January 2009

自分の頭のなかで、こーかなあーかなと分析して、理解すると語学は、それほど難しくない(聞けて言えればね)。

今日は、朝、NHKをつけていたのだが、えらい異質な英語がきこえてくるのおと思って英語をしばらく聞いていて、ふと画面を見たら、国連総長がスピーチをしていた。国連総長は韓国人である。   以前だと、そう思ったとは思えないのだが、今はどうしてもそう(非常に違う英語に)聞こえてしまう、、、、遡ることができない。シラブルの構造が完全に違うために、ルービックキューブを解いているような気持ちがしてくるのである。あと深みがないので、あれ、今のLからRかなみたいな要素もある。   逆に、アラブの人とか、ヒスパニックの人が英語を喋っていても、なまりが気にならない。喉発音と3ビートが基本的に同じだからだ。こないだ、「デービッド」さんから電話がかかってきたんだけど、ヒスパニックなまりだった。かえって、そのなまりがあるからこそ、たくさんいるデービットさんの、どの人かが分かったので、便利だとも感じられた。   あと、イギリス英語っぽい英語を喋る日本人の英語は喉以前はよく聞こえた。CANTをカーント言ったり、HEREを鼻にかかった感じで、イントネーションをくねらしたかんじで、ヒヤと言ったりとか。喉以後に聞くと、イントネーションが凝っていても、基本的にカタカナ英語と同じに聞こえるから不思議だ。   BETTERを思いっきりベ*タ*ーというのも、イギリス?っぽく聞こえさすトリックとしてあるが、そりゃそうだ。べラーじゃなくて、ベターと言ったからといって、カタカナが英語には変わらない。   さて、ところで、あるところで次のようなことを言っている人がいた。   アメリカ人との会話では、喋らないと意見がないと思われてしまう、、、と。   喉パラダイムを経験すると、この発話の意味がよく分からなくなる。えー、どういうこと?みたいな。意見がないと思われているのではなくて、口発音と2ビートのために、「私は会話に興味がありません、相手にしないでください」と、無意識のうちに感じられているということだろう。   NHKの話にもどるが、相撲取りさんにモンゴル系が多いですねえ。で日本語がむちゃくちゃうまい。でもかすかに3ビートっぽくなっているところがあるから、カロウジテ、日本語ネイティブじゃないことがわかる。モンゴル語は知らないが、中国語に似ていて、3ビートにかすかに似ているようなシラブルが存在するのかな?   私の住むDCにはモンゴル人が多いが、英語の聞き取りや発音には全く問題がないようである。   今度NHKで発音講座があるというのを知って、サイトをみた。喉をやってくれたら解決すると思うのだが。   喉を批判している人だって、MA MI MUME MOを、できるだけ喉のほうで言うと、自然と、Mと各母音が離れることは否定できないよねえ。口でやるから、日本人は子音を独立して発音できないわけで。従来のやり方だと、体育会的に訓練すると、これが分離できるという考えなのだけど、そういうことではないでしょう。 小学校英語のほうも、喉なしに、出発進行しそうだが、喉なしの英語教育は無駄だと思う。何億円かけても、聞けない、言えないという状態だと、決して英語ができるようにならない。   文法だとか語彙だというが、聞けて言えないと使えない。逆に、聞けて、言えれば、実際の会話から文法を自分の頭の中で、構築していくことができる。自分の頭のなかで、こーかなあーかなと分析して、理解すると語学は、それほど難しくない。というか、そのほうが楽しい。   ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532       

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喉の踏み絵 2?

喉の踏み絵です。実践者がどれだけ喉をマスターできているかのテスト。答えはコメントのとこに書いておきます。すぐに見れないように。 皆さん、ネイティブの標準姿勢と呼吸をやってみてください。そのときに、口が開いていて(だらしなく)、そして口と鼻の両方で深めに息をしてくださいね(喉本の最初の方を参考)。 まわりに重たいものありますか?もちあがらないぐらいのもの。 それをもちあげようとしてみてください、、、、(よっこらしょみたいにね) 腰を痛めないように気をつけてね、、、 さて、どういうことでしょう。答えはコメントを見てください。

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天動説にさようなら 地動説よ、こんに
運転のパラダイムシフト 喉革命ににとるよ

最近、引越しをしているのだが、トラックを借りた。借りるときに、ネットでサイズ10を頼んだのだが(単位に関してはよく意味がわからないので、世界単位認定協会に今度聞いてみる)、言ってみたら、「うちには10が1台しかないんじゃ。もう貸してしもうたけん、16にしてくれ」と、レンタルカー屋の兄ちゃんが、「得したじゃん、10の値段で16のサイズが借りれるんじゃけん」と言った。   私はそのサイズ16のトラックを見たときに、その兄ちゃんにばれないかとひやひやしたが、実は、体がすくむような気がした。   これ、ダンプじゃんか。わしや、ダンプのウンちゃんじゃないじゃけど、、、。   体から全ての血が引くようじゃった。   え、、、これでアメリカの首都圏のフリーウェイをはしれーゆうんか。恐い。   まさに、断壁会尺泉水の思いであった。   *    注 時々、エッセイ派知識人(例 国家の品格の藤原氏や、博学の王者、渡部昇一氏)に対抗するために、勝手に熟語を捏造します。   とはいえ、出発進行。   実は以前の自分ではない。すでに書いたことがあるが、運転の仕方を変えていたのだ。その変化は英語でいうなら喉革命に値するものだった。   ダンプがなんだ、、、。   その新しい運転法とは(すでに述べたが)、道路にとらわれず、周りの車に当たらんように、運転することだ。   えー、どういうことか?と声が上がったのが、今聞こえたので、解説する。以前は、道路を見て運転していた。これは教習所で習ったやりかただ。さらに試験でもやった。   例 線からはみでんように、まんなかを運転する。 例 車線を変えるときは、まずミラーを確認、そして実際に見て確認、スピードを落とさずにさくっと、となりのレーンに進行。   新しいやりかたは、そういうことを考えず、他の自動車にあたらんぞ、ということだけを考えて運転すること。   これってでも実は、歩くとき、走るときにやってることと全く同じ。   これやっていると本当にうまく運転ができる。ありゃ、やばーと思う瞬間があっても、あたかも、相手の車も同じ原理を使っている感じで、すーと、問題が回避できる。   ツーカーの仲って感じで、危機が回避できるのだ。   前のやり方は試験とか自動車学校の庭での練習で学んだ機械的、線的、テスト的なやりかたで融通が利かないどころが危なかった。   道路上の表面的な情報ばかりに気をとられるもんだから、信号を無視してしまったり、とまれのサインを無視したり。ちょっと上のほうについてるからね。   でも、歩くときと同じ、走るときと同じ原理で、自動車を運転すると、すーいすーいと運転できる。   面白いのはね、前は、車線を変えるとき、こわくてスピードがゆるくなっとたんよ。無意識のうちに。そしたら逆に恐いんじゃ。後続の車がびっくりするけんね。   でも、新しいやりかただったら、自然とスピードがいいぐあいになるんじゃ。   結局、原理を学んだら、複雑だと思われていた現象が、いとも簡単にパズルのように解けたということじゃろうねえ。   またしても喉のパラダイムと同じじゃね。昔、リエゾンと言われとったものなんかは、喉でやってたら練習せんでも自然に、音がつながる、、、   それと同じじゃね。   あとねえ、おもしろいんじゃけど、最近、道にまよわんのよ。前は道路の表面的情報だけみとったというのと、あとどっかに行くときに、看板(サイン)にとらわれとった。道の名前とかね。字にとらわれとったんじゃ。そしたら、景色とかをみとらんから、よー迷う。   最近は、景色で自分がどこにおるというのを確認しながら走るけん、2回目からは、あんまり迷わんでも目的地に行きつくんじゃ。それから、知らんところでも、なんとなく、勘でいけるんよ。地理をダイナミックに理解できるんよ、景色とかを見てはしっとったら。 […]

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