November 2010
感情を込めるとは?まだ言説的に安定しないが、とりあえず書いてみる
日本の音声学者の勘違いは、 破裂音を、破裂を強くして発音する音 と言う風に理解してしまったことだろう。実際には、口で音を調整するときに、プロセスとして、「破裂」と称すると、まあうまく描写できるものがありますよということだ。決して、破裂を強くするということではない。 破裂という漢字につられてしまったということもあるだろうが、日本語で破裂音は英語でも破裂音なので、破裂音と読んだところで、英語発音指導上、全く意味をもたない、、、という難題がある。 全く意味がないものを分類しているということは、それを分類するものをむなしくさせるだろう。意味がないからである。だから、英語のほうが、破裂が大きいと言ってしまうことで、意味を作り出す、、、人間は意味をつくる存在である、、、ということだろう。 破裂が大きいと言った時点で、データ分析をし、仮説を証明すればよいのだが、そうしてしまったらしまったで、その仮説がサポートされない。だって、強く発音する弱く発音する、破裂的な要素を強める、弱めるは、音の弁別的要素ではないからである。 さて、昨日のエントリーで感情を喉で表してみようと言った。これは、感情的になれということではない。そう理解すると、うえで説明した音声学者のおかした間違いを我々もおかしてしまうだろう。 そうではない。感情というのは、人間は誰でも持っている。いつもそれは存在する。その感情は、静けさだったり、悲しさだったり、楽しさだったり。そのときどきに、感じているものを喉の音色に託すということである。 私は昨日あたりからそれを実践しはじめた。 最初に敏感に反応したのは、うちの犬だ。うちの犬は、来いと言っても来ない犬だ。しかし、来て欲しいという気持ちを、心にうかんだとおりに、喉発音の音色に託すと、なんと愛犬が、面白いように来るのだ。 次にジーナも私の話をよく聞いているように感じた。話がはずむ。いや、それ以上に、私が彼女の声に、感情の流れを読めるようになったと言っても良い。 今朝、味噌汁とご飯を食ったのだが、それに魚肉のふりかけみたいなのをかけた。すると、その匂いが「くさい」と言っていたのだが、その喉撥音にこめられた気持ちが私には読み取れて、いやみに思えなかった。全然。 英語では、命令形をPLEASEなしによく使う。日本語に訳していると、軍隊で命令されたように思えるかもしれない。しかし、喉声で伝わってくる言葉、そしてそれを運ぶ音色を聴いていると、全然、命令に聞こえない。 これは私にとっては英語喉の2次革命である。 そして、仕事場に行く。すると、同僚の言葉に、喉発音を伝わって、感情が伝わってくる。だからこちらも、喉発音に感情を乗せて喋る(感情的になるというかんじではない、、、そのときの気分を大切にしながら、言葉をゆっくりゆっくり語る)。 すると、同僚が、去らない、、、。話が長くなる。 え?これって偶然???? 電話がかかってくる。すると相手の喉発音の音色を聞いていると相手の感情、思いやり、などがびんびんと伝わってくる。どういうことかというと、何かエラーがあったとする。すると、アメリカ人は話相手のせいだと聞こえないように、それはそれは、丁寧に、喉発音の音に思いやりを乗せて喋ってくる。 これだ!日本人が、日本人にしか以心伝心がないとか、日本人しか気を使わない、外人はざっくばらんで、おおざっぱだ、、、と思い込んで何百年。 私は、今、喉発音に、感情、思いやり、気持ちが聞けるようになったように思う。それをまず察知したのが、うちの愛犬だった。 色んなことを思い出す。今は忙しいので集中してかけないが、同じテーマを繰り返すことだろう。言説的に安定するまで。 そういえば、小学校のとき、妹を泣かしたとき、低学年だった妹(二人)は、「おか~ちゃ~ん」とか、「おば~ちゃ~ん」と言いながら同時に泣いていた。おばあちゃんが、「かもうな」と注意していたのを思い出す。 大人となると、泣くとき、全然喋れない。口発音が完成しているからだろうか? DCにはヒスパニックの人が多い。スペイン語の放送を聴いていると、番組の最初から最後まで泣きながら、視聴者のお便りを紹介している番組が少なくとも3年ぐらい前にあった。スペイン語は喉発音なので、泣きながらでも喋れるのだ! さて、感情を喉声に込めるといったが、これは、決して音程を上下させることではない。日本人が、感情を込めてセリフを読むとすると、全て音程と音の強さに還元してしまう(これ大切なところ。何回か繰り返して読んで、考えてみてほしい)。 それは、喉がリラックスしないので、感情を音にできないのではないだろうか??? そういえば、日本のドラマをみていると、演技が下手糞な人が多い。うまい人がいても、脇役が下手なので、ますますリアリズムがなくなる。 一方で、洋画を見ていると、本当にリアルだ。ストーリーラインを本気にしてしまう。 これは声に秘密があるのではないだろうか???? あ~~、いつも、カズはドライヒューモアがあると言われていた。ドライなのじゃなくて、口発音だったから、声で感情を表現できなかったってことじゃないのか???
喉声に本当の感情を込めよう 英語喉だからできる心と心の通じ合い とりあえず喉ラフの薦め
RYOGONさんが、BLOGの場所を引っ越されたので報告です。ありゃ、もしかしたら、RYOGONさん、新たなレベルのブレークスルーがありましたか?書き方に自信がみなぎっております。本物を手にした人から出てくる自信に満ちています! http://eigohatsuon.blog137.fc2.com/ さて、今日は実はセミナーをしたんですけど、新しい形式だったんです。それは、日本人のかたと、ネイティブのご主人が同席されての、指導です。 う~ん、これはとても深いものがありました。奥さんの弱点などをしっかり理解してもらうことができました。 特に、深くて、自分でもうなってしまったこと。ご主人も納得してくれていた(!)。 これは、今日考え始めたわけではないんですが、喉に感情を込めることで、ネイティブにとって、いや世界中に人にとって近づきやすい感じになれるということです。 喉で喋ると、感情を声にたくすことができます。 例えば笑い。 幸せなとき、人間は笑います。うれしくって、おもわず声がうわずります。でも、日本語だと、喋っている最中に、それを表現するのが難しい。文が終わるまでまってから、あとでハハハハと笑う。 でも喉発音だと、比較的簡単に、笑いながら喋れます。笑いながらやると、喉がゆるむということがあって、喉発音がますます簡単になるという利点もあります。前歯が自然に見えるので、VやBやPなどの発音もうまくいきます。 でも、大切なのは、楽しい気持ちを喉発音の音色で伝えることができるということです。 英語では泣きながらでも喋ることができます。喉を開けたままで喋るので、笑おうが、泣こうが、感情を声にこめることができるんです。 感情を声に込めることで(無理にではなく、自然に、わきおこることが声、音、発音に自然にでる)、相手が、あ、この人は、リアルな人だ、自分と同じ感情を持つ人間だというかんじに思うでしょう。 私のなかで色んなことが、この文を書いているときに思い出されます。 例えば、あ、天満さんの発音クラスは笑いが多いみたいだけど、やっぱりそれは本物だなあ、、、とか。あ、こないだ教えた人は、固い感じだったけど、ちょうど、面白いことを言うときでも、声が硬かった。あ、だからこのことを思い出したのかな?YUMIさんのBLOGに、発音クラス1時間後の動画があって、スムーズさがややましていたけど、面白めのことを言うときに、笑いと同時に発音すると、もっとよくなるな、、、とか。ちょうどMIXIのESSのドラマセクションで英語喉を紹介させてもらったのだけど、ドラマ劇に、喉で感情を表すと、いい感じになるなとか。 日本人は、昔から、世界の人にとって、ちかづきがたい感じがするんですが、最近、中国人や韓国人でさえ、日本人に対して硬い印象を持っていることに気がついた。 それは、笑ったりしながら、感情を表しながら、発声ができないということじゃないのかな? うちのおじいさんは、小さいときの私にとって、恐い印象があったんですが、あれは、もしかして、声に感情を込めるのが日本語では限界があるのかなとか。 昨晩、中学校のときの同級生に電話しました。ジーナもあったことがある。英語がしゃべれないのに、彼に対するジーナの人物としての評価が高くて、とても楽しい人だということなのです。 え????英語が喋れないのに???? で、日本語で彼と喋っていたのだけど、日本語なのに、笑い、感情、などが声に現れているのです。昔から歌が得意な彼でしたが、たぶん、発声方法がちょっとゆるいのだと思います。だから、話が楽しい感じなのです。実際、内容的にも楽しい。 それにつられて、私も、ゆるんだ感じで日本語を話したら、話がいつもよりもりあがった。 そうか、これだ! 私は、特に多くの男性の受講者に思ったことなのだけど、声、発音、発声に感情がないのです。 皆さん、声に感情をとりもどしましょう! でもね、口発音で、これをやると、気持ち悪くなります。 喉ラフでまず感じをつかんでください。その要領で、ネイティブは他の外国人と英語で喋ると、親近感が高まります。 音声で説明しました。喉ラフを実践しています。 www.estat.us/blog/nodolaugh.mp3
英語が伝わる!100のつぼ 変
英語が伝わる100のつぼというのをYOUTUBEで見たのだが、とても変だ。 http://www.youtube.com/watch?v=I2Vdvr3fWOk&feature=related 全てが変だ。 テーマになるのが、いつも日本語の決まり文句。そんな会話したい?そんなんではなく、心の言いたいことを、日本語の社交辞令後にいちいち直さずに、英語にするのが良い。 1分39秒でI HOPE YOU LIKEで悩む幸太郎。ちょっと設定に無理がある。えらそうに聞こえるそうです。I HOPE YOU LIKE ITが。 そして、先生が、KOTAROがそう思うのも当然ねといっているけど、そんなんありえるかな??? 皆さん、日本語と英語の表現なんて無視して、心が訴えることを英語にしよう。 こんな日本語にない英語の表現、英語にない日本語の表現などに注目して英語を勉強していたら、逆に英語が喋れるようになりません。 そんなに日本人って馬鹿じゃないと叫びたくなる。 それぞれの登場人物に役割があるようだ。 コータローさん とぼけ役日本代表 一生懸命やっているという点が認められる。 サラさん とぼけ役アメリカ代表 本当は日本人の女の子のリアクションをマネしているのだけど、なぜか、それがアメリカの女の子のリアクションと間違われているけど、それをしないと、OKがでないので、やるっきゃない。 まじめなバングラデッシュ人 世界には色々ななまりがある、日本人にもなまりがあってよい、、、ということを引き出すための人物。 いつも元気でおしゃべり好きの中国人 上の人と同じ役割。 フランス人のピエール KOTAROという名前がうまく発音できないという設定(ROのところ) でも実はできるのだけど、日本人に、ほら、日本語にも難しい発音があるんだ、、、だから英語が発音できなくても大丈夫だよ、、、と思わせる役割を持つ人物。 若手の女性 ナオミさん 完全なるコテコテのヒラガナ発音をこなすことで、となりの日本人の先生の英語の典型的な日本語発音が目立たないようにする役割。 帽子をかぶったアメリカ人のお兄さん ナオミさんや先生が発音ができてなくても、GOODととか言わなきゃいけないという微妙な立場だけど、GOODと言わないと前にすすまない。 日本人の先生 全然英語しゃべらんからわからないけど、典型的な日本語発音だと思う。でも、ナオミさんの英語を直しているのが不思議である。 5分46秒あたりで、日本の英語教育の真の問題があると思った。 STRAWBERRYの発音だ。 アメリカ人、とぼけ役の女性、先生、全員の発音が間違っている。 アメリカ人でさえ、日本人におおげさに教えようとして、 STRAWのAWのところをOWと発音している。 直前のスキットでサラさんは正しく発音していた。あの部分はAWだ。 そしてとぼけ役の若手女性が、日本語こてこての発音をしたら、それをアメリカ人が間違った発音で直し、日本人の先生も、典型的なる日本語発音で発音し、問題は「アクセントです」みたいなことを言って、それに対してアメリカ人が「そうです」というような対応をしている。YES VERY GOODって、何がVERY GOODなのだろうか???? アクセントの問題ではない。そもそも、アホ役の女性のアクセントの位置はあっていたではないか。 アメリカ人の兄さん自体、発音を間違っているのだ。ゆっくり日本人用に読みすぎて。 例えばだが、TELEPHONEのLEのところは、エじゃなくて、i_だ。しかし、日本人用に英語を喋るネイティブは、おもわずレといってしまう。 日本の英語教育がよく批判される。例えば訳読形式すぎると批判される。でも、そんなに悪いか?英語喉で発音できて聞けるなら、死ぬほど悪いとはいえない。例えば、フランス語が今聞けて発音できる今、別に訳読スタイルの授業でも、文法とか知りたいから結構楽しめると思う。会話とかあったらよいと思うけど、大学時代だったらきっとフランス人の友達つくったと思う。スイス人で小説(映画化)された「一見さん」を書いたデービッド君とかとフランス語を喋っていただろう(大学時代だったら)。英語喉が当時あったなら。 本当に原因なのは、もっと根本的なところにあるのではないだろうか? というか、ここまでくると、何が問題なのか、わけがわからん。 これ後何百年つづけるよ?