October 2010
誰をお手本にするのか?私が大学1年生のときの思い出
同志社大学にまずESSに入部した。おじさんが大学時代に立命のESSで活躍したと聞いていて、父が薦めてくれたので、じゃあ、入ってみようかと入ったのが、これがものすごい大所帯。 なんと当時、一回生だけで100人近く部員がいた。だから、たくさ~んの友達ができた。 で、昨日、ふと思い出したのだけど、そのときに、誰から刺激を受けたかというと、高校時代に1年留学をしていたという人達だ。同級生もいたし、先輩もいたし、後輩もいた。 ESSに大集合していたのだな。 帰国子女もたくさんいたけど、彼ら、彼女らは、もう英語ができるので、ESSには入らないし、またなんというか、同志社国際高校とかから来ているので、社交の範囲が違って、一緒に遊んでくれない感じだった。リッチな感じもした。バブリーの時代だし。 さて、その当時、たくさんいたのだ。高校のときに留学をしていた人達。彼ら、彼女らは、本当に英語がぺらぺらだったし、さらに、留学のときの話などをしてくれた。 アメリカで彼女ができたとか、モンタナで誕生日の日に、校長先生に呼ばれたのでなんかいなと思ったら、全校生徒が総出で、サプライズの誕生会をしてくれたとか、苗字にSHITという文字があったので、クソと呼ばれたとか、、、ニュージーランドではこうだったとか。 AYUとか、YAUかなにかYの入った名前のついた高校留学の制度ってある?それで行った人だったと思う。 そ~んな面白い話をたくさん聞かせてくれたのである。 本当にありがとう!と思う。 確かに、英語がうまかったし、あ~、なるほど、この人達のように1年ぐらいいけば、なんとかなりそうだ!という希望も与えてくれた。 その人達と一緒に、また普通の他の学生と一緒に、ランチのときに集まって英語を喋る練習を毎日か、あるいは一日おきかな?にしていたのです。 でも、しかし、やはり歴史的なものもあったってことだと思う。当時、日本の経済がよくなっていって、高校留学を経験をしていた人口が増えていて、そのことの恩恵に授かったわけだ。 戦後、大変だったと思うけど、私達のお父さんやお母さんの時代が、経済を築いてくれたわけです。 でも、今、逆に、多難の時代になっている。 それは、英語ができないのに、英語について語りすぎる言説があり、それらを聞いていると、本当に英語ができなくなるのではないかと心配する。 語彙を増やすのは良い。文法を勉強するのはよい。 でも、じゃあ、どれだけそれらを使って英語を喋ってますか?使っていますか? 私は、その高校時代に留学している人達があまりにカッコよかったから、自分もどんどん英語を使ったわけです。 またESSの普通の部員やら先輩だって、貪欲なほどに英語を使っていたわけです。 そのときに、断じていえるけど、 Rのときに唇を丸めろだとか、口を大きくしてこの母音を発音しろ、、、なんてことを言っていた人は、一人もいなかった。実際、ネイティブはそうしていないのだから、そもそもそんなことをするという感覚がなかった。 なにかが、80年代から今の間に変わったのだと思う。 こないだ、高校の国語の教師をしている私の級友で、広島県で賞をとったほどの実力者の友人が、こういっていた。最近の子供は、情報が多すぎて、どれを選んで良いかわからない状態になっている。 やっぱりそれ本当だ。 80年代は、日本人は、英語に直接関わっていたと思う。しかし、21世紀となり、なにか変だと思う。 私の勘だが、おそらく80年代は、私やASHURAさんやZENさんや長崎の雨さん、天満さん、RONさんなどのように、英語ができる人を生んだけど(まだいるはずだ、連絡ください)、どうがんばっても、英語ができなかった人も生んだのだと思う。 口発音で2ビートの場合、その人達のほうがどうしても多いわけで、その一部の人達の言説が、ネットやら本やらで、勉強法論を席巻してしまったのではないだろうか? そうしたら、英語は議論さえできればよいとか、日本人なりの英語があってよいとか、色々な意見が出だしたのではないだろうか?? だから、勉強方法ばかり一人歩きをしてしまっているのではないだろうか? もっとシンプルに聞くべきである。自分に。 今日、誰かと英語喋った?昨日は?じゃあ、3日前は? それだけだ。 実は、このやや悲観的なエッセイを書いたのは、英語圏に3年いるのに、日本から英語教材をとりよせて勉強しているというBLOGの人を読んでかわいそうでならなかったからだ。英語圏にいるなら、本当は、そこで喋って、使えばよいのだが、、、。 英語喉送るから、連絡先教えてくれ。 この時代、本当に、私は心配する。なんと日本にいるネイティブでさえ、日本人が英語を学ぶ前に、彼らの日本語がうまくなり、日本人の日本語英語でさえ、理解してしまうという世紀末状態である。 英語の勉強環境は悪化しているのではないか???? アドリブ英語で、今日のテーマを喋ってみました。 www.estat.us/blog/ess.mp3
ノーベル賞受賞者の言葉から思ったこと
さて、昨日、ノーベル賞の受賞が日本で二人というニュースを聞き、NHKをぼ~と見ていたら、受賞者の一人のかたが、 数学は、答えが一つなので、好きだった ということをおっしゃった。私はこの言い方は、これまでに何度も聞いてきたが、いつも腑に落ちない思いをしていたが、今やっと分かった。 中学、高校で私が英語を好きだったのは、まったく同じ理由からだったのだ。英語だと、答えが一つしかなかった。国語もそうだし、社会もそうだ。 中学、高校で教えられる知識というのは、 文系科目においては、答えが一つしかないのである。 理系科目においては、答えが一つどころか、答えにたどり着けない。 これは、ノーベル賞のかたと全く逆の印象を私が持っているということになる。しかし、私の印象は正しいと思う。だって、例えば国語をとってみると、いつも答えは一つしかなかった。漢字の読み方、代名詞「それ」の指すものはいつも一つしかなく、試験でも、答えは一つしかなかった。 一方で数学においては、答えが一つどころか、そもそも、答えにたどり着けないのである。難しすぎて。今、私は、たまたま、高校の数学の教科書を持っているが、その1ページをスキャンして、ここに貼り付けれるものなら、貼り付けたいのだが(時間がない)、断じていえることがある。 その説明からは決して、答えにいきつかない。説明が難しすぎて。 だから、数学を勉強して、「答えが一つだから」とか、「明快だから」という印象にたどり着いたというノーベル賞学者の方に真顔で聞きたい。 一体、私と先生では何が違ったのですか?と。 このBLOGをお読みのかたのなかには、理系のかたがたくさんいるはずである。だから、ノーベル賞の先生に代わって答えていただけないだろうか? 私は田舎だから、数学の説明が難解だったのだろうか?塾に言っていたら、明快に教えてもらえたの? 謎は深まるばかりである。 ちなみに、私はこの10年ぐらい、アメリカの教育改革の評価の仕事をしていて、ずいぶん前だけど、アメリカ人の中学生相手にフォーカスグループインタビューをしたことがあるが、アメリカ人の生徒には数学が好きだというのが多い。 これは私には信じられなかった。え~~~~数学が好き? それってどんな感覚??? 昨日も、テレビでPRECIOUSという映画を見た。これはお勧めしたい映画だ。その主人公は、とても大変な環境にある女の子なのだけど、数学だけは好きだという。 しかし、私は今、統計とかデータ分析の仕事をしていて、関数をよく使うのだけど、結構、楽しいときがある。あるいは、仕事で、ユークリッドの公式を使ったことがあるのだけど、これも楽しかった。 その理由は、数字を入れたら、明快に答えが一つ出るからだ(統計だと、出てきた数字が、信頼が置ける数字かどうかまで出る。さらに、その信頼を示す数字が信頼が置けるのか、、、というのも、分かる。冗談みたいじゃけど、本当だ。)。 ありゃ、これは、ノーベル賞受賞者のかたが言っているのと同じではないか? しかし、中学高校と、私は数学の授業でそんなことを思ったことがない。根本的なところで、関数が何かが分からなかった。 でも、関数ってエクセルでやればグラフみたいになるやつでしょう?数字入れたら答えがでるやつでしょう? でも、広島の田舎で数学をやって、まさか数学とはそんなものだとは思わなかったぞ。 XとかYを入れ替えて、色々となぞなぞみたいにするもので、得意な人にしか出来ないものだとおもっていた。 まさか、そんな面倒なことを好きな人がいるなんて想像もできなかった。 一体何じゃ、こりゃ。誰か説明してくれ。 今は、思う。 証明せよ、なんて問題があったが、手も足もでなかった。しかし、今は思う。先生よ~、あんたら、別に、なんか数学の発見したわけじゃないじゃろ。じゃあ、証明とか、もうええじゃんかよ。誰か、えらい人がもう証明しとるんじゃろ。それをなんで、ワシらが再証明する必要があるわけ?なんか頭がよくなるん? それより、実際にエクセルとか使って、どうやって数学を使うのか?を教えてくれたら、意義がよく分かるし、また、じゃあ、証明もやってみようという気になるんじゃない? ** さて、最初のほうで、文系科目でこそ、答えは一つと言ったけど、これ事実上、本当ですよね。社会の試験受け手、やっぱり、答えは明快だ。しかし、ここに根本的に問題があると思う。教科書で事実を覚えるというのは、時代おくれじゃろう。1年かけて講義せんでも、1、2週間かけて、自分らで教科書よみゃ、終わることなんじゃないん? もっと面白いことしたほうがええにきまっとる。 生徒も生徒で、お前ら、聞いたふりしとるじゃろ? 先生のほうは、これが試験に大切ジャと思って講義しとるんじゃけど、生徒はそれ聞いたふりしてぼーとしとるだけじゃと思う。 わしがそうじゃった。 でも、なかに先生をよく見て、うなずいたりするやつがおるんよ。きいとらんのに。 ワシが張本人じゃけど。 *** 最近、ジムでいろんな運動をしていて思う。なぜこれを体育でやらなかったのかな? 歌を歌っていて思う。なぜ、歌唱法の指導がなかったのかな? 疑問だらけだ。 これって広島の田舎だからか? いや、同志社の体育の授業だって、卓球をとったけど、ただ単に、卓球で遊ぶだけだった。 同志社の英文科の授業だって、購読と称して、ただ単に訳すだけだった(例外はある)。 う~ん、恐ろしいが一つだけ、思いつく点がある。これらの教授法は、先生が楽が出来るということだ、、、。 1冊の本をえんえんと、先生が1年かけて解説する授業が英文科ではあった。英作文法みたいな授業だ。今は思う。 なんか変じゃないか? 日本語の本なのに。 いや、学生のほうももっと変だ。聞いた振りして、ぼ~として、適当に時間をすごすと。最近では携帯電話などで遊べるので環境はよくなったかもしれないが、、、。 聞いてるふり、分かったふり、いつまでします? アドリブ英語で喋ってみました。www.estat.us/blog/nobel.mp3
久しぶりに音声コメントできました。
実は、先週は過激に忙しかったのです。なんと連日徹夜でした。3時間ぐらいしか毎日寝れなかったほどです。職場の仲間も一緒に連日2時や3時の仕事をしていました(家で仕事をするわけですが)、夜中にメールが行きかったりで、いい意味で連帯感が生まれました。 時間ができたので、録音しました。 KENJI Nさん http://eigonodo.seesaa.net/ http://www.estat.us/blog/kenjiN_10_03_2010.mp3 http://www.estat.us/blog/kenjiN_10_07_2010.mp3 http://www.estat.us/blog/kenjiN_10_10_2010.mp3 ENGLISH PATIENTさん http://ashrafieh.seesaa.net/ http://www.estat.us/blog/englishpatient.mp3 英語喉1号さん http://nodo1gou.at.webry.info/ http://www.estat.us/blog/nodo1gou_32.mp3 GOOGLEして、見つけたら、音声コメントをつけているので、GOOGLEで引っかからない場合、私が、UPされていても知らない場合があるので、そのときは、ご連絡ください。