉強した。   で、ものすごく不思議なのは、就職のときに、そういうことができる人を探している、、、という感じでアプローチを受けたことだ。   で、考えてみると、背後にはメカニズムがあるのである。私は単に、言われたままやっていただけなんだけど、シカゴの先生の下でやったことは、今いる業界で、そのまま通用する、、、そのことには意味があるのだ。   だって、その先生も、今の業界も、皆が皆、NSF(日本でいうと、学術振興会とかにあたる、、、研究費をくれる)とかからお金をもらってきて研究しているわけだ。だから、10年前、先生のもとで学んだことが、今でも大切なのである。   つまり、大学も産業界も同じマーケットの中にあるのだ。   よく大学は井戸の中のかわずだというが、私が経験したアメリカの大学院は、業界と同じマーケットのなかにあり、マーケットエコノミーの論理が働いていた。だから私がぼーっと、先生の要請にこたえる形で、勉強していたら、いつのまにかたどり着いた、、、というわけだ。知らんうちに、統計学やら、科学的方法論なんかを勉強させられていたのだ。   で、就職してからは、今度は教育リサーチの世界では「実験」が主流になる、、、ということで、今度はそれが専門になった。なんか知らんうちに、、、でも今度は意識してちょっとがんばりたいと思う。で、気づくと10年前の方法論のアドバイザーの先生も、今、その実験の専門家としてすごく有名になっている。え、先生、10年前そんなことやってたん?というかんじだが、大学も、私のいる産業も同じマーケットにあるわけだから、教え子も先生も、10年後に同じところにたどり着いている、、、という奇妙だが偶然ではない。   で、周りの友人や同僚に聞いても、そんなもんで、誰も、「俺はこれになるぞ」と燃えてなった人はおらんようである。経験が経験をつみ、今の仕事に就いたという感じだ。   という意味で、日本で聞かれる留学根性物語的な言説を聞くたびに、あまり理屈をこねずに、留学するならするで飛び込んでくるとよい、、、と感じる。   喉をやれば英語は怖くない。喉で身につける英語力でやれば、大学院だって乗り切れると思う。   ただ、ある程度のお金と時間がいることは確かだ。これはなんとかならんだろうか。日米協定か何かで、日本人の学費をディスカウントするとか、そういう仕組みを作ってほしい。     言いたいことは一つである。   留学をする場合の教訓(自家製) 勉強をしにくるのである。準備はいらん。すでに勉強したことを勉強してもしょうがないのだ。言い方をかえれば、分からんから学びにくるのだ。それを来る前からあんまり準備してもしょうがない。   でも喉だけはやっといてね。

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