November 2009
見えないものと見えるもの 物まねのうまい声優さんがNHKのバラエティーに出ていたが、、、
アメリカでも20ドル余計にはらってNHKが見れるようにしているのだが、毎日やっているNHKのバラエティーショーで(インタビューの女性はとても話が上手です)、物まねの人が登場した。彼は声優さんみたいで、色んな声とか音が出せる。 彼が色んな声をやっているあいだ、私に見えたもの(VISIBLE)がある。前は見れなかった(INVISIBLE)。 それは、彼の喉というか首がごくんごくんという感じで大きく動くことだ。多様な音を出すために、彼は喉を駆使しているのである。それも、リラックスさせることで、うまく音を響かせいる。 口発音時代には、INVISIBLEであったことだ。今見ると、どう考えても首が気になる。 LとRの発音が英語喉やキカンジュウエイゴをやると、瞬間的に聞けるようになるのも、それまでINVISIBLEというか、気にしていなかった首のほうのごろごろ音に、注意するようになるからである。 さて、そのNHKの番組の最後のお葉書コーナーで、「国語の授業での朗読がどうやったらうまくなりますか」という質問が出た。 その声優の人はこういった。 1.声を大きくすること 2.感情を込めること 彼は本気でそういっているだろうか?なぜ 喉をうまく使うことですよ とアドバイスしないのだろうか????????????? 自分が喉をうまく使っていることを意識していないからだろうか? いやそれは不可能に思える。 やはり、それを言ってしまうと、仕事上での競争が激しくなりすぎるからではないだろうか?だって、誰でも多様な音を出せるようになると困るではないか。 そういうことはたくさんあると思う。例えば私でさえ、HLMという統計学のモデルを使っているのだが、普通の人々がHLMを知らないからこそ、私が仕事ができている、、、と感じることがたまにあるからだ。 いやまじで。 しかし、これからの時代、お互い分かっていること、知っていることを分かちあいながら、協力しあいながら、社会全体をよくしている可能性をさぐるべきではないだろうか? そのためには、個人個人が自分を知る、自分が得意なものを知るというのが大切なのではないかと思う。 そういう意味でもやたら練習しろとか、こつこつととかいうアドバイスはそろそろやめたほうがいい。こつこつやって、で、できたんかい?と自問自答してみるべきだ。で、自分ができていないなら、そういう考えはやめたほうがよい。自分ができているならば、「無理して努力したか?」あるいは「なんらかの簡単な要領をつかんでいて、楽しいから続けたのか?」を問うべきだろう。 *** NHKニュースのアナウンサーの声を聞いていて思うことがある。それは、日本語でアクビエリア発音をしているということだ(口発音+アクビエリア発音)。つまり日本語のプロであるはずのアナウンサーが、日本語特有のしゃべり方ではなくて、ちょっと違った発声法でしゃべっているということだ。 これははげしくアイロニックである。 日本語を正しく発音しない人が、日本語を読むプロであるという点が非常にアイロニックなのだ。 アナウンサーは特に語尾が喉発音になり、びびびというかんじの音になる。 そんなことを無意識のうちに実践できるものだろうか??????
箱の外に出て考える 技能社会主義の薦め
箱の外に出て考えよというような言い方があるが、決まりきった見方ではなく、新しいものの見方をしてみようということだ。 喉革命以来、新しいパラダイムのお陰で、何か、新しい考え方がしやすくなったような気がする。特に、教育実践の言説において色々考えることがあるが、なぜか喉パラダイム以降は、比較的だが、新しい見方ができるように思う。少なくとも、いや、違った見方があるのではないかと思うことができる。 この数年で色々ないちゃもんをつけられてきたが、一番、腹がたったのは、発音とか聞き取りの分野のことではなくギター演奏のことであった。 私は、自分自身のギタープレーと、他のアマチュアとのギタープレイを比べて、とても、違うと思うことがある。 それは、他のアマチュアの人達は、ソロをひくときに、ギターのネック一生懸命みながら演奏しているということ。それに比べて、私は、ほとんど見ない。見る必要がなぜあるのか、全然分からない。昨日も、明日も、もちろん今日も、ドの位置はかわらないのに、なぜいちいち、人はネックを見ながら弾くのか。これがよくわからなかった。 ところがあることがきっかけで、なぜ殆どのギタリストが見ながら弾くのかが分かった。 それは、ソロ演奏のとき、普通の人は左手の指を3本しか使わないからだ。これは愕然とした。どう考えても、ソロを引くのに、使える指は、4本だ。なのに、普通のアマチュアは3本しか使わない。 3本しか使わないとフレットのところ(左手で押さえるとこ)が非合理的なシステムに見えてしまう。普通のソロには、だいたいだが、一弦につき4箇所押さえることが普通だが、私は4本使っているので、単に指を、そのまま「おろすだけ」だ。例えば、5、6,7,8フレットめを弾きたければ(注 これは左手です。弦を押さえるほうです)、 5=人指し指 6=中指 7=薬指 8=小指 だ。ところが3本しか使わない人たちは、この関係が成り立たない。その場、その場で決定しているのであろう。だから、鍵盤?いや、ギターのふれっとを熱心に見ないと演奏できないのだと思われる。 3本しか使わないのは、きっとギターソロの練習をやり始めたときに、小指の力がなく、そのままで練習しつづけてかたまったしまったということではないだろうか。 4本使っている私にとってギターのフレットはコンピュータのキーボードと同じだ。ブラインドタッチで、いちいち見る必要はない。そりゃ、大きく、弾く位置を変えるときは、ちょっと見るよ。ちょこっとね。 ジミヘンが、ギターを背負って弾くとか、歯で弾くとかいうことをしていたが、それは私だって当たり前のように出来る。それは、4本の指を合理的に使っているので、見なくても弾けるからだ。 さて、何が腹がたったかというと(ずいぶん前の話だ)、自分はなぜギターソロが結構、速く、そしてスムーズに弾けるのかと自分を観察したところ、その理由は、ある音を弾くときに、次の音へ行くのを予期しておいて、遊んでいる指をすでにそこにおいておく感じにするのだ。おくというより、手はべったりとギターのネックの上にあるのだから、そんなに大変なことではない。あ、それから、例えば、ある音を弾いても、それに使った指をいちいち離さないで、ちょっと浮かせた感じで、その場においておく。そうすると、指が自由自在に音をとらえることができる。(以前、いとこが遊びに来たとき、ギターソロをCHOPPYに弾いていたので、このアドバイスをするととたんに、流動性が増したように思った。) まあこれは、英語発音で言えば、3ビートである。音を個々に切りながらしゃべるのではなく、流動性を大切にしながらしゃべるのと似ている。 そこで私は、ギター学習者に、この奏法を説明したのである。MIXIにおいて(http://c.mixi.jp/kazguitar)。 すると、えらそうな人が、「そんな奏法は役に立たない」と馬鹿にしきったのだ。なんと、えらそうなと思って、その人の演奏を見ると、3本の指しか使っていないのだ。 そりゃそうだ。私が薦める奏法は3本指ではできない。4本使ってはじめて使える奏法なのである。3本指で、次の音を意識しながら弾くのは難しい。地獄のようなトレーニングなしには上達しないだろう(私は、中学3年ぐらいで今のレベルに達していた。4本指を合理的に使っていたからだと思う、、、キサダ楽器の先生にならったのだ。)。 3本指しか使っていないから、私の勧める奏法ができないのに、それに気づかないで、人を馬鹿にする。 これこそが、箱の中にこもったままでの思考だ。やっかいなことに、その人は3本指でも、それなりに演奏がうまい人だった。だからこそ、4本でギターソロを弾くなんて考えたこともないだろうし、また自分が3本しか使っていないなんて、意識にもないだろう(3本で弾くより、4本で弾いたほうが楽に、また合理的に弾けるのだが。音がスムーズにつながるのでエコーなどをかけてごまかす必要もなくなる。)。 見ること、観察すること、やってみること、オープンマインドを保つこと、、、などなどが大切だと思った。 殆どのアマチュアが3本指奏法なのだから(コードのときは違うと思うが、ソロのときね)、え?4本使えるの?なんて、天動説から地動説的なのかもしれない。え、見なくても弾けるの?ってのも地動説的かもしれない。 箱の外に出て考えたいものだ。 さて、皆さん、人は色々と特技があると思うのだが、なぜできるのか?というのを観察とオープンマインドによって解明し、それをともに分かちあうということをしてはどうだろうか、、、つまり技能社会主義というのがよいのではないか? 脳がどうのこうの、天才がどうのこうのというのは全くこれと逆の流れだ。また、とにかく「がんばれ」とか毎日練習せよというのも、あまりに精神論的すぎる。やたらと資格制度をつくったりするのも、試験問題を作る人の仕事・ポジションを作るだけのように思える。 誰でも何かができるはずである。 そして、その「なにか」を人は、楽にやっているはずだ。そして、なぜ楽にできているかを考えると、それが誰でもできるようになる方法も考えられるはずである。
シャインという恐怖映画を見た
アメリカでは、ハロウィーンが近づくと、恐怖映画をかなりテレビでやります。 ハロウィーンは先週でしたが、うちにも、4組ぐらいトリックORTREATで来ましたよ。小さい子が当然親連れで。 先週、シャインという映画を見ていたら、子役のダニーが悪魔か何かにのりうつられたような感じでしゃべる場面で、指をくいくい、と動かしながら話すのですが、その指の動かし方が、シラブルのボンボンと同じだったので、笑えました。子供でもシラブル分割が簡単にできるのですが、それは日本の子供がひらがなごとに言い返すことができるのと同じことです。 英語のシラブルが難しそうに思えるのは、綴りと発音が一致していないからでしょうが、ネイティブの子供にとっては全く難しくありません。だって、書いたり、読んだりするのは、小学校にあがってからです。読み書きもできないネイティブの子供にとっては、シラブルのリズムは当たり前のことだし、それを感覚的に聞き取って意味を理解しているのです。 シャインの映画ですが、17秒目あたりを見てください(画面の下のほうに秒が出ます)。 http://www.youtube.com/watch?v=Gf7h6o3I8yw&feature=rec-LGOUT-real_rev-rn-HM あ、そういえば、BINGというネットサーチエンジンのCMにも(アメリカの)、シャインのパロディーが出てきますが、それでも子供が指をくいくいと動かしてしゃべっている場面があります。始まってすぐ、一瞬のところで出てきます。 http://www.youtube.com/bing#p/u/1/DWHWjLoVrg0 「ダーリンは外国人」という漫画の中で、外国の(英語の?アメリカの?)コメディは面白いと思えないというようなエピソードが紹介される(日本人著者の感覚で)。 アメリカのコメディーやパロディーは、アメリカの文化をある程度知っていて、笑えるというところがある。例えば、この後者のコマーシャルで笑えるのは、シャインという映画を知っていて笑えるということがある。特に、アメリカ人は、鬼のように映画を見まくる国民であるので、その知識があって、いろんなコメディが分かるということがあるのではないか。日本のコメディでも同じだろうが。 あと、喉をゆるませてアメリカのテレビを見ていると、思わず、げらげら笑ってしまう。リアクションが喉を通じて大きく出てきてしまうのだ。