August 2011

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バチェロレットという番組の最終回

機関銃英語が聴き取れる(三修社)の104ページを英語素材「日本で風邪を引く」を英語朗読しました。 [audio:http://nippondream.com/eigonodo/wp-content/uploads/2011/08/kaz_08_02_2011.mp3|titles=kaz_08_02_2011] 昨晩は、バチェロレットという番組の最終回だったのだけど、今回は、アシュリーさんが、JPさんを選んで終了でした。この番組は圧倒的に女性ファン100%の番組で、私は付き合いで見ておるのです。 本当に付き合いで見ているのです。いやいや見ているのです。信用してください。こんな番組、私が真剣に見るわけがありません。 さて、最初30人ぐらいの男性がいて、そこから主人公のアシュリーさんが一人、二人と落としていって、最後に二人が残って、そして誰がアシュリーさんにプロポーズできるかとなるわけです。 この番組は文化の縮図に思えて面白いです。特に、主人公が人生を一緒にできる、毎日楽しく過ごせる人を探す、、、という貪欲なほどの葛藤と努力をするのが面白いです。 最後のほうで、落とされる男達が男泣きに泣きます。 ベストな伴侶を探すというのは、この文化ではものすごく大切なことで、中学、高校ぐらいから、やっているわけです。だから、確かに、アメリカで晩婚化や、子供を生む時期が遅れてきているというのはありえますが、相手がいないという問題はあまりないのではないかと思います。 日本では、そもそも相手がいないという問題が大きいような気がします。だって、経済が悪いと結婚どころか、男女交際もできないように思えます。 しかし、本当は逆で、経済が悪いからこそ、協力しあって生きていく、というのが大切になるのではないでしょうか? 思うに、日本の男女交際というのは、究極は、いかに、経済的に力のある男性が、できるだけ早いうちに、女性とくっつくかということで、その究極的なるゴールに向かって競争が起こっているのではないでしょうか? しかし、そういう競争があると、全体的に婚姻率が下がるでしょうし、また出生率も下がるんじゃないですか。 日本に帰ったとき、正規社員の男性は結婚していて、非正規社員(言葉はあまり好きではないが日本では法律的に存在する)の男性は結婚していない、、、という区別があまりにもきついなと感じました。 そういう傾向があるとしても、たぶん、傾向は変わらないと感じますので、じゃ、ま経済をなんとかするしかないなと思うのです。そういう意味でも英語喉を押したいと考えます。 また、いったん、始めたら最後まで、絶対に方向修正不可能って雰囲気が日本にはありますので(なんでもかんでもそうですが)、交際を始めることさえ、精神的なコストが高く、悪循環で、まるでデフレスパイラルみたい。 バチェロレットとかバチェラーとか自然な英語が喋られていて、英語を学ぶのにもお勧めです。さて、動画ですが、 番組紹介 http://www.youtube.com/watch?v=jL3mrwzqA68 今回カップルとなった二人がインタビューを受けている。 http://www.youtube.com/watch?v=hECtgw1yQ1c

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英語喉で文化の旅
ジョンと25年ぶりの再会になる予定

クッちゃんと喉やんが、ジョンさんとカズさんの話をしているところを、カズさんが、録音しました。 [audio:http://nippondream.com/eigonodo/wp-content/uploads/2011/08/kaz_08_01_2011.mp3|titles=kaz_08_01_2011] 直リンはこちらをクリック。 さて、今週は、とても待ち遠しいことがあります。それは25年前(1986年のこと)、私が同志社大学の1年生になり、学校が始まったぐらいの週に、出会ったアメリカ人の友人ジョンと再会できそうなのです。 今、DCになにかのイベントで来ているのです。ハワイ大学で教えているジョンは、20人ぐらいの学生をつれて昨日到着しました(まだ会っていない)。 京都の東山区、「せんにゅう寺」というとこに住んでいたのですが、同じ通りにアメリカ人が数人たまたま住んでいたのです。私はジョンに英語を教えてもらいました。銭湯が同じだったので、サウナのなかで英語をしゃべったり、、、やっぱり今思うと、おおげさな英語喋ってませんでしたよ。 遊びに行ったら、線香をたいていましたよ。仏壇でなくてね。そのときは、アメリカ人はすごい発想だなと思いました。ただ、線香をたいていたのが、トイレだったような気がします。ウンコの匂いを消すためだったのか、、、、記憶が薄れています。25年前のことなので。 ま、とにかく、大学1年のときであったアメリカ人が線香をたいていたのは、本当にびっくりした。(当時、同志社のウィリアムズ先生<ちなみに、先生は、評論家の竹村健一氏が若かりしころに英語を教えたとよく言っておられた>が、大学生協で、アイスコーヒーがないと言われて、コーヒーと氷もってきてくれと言ったのも、アメリカ人ってすごいなあと度肝を抜かれたのでした。それと同じぐらいのびっくり度でした)。 ジョンだけじゃなく、もう一人、ミネソタ出身の兵隊みたいな髪型をした青年もおりましたが、彼はミネソタは蚊が多いんだ~みたいなことを言っていた。だから今でも、ミネソタの人に会うと、蚊が多いんっでしょ~とか言うと、打ち解け度が一挙に高まります(笑)。 サウナで英語会話をしていたのでした。 ESSでスピーチの暗誦大会があって、当時、チャプリンの映画、独裁者からのスピーチが題材でしたが、彼に発音をチェックしてもらいました。大会を見に来てくれたのですが、後で、私がそのスピーチを「明るく」読みすぎたとの指摘。 今思えば、英語の「意味」と音が一致していなかったんでしょう。つまり、あのスピーチは重いテーマのスピーチです。でも意味を考えていなかったので、おもわず明るい感じで読みすぎてしまったのです。 私もジョンの手伝いをしたことがあります。京都の南のほうだったと思いますが、通訳として、在日の外国人のビザとかを管轄する役場みたいなとこに一緒に行ってあげましたよ。 その後、ジョンとジョンのアメリカ人の彼女(現在奥さん)は愛知県の西尾というとこに引っ越しました。英語学校に勤めていたのです。で、私は夏休みを利用して、遊びに行ったのでした。下は、たぶん、駅の近くの公園だと思う。 ジョンが西尾を発音するときに、ニ~~~シイイ~~オオオオウウウみたいに発音していたのが印象に残っています。今思えば3ビートだ! 当時は、葉書や電話でアポをとったんでしょうね。今と違って。 そこで、前にも登場した逸話ですが、ジョンの友人達のパーティーへ招かれたわけですが、そこにはアメリカ人が8人ぐらいいたのじゃないかと思います。中学、高校、大学1年と英語を勉強してきた私が、そのパーティで言われていることで聞こえた英語は一語だけ。 NO SHIT (「まじだぜ~」、、、という意味) だけでした。この言葉だけは、何回も、何回も聞こえました。 これはかなりショックでした。 でも、当時でさえ、私は同志社のESSの1回生でも英語ができると思われていたのですよ。さらに、上で書いたサウナ英語でも、通じていたし、私に対して言っていることは理解できていた。 ジョンが仕事中だったと思うけど、ジョンのガールフレンドとプールに行ったことを覚えています。そしたら、彼女が、「長いす」みたいなのに、どて~~~んと日光浴を始めましたが、その豪快さがガイジン的で記憶に残っています。 私は田舎者なのですが、広島の田舎のプールでは、どて~~んとプールサイドで横になっている日本人はおらず、ぎゃあぎゃあ、泳ぐのが目的でしたから、お~、ガイジンのやることは違う、、、と思ったのでしょう。 よく考えると、私とジーナが週末には、アパートのプールでどて~~~んと横になって(椅子みたいなのに)日光浴をしています。アパートの人達も、どて~~んと日光浴をしています。それと同じ光景です。 その時は、西尾がアメリカになっていた。 さて、最初のころから、ジョンが私のことをKAZと呼び出しました。当時は、ジョンが発明した名前かと思っていたけど、アメリカで暮らすうちに、例えば日本から来た野球選手などがKAZと呼ばれていて、え~、偶然?と思っていた。 でも、英語喉を知って以来分かるのは、KAZって私の名前の第1シラブルなのですね。ジョンが発明したわけではなかったのです(笑)。 ELIZABETHなんて名前だとELI(ELY?)とか、LIZとか、BETHとか、シラブルを抜き取ってニックネームにしてしまうわけです。REBECCAだとBECKYとかBECCAとか。JENNIFFERだったらJEN,JENNYとか。MICHAELだったMIKEだけど、黒人の人はあえてMICHAELと言う傾向があるそうです。なぜかな~。 25年ぶりの再会が楽しみです。 <後日談:会うことができました~。楽しかったです。> 今、覚えば、英文科に入学し、まず興味があったのが、ネイティブと英語を喋るということだったと思います。 まずは使う、それが基本の基本だと思いますよ。 <今、思えば、このような経験ができたのは、学生生活を支えてくれた親のお陰だとおもっています。今、経済が厳しいなか、誰でも大学で勉強できる環境にありませんから、英語喉で、かならずしも大学に行かなくても英語体験ができて、多くの人が英語ができるようになれば良いなあと思っています。>

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