October 2009
ナヅケテ ジョンホール英語練習法
同志社大学の英文科でジョンホール先生に英作文を習ったのだが(もうずいぶん前にアメリカに帰国されているが)、夏休みの宿題は、とにかくノートに日記を書けということだった。とにかく大量に書けということだった。書きまくった。あれはよい練習だったので、ちょっと紹介する。コンピュータ上でワードを使ってやるとよいのではないかと思い、ジョンホールメソッドを応用してみた。 MIXIでこちら http://video.mixi.jp/view_video.pl?owner_id=4672939&video_id=7906989 三羽チャンネルではこちらにUPしていただきました(どうも!) http://www.youtube.com/user/Sampa4626#p/a/u/0/WGYsEdZS-OE
ローティさんの最近のBLOGについて 戦争のこととお墓参り
ローティーさんのBLOGで、昭和天皇の戦争終了宣言を見て、それを普通の言葉に訳したものをみて、なんらかの、納得がいった。何かがよりよく理解できたわけではないけれども、やはり普通の言葉で理解するのは、よい。 http://littleinvestor.blog21.fc2.com/ ローティさんも言っているが、そういえば、私が小さいころ、いや高校のころまで、戦争を経験した先生達がいた。ローティーさんの場合は、東京の空襲のことだそうだが、私の場合、軍隊で靴で気をうしなうまで殴られたという経験を話してくれた数学の先生がいた。もう痛みも感じなくなるそうだ。当たり前かもしれないが、これは、敵兵になぐられたのじゃなくて、同じ軍の上官になぐられたということです。 原爆だって、おばあさんが、光を感じたといっていたと思う。こないだは、父がB29の思い出を少し話してくれた。 ワシントンDCでは、今でも戦争の思い出が生きていると思う。色々と記念碑がある。硫黄島の碑とか。パールハーバーの衝撃は今でも生きているように思う。博物館でも色々なところに、パールハーバーや、神風特攻関係のものがある。当たり前だが、アメリカ人にとっては、ものすごい恐怖だったようだ。 私がうなされるのは、おじいさんの弟さんで、20数歳で戦死したかたのことだ(ここでは「おじさん」と呼ぶ。厳密にはおじいさんの弟さん)。パプアニューギニアという場所にて戦死。 大昔、聞いたのだが、ラッパを吹いたらしい。私はギターやら音楽をするので、もしかしたら、DNAで濃くつながっているかもしれない。このおじさんのことは何も知らないのだけど、どんな気持ちだっただろうかと思う。 このあいだ、墓参りに行って、気づいたのだが、このおじさんの墓が非常に立派なことに気がついた。それも、戦争後、何十年もたって立てられていた。私のおじいさんが建てたものだ。おじいさんは農業と「とおじ」さんだったので、お金はなかったはずなのだが、私の感覚では立派な墓だ。 きっと、弟に立派な墓をたててやりかったんだろうなあ、、と思う。 おじいさんが、30年以上前、夜に私と一緒に歩きながら、こんな歌を歌っていた。現物の歌はあまり聞いたことがないので、歌詞は、おじいさんが歌っていたので覚えたのだろうか。 わかれることは つらいけど しかたがないんだ きみのため わかれに ほしかげのワルツを歌おう 冷たい心じゃないんだよ、、、<と続く> あれは、戦争で死んだ弟さんに歌っていたのではないか、、、などと思えて、うなされることがある。 そんなことを、戦争後、何十年もたって立てられていたお爺さんが弟のために作った立派な墓をみて思った。 父が、墓参りが大切だといつも言うのだが、意味がよく分かったような気がした。 おじいさんが死んで33年になるので、来月は法事だそうだ。父の兄弟姉妹が集まるそうだ。
英語喉がいつスタンダードになるだろう、、いや、大きなことを考えるのはやめよう。
あせってはいけないとは思うのだが、早くスタンダードになってほしい。2年前だったかな、ある団体の代表の人に紹介した。その団体の会員のかたに紹介してもらうということで。でも、まあチャンスがなく、この話は終わったのだけど、その2年間ですでに日本に帰られた人もいるだろう。もし、2年前ぐらいに、速攻で指導させてもらっていたら、そのかたがたの、在米生活はどんな2年になっただろうか。残念だ。 これから費やされる英語教育に関する費用が、喉発音、シラブル(3ビート)なしには、全く無駄となるのが残念だ。鳩山内閣は無駄を無くそうとしているわけだが、英語喉をまずやってもらってから、何億円もの教育投資をしてもらうと、その投資が身となり肉となるだろう。 聞けて言えれば、外国語習得はそんなに難しくない。動詞にSつけるとか、EDつけるとか、そんなに難しいことではない。実際問題として。 いや、大きなことを考えるのはやめようかとも思う。