November 2010

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モノローグからダイアローグへ

さて、TAKIさんが、第2の音声UPをされています。口の力は抜けたけど、喉、首のほうが硬いままなので、音の個性が不明瞭になってしまったかんじなので、ひきつづき英語喉の最初のほうの練習をして、独特の音色を出せるようにしてみてください。 http://www.voiceblog.jp/uktaki/ 音声アドバイスです。 www.estat.us/blog/taku2.mp3 RYOGONさんもUPされておりましたが、私が聞いた中でベストでした(2つのうち下のほうがよかった)。 http://language-study.blog.so-net.ne.jp/2010-11-03 きっと、まだ物足りないとご自分でおっしゃっているのは、首の根元あたりで、音が継続しているかしてないかということじゃないかな?単語と単語の間が切れているところがあるので。でも、多くの場合継続していて、その時、とてもネイティブに近いですね。 音声アドバイスです。 www.estat.us/blog/ryogon1103.mp3 さて、切れるという点で思い出したのですが、先日、茂木さんの英語の講演を聞いて、ありゃ、これはヒラガナで英語を喋ってらっしゃると思ったのだが、日本語英語って過激なほど速いと感じる。で、茂木さんの英語講演を、あえて日本語英語でシャドーイングしたのと、英語喉英語(本当の英語)でシャドーイングしたのを録音してみたのだけど、日本語英語のときは、ものすごい速い。高速ボートを高速ボートで追いかけているかんじ。でも、英語喉英語(本当の英語)でシャドーイングすると余裕で繰り返せる。こんな感じで録音してみました。 www.estat.us/blog/mogi.mp3 これを聞くと、音が切れているということの意味がよ~~~く分かるでしょう。 茂木さんに失礼かもしれないけど(でも、このサイトを英語喉実践者以外読んでいないのでOK?100年後ぐらいに発見されるでしょう)、ミシェルフーコーのクリニックの歴史で読んだのだけど、医学が発達しはじめたころ、女性の胸に手を当てて心臓の音を聞くことなどさえ、当時、失礼と思われていたのだそうです。2010年の現在では、日本語英語をさして、日本語英語だと指摘することが失礼、、、と思われているわけですが、100年後の人が読んだら、え?本当?とびっくりするかも。 アパートに日本人のかたで中東のご主人がおられるかたがおり、娘さんは二人ともハーフなのだが、日本語喋れるん?と聞いたら、その答えだけ、日本語で、「ちょっとだけ」と言ったのだけど、その瞬間、音の切れ目が聞こえた。ちいさいッのところとか、間が確実に開いている。でもその表現の前後の英語は、音がつながったままだ。 さて、英語喉革命さんが、私のアドバイスを受けて、唇をわざと上ぎみにして、前歯をみせながら発音したら、外人っぽくなったとおっしゃっている(http://blog.livedoor.jp/nodorevolution/archives/51533052.html)。 これはトムクルーズ主演のA FEW GOOD MENだが、前歯が見えているのがよく分かる。 http://www.youtube.com/watch?v=8hGvQtumNAY これはそもそもVの発音がやりやすくなるということだったのだけど、BとかMの発音も、ライフサイクルの前半がでやすいので、確かに、BENTO BOXなんて言っても、前歯を出したリラックス口ではじめると、本当にネイティブっぽい。 英語喉革命さんは、どちらかというと唇に力を入れて上に引っ張る感じと書いてらっしゃる。私の場合、顔を緩ます感じ。左右に。 1枚の紙に、口をまねて、まんなかに、カッターで切れ目を入れる。これを上下に引っ張ろうとしているのが、英語喉革命さんのやりかたかな。私は、右と左のほうこうにだらーんとやる感じで引っ張っるかんじにすると(あくまでリラックスして)、前歯が見える。 どっちにしても、口に似せたカッターの切れ目が開く。これは数学的にベクトルの概念で説明がつくのでしょう。 思うのだけど、西洋人の頭部の形(顔が立体的で鳥みたいなかんじ)と日本人の頭部の形(顔が平たい感じ)の違いが関係しているのではないかな?上のどっちがやりやすいかというアルゴリズムにおいて。 だれか建築家のかた、3D CAD?とかいうソフトだったかで計算してみてください。 平たい顔の上だと、なんとなく、右左に顔をだらーんとさすのが、難しそうだ。 さて、モノローグからダイアローグへという題だけど、それに移ろうかと思ったら、時間切れ。あ~、いそがし。 それじゃ、また。

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劇場とは

私は、5歳の姪と電話で話すときに、日本語のむなしさを感じる。それは、姪の喋り方が、子供的なので、難しいことを言ったらいけないと思い、自分でも分かること、知っていることばかり聞いてしまう。 例えば、先日は、運動会だったそうで、「今度、運動会?」と知っていることを、確認するためだけに聞いてしまう。 何か、会話自体が劇をしているように感じるときがある。分かっていることを聞くという部分(いや、一生、この感じでコミュニケーションが続きそうな気もすることがある。) 先日、ある服屋さんで、アメリカ人の小さな子供がお父さんと見られる人と英語でぺらぺら喋っている。いや~、よく会話できますね、いくつですか?と聞くと1歳になったばかりだということ、それから、この子には、アラビックと英語の両方を教えているので、なかなか言葉が成長しなくてねえ、、、とそのアラブ系のお父さんが言った。 また、うちには、犬がいるが、ジーナが犬に対して、ぺらぺらと英語で話しかけている。相手は犬なので、それは無理だろうというようなことを聞いている。例えばだが、Aが好きがBが好きか?みたいなことを聞いている。 それにしても、うちの犬は、結構、複雑な英語を理解する。英語喉をしていない日本人よりも、おそらく英語の聞き取りができると思うことがある。いや、これは本当だ。高速のスピードで喋っていても、食べ物の名前を確実に聞き取っている。 さて、同じフロアに、耳の聞こえない高校生がいて、リップリーディングをするらしいのだが、回りの人が、あまりにゆっくり、大げさに喋ることに幻滅しているらしい。 日本人の幼児は、喉発音で日本語を喋るので、日本人の大人が、普通に喋ったら通じない、、、という感覚が私にはある。この癖がどうしても抜けない。 また、日本語は情報伝達のスピードが遅いように思える。シラブル自体の発射はダダダダと速いのに。伝達のスピードが遅いので、ちょっと長い単語を、5歳児に言っているうちに、通じているかどうか、不安になる。だから、あまり難しいことを言ってはいけないという気持ちが働く。 そういえば、日本のバラエティーショーや、ニュースなどで、日本人が日本語で喋っているのに字幕が日本語で出たりする。これは、日本語が少し分かりにくということの証拠じゃないだろうか?内容を表現するのに、ものすごい数のシラブルを要する言語だから、聞いているうちに、今聞いたことを忘れてしまいがち。政治家のスピーチなども分かりにくい。 また喋っているときに、笑えないというのがあるので、感情を伝えるために、文をできるだけ短くしたくなる。喋り終わってから、ハハハと言えるが、文を言っているときは笑えない。喉ブレーキをかけながら喋る日本語は、同時に笑ったりできない(喉がしまっていたら笑えない)。だから、長く喋るといけないという感覚が働くように思う。 英語は、笑いながらでも、あるいは泣きながらでも喋れる言語だというのが面白い。 日本語を喋っているときに、なにか劇をしているような感覚に襲われる。 まず自分の感情を(例 笑い)一旦、口発音のヒラガナにしてから(ハハハハ)、言い直すような。 しかし、もっとも大きな問題は、日本語のコミュニケーションが劇のようになってしまうことではない。劇だということを知っている人が100人のうちに1人(狼的?)ぐらいいる。その一人にとっては、後の99人(羊的?)をコントロールすることが容易なのじゃないかな? 実は、このことがもっとも大事な問題なのかもしれない、、、が英語発音や聞き取りの問題に戻ると、日本人は劇をやめないと、リラックスできない。リラックスできないと、首の根元をうまくつかって、多様な音をつくることが難しい。 最近、セミナーのたびに、ことごとくいうことがある。それは、お互いを同級生と思ってくださいということだ。日本語において、劇をしなくていいのは同級生とだけである。    

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本当に真剣に学びを経験している瞬間には、目は輝かない

よく日本の先生は、生徒の目が輝く瞬間が好きだというようなことをおっしゃるのだが、私は、これは日本の教育文化の数百年の勘違いだと思う。 だって、私が英語喉を教えていて、本当に受講者さんが、学んでいて、理解していて、出来ている瞬間に 目が死んでいるからだ。表情がない。 ところが、授業を始めて10分、20分ぐらいのとき、まだできていないときは、目が輝いている。笑顔だったりする。楽しそうだ。 ところが、発音がネイティブ化していることが自分で分かっているときの目は、死んでいる。表情がゼロである。さらに、テレビの前で、聞き取れていることを確認できている瞬間は無表情だ。 高校野球などでバッター席に立っている選手の顔をみてほしい。死んだ顔をしている。 生徒の目に輝きが、、、というのは、それは、生徒達が、先生の期待に沿おうとして、劇を演じているときだと思う。 英語喉セミナーの最初の10分、20分は、初対面の受講者さんだから、笑顔が出るし、目がきらきら輝く。 しかし、それは私たち日本人が、ぎゅーぎゅーづめのクラス(40人?いや45人?)を、小学、中学、高校と経験してきて、不可能な授業のなかで教師達が望むもの、 それはやる気とか、輝く目というやつだ。 まあ社交辞令である。 私はアメリカに住んでいるけれど、NHKがテレビで見れる。CHAROという番組を見ると、馬鹿にされたような気持ちになる。ちなみに、同じぐらいの時間に、昔で言えば、お母さんと一緒みたいな番組があり、子供に対してお兄さん、お姉さんが、きんきんした言葉で喋りかける。そしてCHAROだが、これもネイティブの人が、子供に喋るように日本人視聴者に対して、ゆ~くり喋りかける。 ちなみに、私と同じフロアに、耳の聞こえない高校生がいるのだが、そのお母さんが言うには、周りが、耳が聞こえないと思って、ゆ~くりと喋りかけてくるのが、この高校生は不満に思うらしい。馬鹿にしている、、、みたいに。そんなに、大げさに喋らんでも、わかるんじゃ、、、ということらしい(リップリーディングをするらしい)。 結局のところ、英語が聞こえないのは、日本人だけだ。いや、英語だけでなく、韓国語なども聞こえていない(カムサと発音してしまう。KAMSAなのに、、、と昨日、韓国人が日本人の韓国語は非常にまずいと言っていて、その例を教えてくれた、、、それはシラブルの区切りを聞いていないからKAMSAがKA-MU-SAに聞こえるのだ)。ネイティブは、なぜ日本人が英語の音が聞こえないのか分からない。だから、しまいには、赤ちゃん、幼児扱いをしているわけである。 これは、別に悪いということではないが、ええ加減、気づきませんか?と思うのである。 そのナレーターさんたちの目は輝いている。NHK INTERNATIONALに出てくる外人のレポーターさんたちは、ものすごいキンキンしたレポートをする。目が、顔が輝いている。英語の音程も上下するする。 それを見て、日本人は、それ、外人さんは、テンション高いなあと思うかもしれない。しかし、彼らは日本人の真似をしているのである。男性だったら、日本人のガールフレンドが「すごーい」とか言うときの表情をまねているのだ。さらに、そういう風にしないとテレビ局の編集さんも納得しないだろう。外人らしくないということで。こら、NHKインタナショナルは、外国に住む外国人のための日本紹介なのだ。しかし、どうしても日本人向けになってしまう。ジーナも前に、NHKインタナショナルのインタビューを受けたとき、オーディエンスはネイティブとか外国人だと分かっているのに、英語がゆっくりになってしまっていた。日本人が相手だと思ってしまうと、英語が変わってしまうのだ。 あるリスニングの本で、英語の音程は激しいと書いてある。思うに、結局、日本人は、英語喉実践者以外、英語の音が聞こえていないはずだ。だって、聞こえていたら、音程が激しいから気をつけましょうなどという発想は出てこない。 私は、英語喉以前でさえ、アメリカ英語の聞き取りは100%に近かったが、音程に気をつけると、聴き取れるとか発音ができるなんて、発想がなかった。自分でも聞き取りができないのに、聞き取りの指導をするというのは、とても、問題がある。英語発音の本の著者の英語を聞こうと思っても、どこにも置いてないのが不思議だ。 さて、ちょっと最後でずれたけど、今日、朝日新聞のサイトで読んだのだけど、耳かき店員を2人殺して、死刑にならなかった人のことが書いてあった。裁判員さん、いわく、その人が裁判の途中から、表情が変わり、反省しているように見えたとのこと。 またしても顔である。反省している顔だ。しかし、事件後の表情で、判決裁量のネタにしてよいものかどうか、私は疑問である。あくまでも、証拠に基づいて判決をするべきだ。 情状酌量をかんがみるということはありえるが、それはあくまでも事件の前、その瞬間のことだ。裁判の途中に反省の色が見えたなど、関係ないはずだ。 「反省」というのは、英語になりにくい。日本語に特有だ。そして、それは顔の様子である。 酒井さんというかただったか、芸能人の人で、麻薬で捕まっていた。あとで、裁判所の前で反省の挨拶をしていた。しかし、麻薬は、反省とかの対象じゃなくて、リハビリの問題だ。だから反省するより、まず、リハビリを受けて、立ち直るのがよいだろう。人はどうでもよい。

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