December 2011
私の持っている日本社会のイメージ 準備の文化
「準備の文化」で、ラッキーな人達が、ラッキーじゃない人たちに、「準備」という試練を課しているようなイメージを持っている。 例えば、大学受験だが、ラッキーにも大学で終身雇用のステータスで生活をしている人が、アンラッキーにも、その立場にない人(生徒)に試験を課すことで、試験料を徴収する。 もちろん、ラッキーな人達は悪い人たちではない。養う家族がいるので、家族のために、一生懸命働いている。 アンラッキーな人達も、生活がある。 ラッキーな人達は、「準備」を課すことで、その準備に必要なお金を徴収する。 しかし、その準備をしても、本当のスキルとか知識が、個人につくかどうかというのは分からない。 受験英語に関する言説はこの私のイメージにぴったりあっている。 大学受験準備を課す人達自身が英語が聞けず、英語ができず、、なのに、アンラッキーな人達を、ますます準備へ、受験英語の勉強へと導く。 就職活動も似ている。大学3年生ぐらいから準備を始める。 <本エッセイはTOEIC準備の批判ではないことを強調しておく。TOEICの先生たちは、いかにTOEICの試験を利用することで、英語力をUPできるか、、、ということを色々と研究、工夫されている。> しかし、これは搾取とはいいがたい。というのは、ラッキーな人達にも、生活があるからだ。ラッキーな人達は、家族を持てて、子供を持てるだろう。そうしたら、そうしたで、生活のために、がんばらないといけない。 実は私自身、社会学者として、社会統計学の本の執筆に参加したことがある。目的は、社会学も生き残るために、社会調査の資格をつくるということで、そのための勉強材料としての教科書である。 しかし、私自身は、そういう本を読んでリサーチスキルをつけたのではなくて、実際に、リサーチアシスタントとして、働きながら、統計学を使いながら、データをみながら、統計のスキルを身につけた。 SASという統計プログラミングにしても、本を読んでできるようなものではなくて、資格制度などあると逆に、習得の邪魔になるように思える。 しかし、私は、もちろん、本を書くことに参加することで、自分自身の経歴を強化することができる、、、つまり就職できる確立を高めることができるので、資格制度に反対するわけがない。 したがって、私も、社会統計学を勉強する人々の準備に一役買っているわけだ。 これは、必ずしも、良いことではない。 この準備の文化に対抗して、現在、世界で進行中なのは、YOUTUBE文化だ。 なんでもかんでもYOUTUBEに説明がある。例えば、私がもっている音楽用のMIXERの使い方など、中学生と思えるようなアメリカ人が、使い方を動画でもって示している。 全部、無料だ。 試験の準備とかとは無関係の世界である。 ただし、英語ができないと参加しずらい。 もちろん、日本語の説明もあって、私は、剣道の防具の洗い方など、まだ試していないが、参考になっている。 それにしても、英語ができれば、世界のいろんな国のYOUTUBE文化から吸収することができるだろう。 見て学ぶということになるが、そもそも知識というものはそういうものだ。字というのは、他にコミュニケーションの手段がないから、字になっているのだろう。 例えば楽譜だが、楽譜が読める読めないは個人の持つ音楽性に関係しない。 字の世界にとらわれると、準備の文化にもやられてしまうだろう。 私は、剣道の先輩・先生たちから、剣道の「踏み込み」に関して色々、説明を受けたし、そして実際に見せてもらったり、やってみたりで、今、習得しようとしている。 うちの犬を見ていると、動作が自然だ。どんな動作をしても、自然だ。しかし、人間が踊りとかしろとなると、ぎこちなかったりする。 剣道の踏み込みは、実は、走ったりとかする足の運び方、体重の移動の仕方と同じじゃないかと思って、走るイメージで踏み込みの練習を始めたら、なんかいい感じになってきた。 土曜日は、ニューヨークの8段の先生がいらっしゃって、稽古をしてくださるのだが、この踏み込みのやりかたを試してみたくて、たまらない。 字の文化、準備の文化、試験の文化が今の日本を覆っていると思うのだけど、それはラッキーな人達の生活のためにあるように思える。もちろん、その人達の生活も大変だろう。 しかし、日本が経済を良くしていくためには、日本人の全員がHUMAN CAPITALを自然につけていくような方向に教育の仕方を変えていかないといけないが、それは YOUTUBE文化 の方向じゃないかと思う。 ところでラッキーな人とアンラッキーな人のほかにも、日本にはかなりレベルの違う裕福層があると思うが、あまり話題にならないように思う。アメリカでは、1%の裕福層を共和党が一生懸命、守っております。
剣道と精神の修行 英語喉風
人気ブログ投票にぽちっとお願いします。 今週末、KAZY YOSHIMURA主催のラングエージエクスチェンジSKYPE GROUPに皆さん、挑戦されてはいかがでしょうか?こちらからどうぞ! TIME: JAPAN TIME DEC 18TH (SUN) NOON to 2PM US EASTERN TIME DEC 17TH (SAT) 10PM to MIDNIGHT http://www.doodle.com/skt9a2mc8ctmdg2v 先週末の成果のお一人を紹介と、、、。どうでしょうか? - YouTube http://www.youtube.com 私は普段から、説教じみたことを聞いたり読んだりするのはあまり楽しくないのだが、ここにきて、精神の持ち方を語りたい。 剣道始めて2ヶ月?ぐらいだが、私はひとつ、自分の心の持ち方で持って生きたい方向があった。それは、あきらめることはあきらめる、、、という精神である。 もちろん、逆に、いからないときはいからないといけないとも言えるし、立ち上がるときは立ち上がるべきだということも言える。 もちろん、人生を振り返ると、そういうことも不得意であったが、大切なことに対して怒らないから、逆に、怒るのが簡単なことに関しては、簡単に怒ることができたが(当たり前だが)、ここに来て、それを直したいと思うにいたった。 小学生や中学生でいじめられている諸君は、できたら不正義に対して対抗したほうがよいということは言える。いじめっ子は、誰が抵抗しないかをチェックしているからだ。最初が肝心。 以下に例を挙げるが、剣道は、その心の持ち方を育ててくれる。まずは失敗例だ。先月、ニューヨークの八段の先生がDCに指導に来てくださるということで1週間前から楽しみにしていたのだけど、その朝にスケジュールが変わり、私は、その指導に参加できなかった。 そのことが分かった瞬間、私は、非常にがっかりしてしまって、しばらく立ち直れなかった。 稽古場についたら、もう稽古が終わっていたのだ。 しかし、その場合は、もうなげいてもしょうがないのだ。 だめなことは、だめなことと素直に受け入れるという精神を育てたいと思ったのだ。 もちろん、立ち上がるときは、立ち上がるという点は忘れてはいけないのだけど。 さて、先週、稽古で胴の練習中、私は、相手の胴がはずれて、右の脇の下におおきな衝撃を受けた。 拷問とはそういう痛さをともなうのだろう。 これこそが、なげいてもしょうがないことだから、私は、なんとそれを耐えて、顔に出さなかった。 ところが、次もまた同じ場所に、胴が外れたのだ。これは、本当に激痛だった。 しかし、私は、それをも、またクールに受け取り、何もなかったのかのように、稽古を続けたのである。 翌日、鏡で見ていると、私の脇の下には、アメリカの海兵隊がよく使うブルドッグのテーマの刺青のような、内出血のようなあざが出現していた。 しかし、そのことも私は、受け入れ、なんの心のぶれもなく、現実を受け取ったのである。 これこそが剣道による精神の修行の成果だろう。そして、これこそが、平常心ということだ。 我々は人生において、立ち上がるべきときと、受け入れるときがある。 おうおうにして、立ち上がるべきときに立ち上がらないのに、不平不満を言ってもしょうがないのに、ぐちゃぐちゃとわめく、、、 そのような心を鍛えるということだ。 さて、実は、上に書いたことは理想の世界、いや、こうしたらよかったなと私が後で思ったことです。 すくなくとも3回、上の話では、心の動揺の場面がある。どの段階だったかは言わないが、私は、少女が泣くように、顔をしかめて、 いて~~~~~~~~~ と顔に苦痛を表して、またしても、少女のように泣いてしまった。 涙は流さなかったが、流さんばかりの勢いだった。 ジーナが私が痛い場面(例えば足をぶつけたときに)に、 いて~~~~~ と言って顔をしかめることを目撃している。 […]
シンガポールの「外国語大好きおじさん」
先週、シンガポールの「外国語大好きおじさん」と英語喉セミナーをしました。 許可をいただきまして(できている人がたくさんいるということを見ると、他の人も興味が出ることでしょう!)、その様子をYOUTUBE動画にまとめてみましたのでぜひご覧ください。なんと、全部英語です。 さらに、「外国語大好きおじさん」BLOGでも英語喉を紹介いただきました。 http://blogs.yahoo.co.jp/gaikokugo_daisuki_ojisan/28915760.html WELCOME TO EIGONODO FAMILY! それでは!