March 2009
大発見ありました 山口大学にて紹介できると思います
現在、校正中でおそらく5月?6月?に出版となる書物で、ある*大発見*を報告することができそうです。 日本人が無意識にやっていることなんだけど、それが英語の発音を難しくしているということを発見しました。でもよく読むと、はっきり、くっきり英語喉にすでに書いてあるんですが、それを補足する形になります。 目の前に書いてあっても、それが見えないこともあるようです。 認識できなかったものが認識できるようになる。するとその後はいつでも認識できるようになる。 この発見に関しては、4月7日の山口大学での講演にて報告することになるのかな? 例だけ出しておきます。全然、関係ないことではありますが、認識しだすと認識しつづけるということの例。 日本人、いや、アジアの人達、日本人、韓国人、中国人などの顔ってある一つの特徴があるんですが、それが前は見えなかった。でも、共著者にあるときに教えてもらったら、それがいつも自分で認識できるようになった。前は自分の顔にある特徴なのに、見えなかった。 アメリカ在住で韓国の人とかで60代ぐらいの人は、結構、整形手術をしている女性が少なくなく、ちょっと見ると、白人か?ヒスパニック?と思うことが前はあったのだが、その特徴の存在を知ってから、全然、白人に見えなくなった。 そのことを共著者に教えてもらうまでは、白人は目が大きいとか、そういうことが特徴と思っていた。 ところがそのことを知ってからは、それが弁別的特徴に見えなくなった。それどころか、白人にも目が小さい人がいることが分かった。 その特徴とは、実は、アジア系でない人からみると、あまりに明らかで、我々アジア人がそれをあまり意識していないということを知るとびっくりすることだろう。 その特徴を知ってから、私はよい意味でアジアの連帯という意識が強くなった。へえー、やっぱり同じ地域の出身なんだよねえと。言葉は違っても兄弟、姉妹である、、、と。 さらに、自分に自信を持てるようになったかもしれない。自分は自分であると。 自分を知る、自分の文化を知る、、、-->自分、自分達を根本的なレベルで理解できるーー>自信につながる。 さて、今回の大発見、楽しみにしてください。またしても私の発見ではないですが。 また、どうひっくり返っても、誰もこれは知らないだろう、、、ということは確信できます。でも、繰り返しになりますが、英語喉にもう書いていることですし、それをやれば、問題はないことなのですが、別の角度からの知見です。 なぜ私自身が、喉以前でも他の人より英語が喋れたかということにも関係しているみたいです。 ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532
自分を知るということの大切さをしみじみと思う
最近、忙しい。なんでかゆーたら、アメリカでは(日本でも?)税金を申告する時期で、わしは、税金申告のソフトウェアを使って、書類を作成している。面倒なのだが、やっていて楽しい。一番、楽しいのは、実際に入れた数字などが、結果として書類に印刷されること。 で、その印刷された書類を見て、えー?なんでここはこうなるんだろう?と思いながら、確認する。 つまり、機械的に出される数字などと、自分の理解を連結させて理解を試みるときに、楽しいと感じる(これをAとする)。 どうしても理解できない部分があったりして、その場合は、税務署に電話する(これをBとする)。すると答えてくれる。電話をするのは結構面倒だから、好きとはいえないが、まあ、自分でやっているという感覚はよい。 BよりもAのほうが好きな作業だ。 思うにAは、まずNEATな部分がある。雑な情報を体系的にソフトウェアに入力すると、きちんと整理されて印刷される。このプロセスをああ、NEATだなあと思う。ユーモア作家のデーブバリーによると、こういうのを楽しむのは、男性の特徴なんだって。NEATなものが大好き。 Bは、相手が電話に出てくるのを待つのが嫌。面倒くさい。NEATでない。 それから、入力された情報の意味を理解しようとする部分もまあ面白い。税金の制度を理解したようなつもりになれる。乱雑に見える法律のルールに秩序があるんだと感じるのが面白い。 ある税金控除があって、それは、それが認められたら、おいしい、得した感じで、これって控除の対象かなあ、と調べていると、そのケースはダメと書いてあった。やっぱり、ダメか?と納得する。法律って、やっぱり、MAKE SENSEするように書かれているんだなあと感じる瞬間は面白い。 こういう作業を通じて、自分がNEATで、MAKE SENSEなもの(目から鱗的経験)が好きなんだと分かる。 自分を理解したような気持ちになる。 こういう経験が、職業選択の決定をガイドしてくれるとよいのではないだろうかと思った。選んだときに、やる気にあると思う。 ところが、こういう職業につきたいと思っても、それにやたらと難しい試験などがあり、暗記科目があると、突然、やる気がなくなるだろう。 試験制度があまりに大きくなると、実際の競争プールが狭くなる。本当に才能のある人がドロップアウトしてしまう。 社会へのコストはあまりに大きいと思う。 今でも思い出す。大学生のとき、外交官ってどんな仕事かなあと思って、本屋にいったら、内容じゃなくて、その試験の内容でやる気、準備する気を失った。 以前、アメリカで就職コンサルタントを受けたことがある。そのコーチによると自分が何が好きで何が得意なのかを知る一つのテクニックとして、子供のときに何が好きだったかというのを考えるとよいといっていた。 もう一つ関心したテクニックがある。それは、プロジェクトがあったとして、自分が 始めるのが好きか? 中間が好きか? 完成させるのが好きか? というのを考えるといいんだって。始めるのが好きな人はBUSINESS DEVELOPMENT系が得意。何か新しいことを考えて、企画にする。中間が好きな人は、なにかの作業をして、実践的に仕事を終わらせる。最後のは完成させるのが好きな人。これは特別なエネルギーが要る段階だが、これはなんていってたかなあ? 自分は中間が好きかもしれない。税金の書類をつくるという段階自体を楽しんでいるので。また本業である統計分析でも、実際の統計モデルもよいが、その統計モデルに合うようにデータを作っている過程が好きだ。実際、プログラミングでやるとき、統計モデル自体は5行ぐらいで終わるが、それに入れるデータを作るのに1メートルぐらいのプログラミングをすることがある。これが結構、スキル、経験、その分野の理論的理解を要求されるので面白い。大学院の授業では教えられない部分だ(大学院の授業は逆に実際には5行のプログラミングで終わってしまう部分を勉強する)。 本を書く上では(例 英語喉)、自分は最初のところと、中間が好きだ。最後のところは大変すぎる。編集者さんやデザイナーさんなどは、最後まで仕上げて、それが市場に回らるのが仕事かな? ちょっと最後、乱雑になったが、企画というものがあり、その企画の段階の3つのなかで自分が何が好きかを知り、そして、その好き嫌いによって、自分がどんな職業をしたいかを決定する(のを助ける)ような考え方は面白い。 ただし、このテクニックは、人々が多くの企画を経験していて初めて使えるテクニックだ。最近、大卒で就職できない状態が10年以上続いているのは痛い。企画を経験しにくいからだ。かわりに、学校で企画を色々とやったほうがよいのかもしれない。 いや、このさい、自分で企画をやってみるのはどうか。とにかく今月何かをやって1万円作ってみよう(本業の外でね)、、、と言う風に目標を決めて、それを達成するための企画を練ってみる、、、ってのはどうか?それに取り組む過程で、企画を経験することになる。学生とかだったら、やりやすいかも。 さて、結論だが、自分を知るということはよいことだ。そのテクニックとして、上に書いたこを紹介した。このテクニック(子供の時に何が好きだったかも含めて)を使って自分探しをすると、面接に言っても自信を持って答えることができる。質問に。自分が何か好きか、どんなことにやりがいを感じるかを深く考えた後だからだろうか。 ブログの人気投票です。 http://blog.with2.net/link.php?709532
講演*予定* 於 山口大学(山口市キャンパス) 4月7日 4時ー5時半(予定)
山口市、山口大学にて、講演をさせていただくことが予定されています(どうもご尽力ありがとうございます)。また詳細はお知らせしますが、 4月7日 (火曜日) 4時ー5時半(予定) 山口大学 山口市キャンパス タイトル(仮) 新しい英語学習パラダイム 「英語喉」発見のきっかけとしての「疑問」と「観察」 なぜ英語ネイティブは声が違うのか? スピーカー 上川一秋 とジーナ・ジョージ 詳しいことはまたお知らせします。