January 2011
縄張り知識論
私は、大学時代に、なぜか、ミシェルフーコー系の本をよく読んでいた。やや難解なのだけど、英語で読んでいた。日本語で読むよりはわかりやすかった(原書はフランス語)。2011年の今、医学などに肩を並べるほど、大切な分野として、哲学、社会学、人類学、文学が大切になってくるのではないか、、、という確信に満ちた予感がある。 というのは、私たちが、ついに日本という文化を理解し、人類の文化を理解するために、そういういわゆる文系分野が役に立つ時代が来たのではないかと思うからだ。 日本の活性化のためには、人的資本(技能、スキル)のレベルを上げることが大切だが、その技能をマスターするための、「分野(例、学問の領域)」に縄張りがあり、その分野の門番のような人達によってかたくガードされているというのが問題だ。 英語喉は、日本人にこの事実、縄張り的知識国家日本を意識的に認識することの突破口になるだろう。 どういうことかというと、英語喉は、音声学という領域の外から来たという点が面白い。私のことではない。ジーナは、言語学者でなくて、アーティストである。お父さんもお母さんも、社交ダンスを極めた人で、ジーナもダンスがセミプロなみである。妹は、プロの音楽家で声楽家でピアニストだ。どの点をとっても、何か課題を与えられ、それを瞬時に理解し、体得し、実践しないといけない分野である。結果を出さないといけない分野である。 結果を出さないといけないから、私が真顔でジーナに、「どうやったらネイティブと同じ発音になるのか」と5年ぐらい前に問うたときに、それをマジで考えて、解決してしまったのである。 つまり、英語の音声に本当の体系が、アーティストの手によって明らかになったということになる。その分野の外から現れたアプローチが、その分野の課題を解決してしまったのだ。いや、言い換えよう。日本人の英語がどうしたらネイティブと同じになるかというリサーチクエスチョンさえ、音声学者の死角になっていたのだ。 どうしたらネイティブと同じになるかという問いは、あまりにも根本的すぎて問われていなかったのである。 逆に、外国人が英語の音について書いていることを英語で読み、それを日本国内に紹介するというのが音声学の分野の主流となっている(が、ちなみに、社会学でも同じ傾向がある)。大半の人は英語が読めないので、紹介するというのは、それなりに意味があるかもしれない。私にとってはそもそも、直接英語が読めるので、メリットがない。 学問や、その他の「領域」が縄張りのようになって、真とされている知識によって独占されていると、真実が見えなくなってくる。これが問題だ。 さて、英語喉は、他の分野にも少しづつ刺激をあたえていくだろう。歌手、ボイストレーナーの菅原里奈先生が、英語喉の原理をいち早く理解され、たくさんの日本人の歌唱指導の経験を元に、新しい方向に、歌唱の、芸能の分野を広げてらっしゃる。音楽、芸能は、結果が重要視させる世界である(と信じたい)。菅原先生たちの製作した動画を見て、感動しない人がいるだろうか? まだまだ英語喉は、他の分野に広がるだろう。聾唖の人達が音の区別をするうえで、英語喉が有効であることは、私は確信を持っている。しかし、発音の分野でそうであるように、ジーナと私が二人でまずはアメリカにおいて開拓しなければならないかという予感がしている。というのは、スピーチセラピーの分野も、アメリカ、日本の両方において、縄張りの門番の人がいると思うからだ。言説戦争に突入する可能性があるから、私は、この件に関しては水面下にいようと思う。 いや、もしかしたら、口発音の知識と喉発音の知識が合体することで、史上最強の、マジンンガーZ級の進展につながるかもしれない。口発音は、音の最終調整としては有効だからである(大げさにやらないかぎり)。 学際的アプローチが大切なのだ。しかし、学問だけではない。英語喉がアーティストによって発見されたように、さまざまな領域、芸術や生活関連の分野の色々な人達が知識を出し合うことで、日本の人的資本を向上させることができる。 大切なのは、結果を出すということだ。 だから英語教材であれば、著者自身が英語が喋れないといけないし、その喋っている姿を動画などで公開するべきである。このマルチメディアの時代、それをせずに、遠くから、文法が大切だとか、ぺらぺら喋れても中身のない人はダメとか、言われても全然説得力を持たない。 文法は、頭を鍛えるとか、深い思考を可能にすると多くの学者はいうが、それではそのことを研究によって証明しているかというと、査読付きの学術論文が見当たらない。 これまでなぜ結果が出しにくかったのかということを理解するために、日本の知識社会が縄張り化し、外に対してオープンでないという点がある。その点を理解するために、今後、哲学、社会学、人類学などのアプローチが有効になると思われる。歴史もそうだ。浮世絵をじっくり観察したり、古事記を読んだりして、現在の文化と当時の文化の違いおよび共通点をさぐる。そうすることで我々の文化を確実に理解する。 これらの学問分野の壁もとりこわすべきで、大学などで、1年時から学部を選ばせるという制度はとりやめないといけない。縄張り制度を温存する装置だと思う。高校時代に、情報の少ないなか学部を選び、進学すると、その学部の先生の家来になりにいくようなものだ。一旦、入ると学部を変えにくいからだ。勉強してみて、自由に専門を選んでいくという制度が必要だろう。 学問でなくてもよい。高校生がホームステイをするなら、目と喉を開いて、相手の文化を観察する。 さて、ミシェルフーコーの話からはじめたこのエッセイであるが、フーコーは監獄の歴史だとか、精神医学の歴史だとかを、言説物として扱ったひとで、歴史学に新しいアプローチを導いた人だ。あいにく読みにくい。私は、最相葉月氏の「絶対音感」が日本における言説研究の最初だ勝手に思っているので、そちらを読むことを薦めたい。文化とは何かを理解するために必読の書である。
喉の旅 そして教育社会学 ハビタス理論
KENJI Nさんが、去年の10月の段階でネイティブレベルに達していたので紹介します。KENJIさん、遅れましたが、音声コメントしました。国産ネイティブと言ってよいです。 http://eigonodo.seesaa.net/article/166900451.html www.estat.us/blog/kenji10_23_2010.mp3 (音声によるコメントです。) さて、昔に、あれ?とか思ったことで、納得がいかなかったことが結構思い出に残っている。それらのことが英語喉で説明できたように思えてすっきりすることがある。 中学3年のときに広島市のYMCAに普段から塾通いするかどうかということで、悩んだ結果、しようと思い、お金を払った後で、やっぱり広島市は遠すぎる(当時は電車で1時間半ぐらいはかかった)と思い、受付のお姉さんに説明するとき、言葉がすっと出てこなかった。自分は広島弁しか喋らないのに、その場が、もっとフォーマルは喋り方(今、思えば、超口発音と超2ビート)を要求していることは空気で分かったが、なかなか出てこなかった。で、広島弁の普通の喋り方で、説明してお金を返してもらった。 大学の1年生で英文科の受付に言って、何か説明しようとしたとき、言葉がしどろもどろで困った。さくっと、名詞句が出てこなかった。例えばだが、 授業登録の件ですが、 といえばよいところを、授業をとるのにせんにゃあいけんことがあるじゃろう、、というような長めの広島弁、それも中国語的なる発音(今思えば、、、)は浮かぶのだが、ちゃんとした漢語的な表現が出てこなかった。 その二つのイベントをよく覚えている。何十年も前のことだ。結局、高校生までは広島弁で、口発音でもゆるめの発音、そして3ビートとはいかなくとも、英語や中国語のシラブル構造に似た喋り方をしていたのだろう。 そう考えると、社会学的なテーマにぶつかる。教育社会学は、たいてい、生徒の社会階級がその生徒の成績やら進学パターンに影響を与えるとして、色々な仮説をデータを集めて検証する分野だ。ふつう、社会階級レベルの高い家の子供は、文化的に「高級」な資本を持ち、それが、たまたま学校で使われる言語や、好まれる振る舞いに一致する、、、というようなメカニズムを想定している。フランスの社会学者の(故)Pierre Bourdieuさんが有名だ。 口発音VS喉発音で考えたときに、普通地方出身者、広島人、沖縄人は、中国語的シラブルで日本語を喋り、そして、ゆるめの口発音でしゃべっている、、、と思われる。 すると、このことが、我々が人生で遭遇する機会の良し、悪しに関係するのであろうか? 例えば、口発音に早めに移行できる児童ほど、先生のお気に入り度が増し、勉強で成功する度合いが高くなるとか? 思うに、まずは、地方の違いを知りたい。私が考えているように、関東地方の人は、本当に、口発音度が高いのだろうか?あるいは、標準語だけなのだろうか?硬い発音をするのは。 あるいは、地方出身者でありながら、標準語的な言葉で関東地方で子供を育てた場合、その子供はスーパー口発音になるのだろうか?例えば、私が喋る標準語的な言葉は、人口的であるがゆえに、東京の人が喋る日本語よりも、カチカチしている可能性がある(そうでも、ないけど、まあ理論的にはありえる話)。人口的であるからだ。その子息は、その人工的な日本語を聞いて育つので、ますまず口発音度が高くなるのだろうか??? もう一つ、大学時代に聞いた話で、まだ解決がつかないエピソードがある。当時、京大に行っていた友人がおり(作家の高野ごろーじゃないよ)、その人が、「高校時代は、授業をきっちりやっていたら、受験勉強ってしなくてよかった」と言ったのだ。 え~~~~。私は必死こいて私立大学受験をしたので、信じられなかった。 もしかして、その人は、スーパー口発音で、学校文化になじみやすく、勉強が得意になったとか、、、てありえるかな、、、。授業を聞いていても眠くならないとか。 Pierre Bourdieu氏は、ハビタスという概念を打ち出しているのだけど、口発音ハビタスとかありえる? でもだ、、、私は、もしかしたら小学校のときに、ちょっと喉発音ぽかったのかもしれない。というのは担任の先生が、上川の声はよく通る、、、と言っていたからだ。友人が、「上川の母さん、口、あんまりうごかさずにしゃべるのお」と言っていたことを思い出すが、もしかしたら、私も口にあまり頼っていなかったのかもしれない。 これは他の人からも聞いたのだけど、声が良いと学級委員とかに選ばれてしまう。だから、口発音が学校で優遇されると決定論的にはいえないのかもしれない。私も、学級委員を小学校ではよくしたし、また児童委員長みたいなのもやった。 あれ、しかし、それは小学校のときだけだ。中学、高校と、全然、選ばれなかった。もしかして、喉発音的な発音法が受けるのは、自由度の高い小学校だけで、暗記中心的なる教育体制のある中学、高校となると喉発音が通用しなくなるのだろうか? 中学で、生徒会に立候補したけど、全然、当選しなかったのだ。あわれ。
英語喉50のメソッド 増刷 7刷目 +里奈先生の面白い動画 要チェックです
三修社さんのサイトに書いてありますが、http://www.sanshusha.co.jp/np/info.do 英語喉、増刷ということです。これで7刷めになります。これは、英語喉の実践者が増えているということでうれしいです。皆さん、応援ありがとうございます。 ゆっくりですが、英語が本当にできる集団が大きくなりつつあると思います。この集団をどんどん大きくしていき、健全なる言説、実践を伸ばしていきましょう。英語ができる、できるから、教えられる、英語教育について語れる、、、と。 先日、出会った若者が、聞き取りがかなり(80%ぐらい?)できるようになったけど、100%に持っていくにはどうやったらいいですか、、、と質問を受けました。こういう質問でも答えられるコミュニティーに育っていくと思います。というのは、皆さんのなかに80%から100%に引き上げることに成功されたかたがいるのではないでしょうか? さて、ハローボイスの里奈先生のBLOGにとても面白い動画が載っていました。要チェックです。なにやら、コーラスグループの皆さんにハローボイスを使ってもらい、その使用後の瞬間の声の艶が急激に増している様子が、とらえられているんです。 http://linax.seesaa.net/article/181711939.html 使用前の声の艶度と使用後の艶度を比べてください。で、私のように英語喉をやって長いと、声を聞いただけで、あ、喉がちょっと硬い感じとか分かるんです。私自身の歌を聞いても、わかります。あ、硬くなってるぞとか。 で、グループの皆さんの艶度がまだまだあがる余地があるのが私には分かりますし、たぶん、皆さん自身で聞いてもわかるのではないかな。それが楽しくて、楽しくてたまらんわけです。 艶度をあげていくと、声が管楽器の声みたいになっていくと思います。 DCでジーナとセリーン・ディオンのコンサートに行ったんですけど、観衆が、彼女が歌っているあいだ、しーんとしていて、彼女の管楽器のような声をうっとりしている様子、今でも思い出します。 あんな声だせたら素敵ですよね。 皆さんのなかにも、きっと声の才能のあるかたがいると思います。ただ喉が閉じていてそれに気づいていないだけかも。 自分の声を見つけませんか(里奈先生の表現です)?